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8thアルバム

『ザ・ペンフレンドクラブ』

【解説全文】

TOMMY(VIVIAN BOYS)

アンカー 1

8thアルバム『The Pen Friend Club』は、初のセルフタイトル、初の収録13曲全てがオリジナル曲のみで占められた作品集であり、加入2年目を迎えたボーカリストMegumiにとっても満を持しての初のフルアルバムだ。リーダー平川雄一の書き下ろし作曲作品のリリースに至っては、2018年の6thアルバム『Merry Christmas From The Pen Friend Club』収録のオリジナル曲「Christmas Delights」以来じつに4年ぶりである。だがこの間、本作の完成に至るまでペンクラと平川が歩みを止めることはなかった。  

 

上述の6th(クリスマス)アルバム、2019年の初期4枚のアルバムのリミックス&リマスター『THE EARLY YEARS』シリーズおよびボックスセット、2020年の7th(ライヴ)アルバム『IN CONCERT』の各作品に於いて、平川は6thアルバム制作時に遂に確信に至った自身のミキシング・メソッドを駆使し、既にThe Beach BoysおよびWall Of Soundなどの数多のフォロワーの中でも世界屈指のクオリティを誇る多数の作品を生み出し、それらのライヴでの再現を継続し続け、比類なき孤高のスタンスを確立したバンド、ザ・ペンフレンドクラブの第5期までの活動を徹底的に総括した。  

 

また、2020年3月の第6期ペンクラ始動早々に、パンデミックにより世界中が不自由を余儀なくされる状況となってからも、同年にはシングル「Along Comes Mary / Love Can Go The Distance」および「一本の音楽 / 八月の雨の日」をリリース。この2020年夏の時点で既に、8thアルバムの青写真は存在していた。また、当時の不自由な状況での苦肉の策であったはずのリモートでのレコーディング作業は、結果的に各メンバーの隠れた才能を引き出すきっかけとなった。昨2021年、その最初の収穫として、本作にも収録された「Mind Connection」(アコースティック・ギター&コーラス担当リカの公式初作詞/作曲作品)が、7インチシングル 「Chinese Soup」のB面曲としてリリースされた。  

 

第一印象は大きく異なれど、8thアルバム『The Pen Friend Club』のサウンド・コンセプトは、4thアルバムまでの"初期"ペンクラおよび、殊更に2018年の5thアルバム『Garden Of The Pen Friend Club』と地続きである。"初期"ペンクラは、リーダー平川が具体的に思い描くビジョン(理想の音像構築)の実現を目指し、制作に纏わるほぼ全ての工程を平川が考案、自ら遂行し、才能豊かなメンバー達と共にそれらを次々と達成した。5thアルバムでは、平川自身のプロデュースのもと、初めてグループ外の才能を大々的に登用、全編にストリングス・アレンジを導入した。同作は平川が前提として標榜し続けるグループの在り方"1960年代中期ウェストコーストロック・サウンドの体現"の範疇を大きく拡張した(最大のキーワードは"A&M Records"、本件についてはいつか説明する機会があればと思う)。そして本作『The Pen Friend Club』は、楽器の構成そのものは従前の作品とほぼ同じであるにも関わらず、圧倒的にゴージャスなストリングスが配されたその5thアルバムをも、その音像面(アレンジ密度、曲構成、各パートの表現力など)だけを取っても凌駕する、桁違いに硬質かつ鮮明なダイナミズムを持つ作品として完成した。  

 

一方で、歌詞はこれまでの作品とは全く一線を画す。Youth Yamada、廣田幸太郎、リカら全ての作詞家がまるで示し合わせたかのように、パンデミック以降現在に至るまでの時勢を背景としたテーマとキーワード(例えば"時間、空間、距離、天体、意志"や、特に当初アルバムタイトルに想定していた"太陽"など)を重ね合う。ブックレットにはオリジナルの英詞と公式の和訳詞が付属するが、あえて詳らかにされない解釈の余地が訳詞には残されているように思う。また、それぞれ奥行きのある英詞の言葉一つ一つを噛みしめることで、全編に通底する主題を持つかの本作のコンセプトの正体に、より近付くことができるかもしれない。  

 

本作は、全編のプロデュース・編曲を平川だけでなく"The Pen Friend Club"名義で行った初めてのアルバムでもある。メンバーそれぞれが携わったアレンジ全てに必然が伴い、表現の隅々まで内省を伴う意志と熱量が行き渡る。メンバー全員の才能を最大限に引き出すべく、本作では制作者/演者兼、あえて可能な限りエグゼクティブ・プロデューサー的な立ち位置に徹したであろう平川もまた、結成10周年にしてペンクラのリーダーとしての自身の成長を感じているに違いない。  

 

私もだが、媒介となるその音楽性のルーツを馴れ初めにペンクラに惚れ込んだというファンも多いことだろう。それはペンクラの存在コンセプトそのものに付きまとう宿命でもある。しかし、恐らく誰も予想できなかったであろう姿で完成し、遂に陽の目を見ることとなった本作は、これまでのようにその素晴らしさを称えるべくペンクラのルーツたる過去の愛すべき音楽たちを、喩えとして引き合いに出すことすら一瞬躊躇してしまうほど"私はあくまで私"と無言で訴えるかの、骨太な存在感を全身に纏う。それは、本作が本作自体を頂点とし、作品自体がさながら生命体のような意思を持つ、2022年製のROCKの新たな名盤であるからに違いない。結成から10年、ザ・ペンフレンドクラブの歩みの全ては、本作『The Pen Friend Club』を産み落とすためのものだったのかもしれない。  

 

それでも我々芸術の受容者は、この名盤と対峙するにあたり、作中にうごめく得体のしれない巨大な存在の正体に近付くべく、様々な喩えを用い"持論"を綴りたくなる欲望を抑えることができない。"多くを語り台無しにしないよう"(「Our Overture」)肝に銘じつつ、以下、各曲の感想文的なサムシングをそれぞれ手短に。記載の経緯の明記なき内容は、ほぼ全てあくまでも私見である。  

 

 

「Our Overture」

(作曲:平川雄一 / 作詞:Youth Yamada)

 

2020年6月、7thアルバム『IN CONCERT』のライナーノーツ執筆着手よりも前のタイミングで、初めてこの曲のデモ(インスト曲だった)を聴かせてもらった時、偶然ながら共に"ロック・オペラ"アルバムであるThe Pretty Things『S.F. Sorrow』(1968年)、The Who『Tommy』(1969年)各収録曲の空気感に近い、という印象を得た。デモにはまだタイトルがなかったが、完成版のタイトルは奇しくも『Tommy』の冒頭曲と同じである。歌詞の内容と直接リンクしないものの、そのサウンドにはコロナ禍初頭の先行き不透明な状況の好転を祈るような思いと、社会のあらゆる不和を表すかの不穏なムードが漂う。そのムードを象徴するように挿入されたリバースするヒスノイズもまた『Tommy』収録の「Amazing Journey」を思わせる。ドラムスのビート感は1960年代どころか1980年代以降の鳴りで、開放的に降下する間奏のハーモニーと相俟って、Yesの「Owner of a Lonely Heart」(1983年)を思いがけず想起してしまう。また、Roxy MusicやGodley&Creme作品などでのAndy Mackayのプレイの如く力強くブロウする、ポップ・アヴァンギャルドなサックスソロの旋律や、野性をベースとした深みのある知性を醸し出すMegumiの歌い回しの印象が、この曲の持つニューウェイブ感を決定付ける。

 

補足:2022年9月3日付で"WebVANDA"サイトに掲載された平川と西岡のインタビューで、この曲のインスピレーションの源の一つがThe Rolling Stonesの「Gimme Shelter」(1969年)であると明かされた。全く気付かなかった、なるほど!と思ったが、この曲でのMick Jaggerのデュエット・パートナーのMerry Claytonは、詳述は省くがキャリア最初期からJack NitzscheやTerry Melcherと縁があり、A&M Records傘下のLou AdlerのOde Recordsとも深く関わった人物。おまけに上述『Tommy』のロンドン交響楽団版のアルバム(1972年)でも、作中のキャラクターである"Acid Queen"を演じている。連鎖する縁。あと、私事ながら私の"TOMMY"名は、この『Tommy』に因みバンドメイトに安直に名付けられてしまったものだったりする。せっかくなのでここに。

 

 

「The Sun Is Up」

(作曲:平川雄一 / 作詞:Youth Yamada)

 

曲想を形作る乾いた音色のアコースティック・ギターのストローク、色気ある響きが印象的なハイハットをはじめキット全てが有機的に歌うドラムス、ミニマルに反復する計算し尽されたベースライン、サブリミナルかつ不調和に波打ち彼岸へと誘うオルガン、唯一感情顕わにむせび泣く縦横無尽のエレキ。そして、自らであり続けるための力への意志と、揺るがぬための誓いの言葉を切々と口ずさむボーカルは、さながらYouth Yamadaと西岡と共に作詞クレジットされたMegumi自身のパーソナリティの発露であるかのごとく、しなやかかつヘヴィにバンド全体のグルーヴを牽引する。

 

アルバム・トラック中、最初にYouTube上で先行公開されたこの「The Sun Is Up」のMVに寄せた概要文で、私は"衝撃のラーガ・ロック"と謳った。これはその根幹である涅槃のエレキ・シタールの印象と、平川が監督したMVのカッコよさ、美しさがあまりに圧倒的で、私自身が受けた衝撃をそのまま平易な言葉にしたに過ぎない。だが、この曲にはそんな表層的な一つのジャンルに留まらない多面的な魅力がある。

 

作曲者であるベーシスト西岡利恵の弾き語りによるこの曲のデモの仮題は「Buffalo」だった。そのタイトルから、3rdアルバム『Season Of The Pen Friend Club』に収録の「Where Did You Go」および、4thアルバム『Wonderful World Of The Pen Friend Club』の「微笑んで」など、従前よりペンクラにその影響が垣間見えたBuffalo Springfieldを想起したが、同時にThe Pretty Thingsの上述とは別のアルバム、『Parachute』(1970年)の収録曲である「The Good Mr.Square」と「She Was Tall,She Was High」をイメージした。ところで、同じく上述したThe WhoのPete Townshendが本作『The Pen Friend Club』の音楽性にも深くリンクするアルバムであるThe Beach Boysの『Smiley Smile』(1967年)に大きな影響を受けていたり(1983年のソロ・アルバム『Scoop』に収録の「Goin' Fishin'」に顕著)、何よりThe Beach Boysの熱狂的ファンのKeith Moonこそが英国で『Pet Sounds』を大きく広めた立役者である(1966年に単身渡英したBruce Johnstonの滞在するホテルを訪れ、Bruceより同作を聴かされたことがきっかけ)という話はよく知られるが、The Pretty Thingsの上述2枚のアルバム『S.F. Sorrow』と『Parachute』の制作に大きく貢献したメンバーである、Wally Waller(ベース/ボーカル)とJon Povey(キーボード/ボーカル)も相当だ。両名がThe Pretty Thingsに加入する以前に在籍したThe Fenmenは1963年11月15日にリリースされた「Money」のカバー・ヒット(全英14位)で知られる。当時のイギリスに於いては、翌週22日リリースの(何やら本作『The Pen Friend Club』のソリッドなジャケットの構図にも大きな影響を与えたとも噂される)The Beatlesの『With The Beatles』に収録の同曲のカバー以上に、瞬間的には知名度があったバージョンだったはずだ。さておき、このThe Fenmenはそのキャリアに於いて、The Beach Boysの「The Warmth Of The Sun」、Bacharach-David作の「Make It Easy On Yourself」、The Mamas & The Papasの「California Dreamin'」、そしてThe Four Seasonsの「Rag Doll」やThe Four-Eversの「Be My Girl」(Bob Gaudio作) のカバーを残している。推して知るべし、な二人だ。加えて、両名にとってThe Pretty Things加入最初のアルバム『Emotions』(1967年)には、Wally Wallerが書いた、ペンクラの8thアルバム制作段階でのタイトル候補と同じ「The Sun」という曲があり、さらにこの両名は2010年にThe Bexley Brothers名義で、この「The Sun」をハーモニー増し増し、かつシタール音を挿入したラーガ・ロック風味のバージョンで再録まで行っている。やはり、縁は連鎖する。

 

翻り、5thアルバム『Garden Of The Pen Friend Club』と8thアルバム『The Pen Friend Club』の連続性をThe Byrdsに絡め"『Fifth Dimension』から「Eight Miles High」へ"などと喩えてみる(Fifth Dimensionは、ペンクラの5thアルバムに影響を及ぼしたはずの楽曲の一つ「ビートでジャンプ(Up,Up and Away)」にも掛かる)。アメリカを席巻したThe Beatlesからの強い影響を転化した"フォーク・ロック"サウンドを掲げ、逆にそのThe Beatlesに大きな影響をフィードバックしたThe Byrdsは、サイケやラーガ・ロック、カントリーロックの誕生と流行にも大きく寄与した。レッキング・クルーの面々が演奏したデビュー・ヒット「Mr.Tambourine Man」(1965年)は、同年のThe Beach Boysの「California Girls」やBruce & Terryの「Four Strong Winds」のイントロにも影響を与えたと思われる。The Byrdsのラーガ・ロックにはGary Usherプロデュース作『Younger Than Yesterday』(1967年)に収録の「Mind Gardens」("Garden"のワードには、つい条件反射的に反応してしまう)もある。上述したこの「The Sun Is Up」の先行MVでの、The Byrdsの『Fifth Dimension』のジャケ写と同じく絨毯に乗る、かつてなくロックスター然とした佇まいのMegumiらメンバーたちの姿に、その歌詞の一節("Don't forget what you are")が「The Sun Is Up」の主題ともリンクする「So You Want to Be a Rock'n'Roll Star」を想起する。本作『The Pen Friend Club』のリードトラックであり、アルバム・タイトル曲の候補でもあったこの曲には、このようにThe Byrdsを思わせる要素の多くも組み込まれている。

 

また、楽曲の骨格は西岡がフェイバリットに挙げる、今年6月に逝去したJim SealsとDash Croftsのデュオ、Seals and Crofts(1stアルバムは、The Fifth Dimensionの『The Age of Aquarius(1969年)』、The Association『The Association(同年)』、The Carnival『Carnival(同年)』等も共に携わった、Bones Howe界隈人脈でもある、重鎮Bill HolmanとBob Alcivarらが手掛け、加えてA&M Records界隈人脈のLouie SheltonやJim Gordonらが参加)のヒット曲"Summer Breeze"(1972年)にも重なる。さらに、西岡のフェイバリットであるフォークロック・デュオ、Brewer & Shipley(A&M Recordからの1stアルバムにはJim Messina、Joe Osborn、Lyle Ritz、Hal Blaine、Jim Gordon、Nick DeCaroといった面々が参加、プロデュースはJerry Riopelleおよび上述のThe Byrds『Fifth Dimension』を手掛けたAllen Stanton)からの影響についても思いを馳せる。

 

本作『The Pen Friend Club』にその風情も醸し出される1960年代のブリティッシュ・ロックと、ペンクラが立脚し続ける1960年代の西海岸ロックのそれが、互いに強力な影響をもたらし合う関係であったことは明らかだ。そして、それら遺伝子を丸ごと飲み込みながら、場所も時代も全く関係のない2022年の極東の一島国の都市部をペンクラは闊歩する。そんな彼らの歩みにたやすくアクセスできる我々の奇跡的幸運たるや。

 

 

「Ketzal」

(作曲:平川雄一 / 作詞:Youth Yamada)

 

例えば5thアルバム『Garden Of The Pen Friend Club』での「飛翔する日常」のような、きっと誰の耳にも本作『The Pen Friend Club』収録曲中、最も華やかな印象を与えるだろう、もう一つのリードトラック。"There she comes out from the history""There's no chance to see the confusions It's clearer than you see the blue skies"など、大きなスケールの言葉が躍る歌詞は、パンデミック以降の世界を生きる我々を覆う薄靄を引き剥がし、より高くより遠くイメージを翔ばしてゆく。

 

初めて聴いた時、関連曲として真っ先に思い浮かんだのはProducersの「Freeway」および「Garden of Flowers」だった。ここにも"Garden"…さておき、Producersは「Our Overture」の項で触れた、Yesの「Owner of a Lonely Heart」のプロデューサでもあるThe BugglesのTrevor Horn、Godley & Creme/10ccのLol Cremeらプロデューサー達が集まった"スーパーグループ"で、左記2曲とも2012年の唯一のアルバム『Made in Basing Street』に収録されている。さらに、そのProducersの「Freeway」のルーツを感じさせる、10ccの「How Dare You」~「Lazy Ways」(共に1976年のアルバム『How Dare You!』に収録)や、Godley & Cremeの「Clues」(1979年のアルバム『Freeze Frame』に収録)も。また「Ketzal」には、A&M RecordsよりリリースされたJoe Jacksonの「Steppin' Out」(1982年)に通ずるムードもある。イメージした曲として左記に挙げたもの全てに共通する点は、鍵盤打楽器(マリンバ、木琴、グロッケン)の使用。これらは1960年代のA&M Records(看板グループの一つ、Baja Marimba Bandに顕著)や、Godley & Creme作品(特に上述『Freeze Frame』や1978年の2ndアルバム『L』に顕著)のイメージを形成した楽器でもある。

 

美しきグアテマラの国鳥をタイトルとした「Ketzal」には、上述「How Dare You」やBaja Marimba Bandと同じ中部アメリカ的ルーツも汲み取れる。そのBaja Marimba Bandと同じくA&M Recordsの看板グループの一つであり、"ケツァール"と同じく鳥名"イソシギ"の名を冠すThe Sandpipersが、グループのスタイルを確立した1966年の出世作が、キューバ民謡「Guantanamera」(グァンタナモの娘)のカバーであったことも思い出す。

 

アルバム『The Pen Friend Club』では、この3曲目の「Ketzal」でようやく打ち鳴らされる、同じくペンクラを象徴する鍵盤打楽器、中川によるグロッケンの煌めきにより初めて我々の知るペンクラらしさが解放される。『Garden Of The Pen Friend Club』に収録の「My Little Red Book」のカバーでのそれを彷彿とさせる、僅かに拍を食ってスリリングに挿し込まれるオブリガートや、エンディング前を猛々しく貫くプレイなど、サックスは惜しみなくアレンジの花形を担う。そのサックスに寄り添う、やはりペンクラのレコーディング作品には欠かせない、華麗なフルートはMegumiによる演奏。これらグロッケン、サックス、フルートの重奏は演奏そのものの熱量も相俟って、上述「飛翔する日常」での弦楽五重奏に匹敵する神々しさ。そして、緻密に構築されたノートで多様なパターンやフィルを熱く繰り出すドラムスと、上述「Steppin' Out」のイメージの所以でもあるオクターブのリフを織り交ぜつつドライブしまくるベース。ハイトーンでありながらアグレッシブさ以上の慈しみを以て、リード・ボーカルを包み込み並走するバッキング・ボーカル。

 

エンディングで繰り返される歌詞"As higher she flies you'd see the beautiful long loving tail"の"she"は、"ケツァール"のことであると同時に、その歌唱に触れるほどに虜になることを禁じ得ないボーカリストMegumiをはじめとする、ペンクラ自身を指し示すかのよう。その歌詞にある通り"extraordinary"な新たなペンクラのテーマ、代表曲の誕生だ。

 

 

「Mind Connection」

(作詞作曲:Ricca )

 

2021年にシングル・カップリング曲としてリリースされた折は、A面曲「Chinese Soup」の"Jeff's Boogie"なカバーのスウィング、ロカビリー感や、オリジナルである荒井由実版のMaria Muldaurの「Walkin' One & Only」(1973年、Dan Hicks作)との繋がりから、こちらの「Mind Connection」にも、例えばTommy LiPumaらのA&M Records〜Blue Thumb Recordsに至る流れでのアコースティック・スウィングやグッドタイム・ミュージックと、サンシャイン・ポップとの交叉などについて思いを巡らせた。タイトルからはJohn Sebastianの「Magical Connection」(1970年)と、JohnのThe Lovin' Spoonfulの所属レーベルKama Sutra RecordsからのリリースでもあるThe Trade Windsの「Mind Excursion」(1966年)を類推した。このPete AndreoliとVini Poncia(Anders & Poncia)のグループ、The Trade Windsはペンクラを語るに外せない存在。ペンクラが過去にカバー、レコーディングしたAnders & Ponciaの作品には、そのThe Trade Windsの「New York's A Lonely Town」(1965年)と「Summertime Girl」(1965年)や、The Ronettesの「Do I Love You」(1964年)と「How Does It Feel?」(1964年)がある。

 

また、この曲の作詞作曲者であるリカは、2021年6月15日付でWebVANDAサイトに掲載されたインタビュー記事で、「Mind Connection」の制作にあたりThe Beach Boysの1968年のアルバム『Friends』の空気感を第一に、とりわけ同作収録曲「When A Man Needs A Woman」を意識したとの旨を明かしている。心地よいコード進行とゆるやかなシャッフルビート、エレキのカントリー/ジャズ風味のカウンターメロディなどが裏付けるそんなリカの意図を、よりコンセプチュアルに拡張するかのごとく、本作『The Pen Friend Club』はこの「Mind Connection」を起点に、The Beach Boysの内省的な側面からの影響を窺わせるセクションに移行する。このセクションを最も特徴付けるのは、キーボードのそいが奏でる、ハモンドとパイプオルガンとを絶妙なバランスで調合したかの音色で厳かにうねる持続音。さながらBrian Wilsonが、The Beach Boysのアルバム『Smiley Smile』『Wild Honey』『Friends』期の小編成アレンジに於いて、自らの演奏で執拗に組み込んだボールドウィン・オルガンの響きのよう。この曲のさりげないクライマックスであるエレガントなサックスソロは、大谷の真骨頂とも言える洗練された透明感。こうした「Mind Connection」でのチルアウト・ムードは、以降の収録曲にも繋がっていく。

 

英語詞で占められる本アルバム収録曲の中で唯一の日本語詞は、逆説的にオリエンタルでエキゾチックな雰囲気を醸し出す。その言語だけでも「Ketzal」までの流れを大きく転換する一方で、時間、空間、距離感、太陽などを想起させる柔らかな印象の歌詞もまた、本作収録各曲の英語詞とリンクし合う。"緑の絨毯"(lush carpet)というワードも、この曲のソフト・サイケデリックなイメージを後押しする。本作『The Pen Friend Club』では、英語詞楽曲であっても歌詞の心象風景を聴き手に正確に届けうるMegumiの多彩な表現力が実証されるが、「一本の音楽」「Chinese Soup」各シングル等でも聴ける、言葉の一つ一つがダイレクトに刺さる日本語詞での歌唱の機微もまた格別だ。

 

 

「Floating To You」

(作曲:平川雄一、西岡利恵 / 作詞:廣田幸太郎)

 

本作で初めて登場する、エコー任せでなくアレンジの骨格を丁寧に組み上げ構築されるウォール・オブ・サウンドは、ペンクラがペンクラである根拠。デモでの仮題は「Just Once」。アイデアの出発点はThe Righteous Brothersの「Just Once In My Life」(1965年)なのだろう。ベースラインには、そのThe Righteous Brothersの「You've Lost That Lovin' Feelin'」(1964年)と同時期に制作され、似た雰囲気を持つ、Brian WilsonとRuss Titleman作、Glen Campbellの「Guess I'm Dumb」(1965年)の意匠も。ペンクラは2ndアルバム『Spirit Of The Pen Friend Club』で同曲を(4thアルバム『Wonderful World Of The Pen Friend Club』でも、同じくBrian WilsonとRuss Titleman作、1965年の制作時に未完成に終わったThe Beach Boysの「Sherry She Needs Me」を)カバーしているが、こうしたPhil Spectorが手掛けたブルー・アイド・ソウル楽曲的なアプローチは、オリジナル曲としては初めて。楽曲のベーシックは平川が作曲。複雑なコード進行であるBメロの旋律の作曲者は西岡。二人が初めて共作クレジットされたこの曲の作曲を、平川は本作中で最も気に入っているという。

 

「Mind Connection」の音像を受け継ぐオルガンのドローン。グロッケン、サックス、バリトンギターが織りなすディープなリフ。リズムセクションに溶け込む、スイートなボーカルの1拍目のブレス。ウォール・オブ・サウンドの決め手となる分厚いハーモニーと、薄く敷き詰められたトレモロ奏法のマンドリン。Hal Blaineのイメージが憑依したかのごとく繰り返される二拍三連フィル以外は、アクセントのクラッシュシンバルすら入らない固定のパターンがひたすら続く、気合一発のドラムは平川が叩いている。本作『The Pen Friend Club』以前よりペンクラ楽曲のドラムアレンジを全面的に担い続ける天才ドラマー"プロフェッサー"祥雲には、もちろん技巧、センス共に及ばないものの、ガレージ感を残す平川のドラミングには、どこかDennis Wilsonを彷彿とさせる魅力がある。

 

また、パンデミックの状況下で殊更意識せざるを得なくなった様々な想い人との距離感が、「Mind Connection」とは異なる切り口で綴られる歌詞は、ペンクラ結成以前、結成当初からの平川の作詞パートナーである廣田幸太郎による。"A river in my dream to float away"等その歌詞は、度重なる転調が浮遊感を誘う楽想を明確に言語化する。主題こそ違えど、同じくチルアウト感に満ちた楽想であるThe Beach Boysの「Feel Flows」(1971年、アルバム『Surf's Up』に収録)に於いてJack Rieleyが書いた歌詞にも通ずる漂流感、無常観。「Floating To You」とこの「Feel Flows」は永遠に見ていたい白昼夢のようなムードも共有する。また、歌詞冒頭の"polaroid"に日本のウォール・オブ・サウンドの先駆者、大滝詠一の「君は天然色」(1981年)を思い起こすのは私だけではないはず。

「At Least For Me Tonight」

(作曲:西岡利恵 /  作詞:Youth Yamada)


上述「Floating To You」の項ではThe Beach Boysの「Feel Flows」を引き合いに出したが、この曲の歌詞が"Feels"で始まるのもまた一つの巡り合わせ。その「Floating To You」の雰囲気を継ぐ憂いあるボーカルのブレスに始まり、撫でるように奏でられるグロッケンはその旋律を、金属的なエレキのカッティングはどこか不揃いなハーモニーを乗せて緩くスウィングするグルーブを、それぞれ小さく輝かせる。歌詞には"時間、空間、距離、天体、意志、太陽"を示す、本作のコンセプトを匂わせるワードが全て含まれている。サイケデリックかつ儚い美しさを表す三秋の季語"朝露(Morning Dew)"は「Mind Connection」「Floating To You」と次第に深まるチルアウト・ムードをさらに助長する。左記2曲と同じく、この曲の歌詞も世情が隔てた想い人との関わりを背景としつつ、展開部以降には「The Sun Is Up」にも通ずる"揺るぎない意志への決意"を表す言葉も加わる。

翳りを帯びたロングトーンや、展開部のビートスイッチをきっかけにもう一つの旋律が蠢くオルガンは、やはり曲想の要であり、「Mind Connection」の項でも触れた1960年代末のThe Beach Boysのアルバム『Smiley Smile』『Wild Honey』『Friends』収録曲の、なかでも「A Thing or Two」(1967年)や「Meant for You」(1968年)等を思わせるこの曲のムードを決定付ける。同じく展開部に現れるバンジョーの刻む牧歌的なリズムは、『Smiley Smile』の源であるThe Beach Boysの『Smile』および1969年のアルバム『20/20』に収録の「Cabinessence」を思わせる。更にここで、The Ronettesの「Be My Baby」(1963年)のイントロでのHal Blaineのスネアのごとく、4拍目の一発だけが打ち鳴らされるドラムスは、さながら余儀なくされた夢想からの目覚め、解放を合図する祝砲のよう。

この展開部にて、同じく西岡が作曲した「The Sun Is Up」と対を成すかのラーガな旋律でオルガンと併走するベースラインは、西岡ではなく平川の演奏による。作曲者の西岡が"ソフトロック"を意図し書いたこの曲は、西岡自身によるギター、オルガン、仮歌だけのシンプルな多重録音のデモを基に制作された。一方、レコーディングでの西岡の参加はコーラス・パートの一部のみ。アルバム『Smiley Smile』がThe Beach Boysにとって初めての(Brian Wilson単独ではなく)グループによるプロデュース作品であったのと同じく、初めてプロデュース・クレジットにバンド名"The Pen Friend Club"を冠した本作ならではの制作過程を経て、この「At Least For Me Tonight」は歌詞、曲想共に本作『The Pen Friend Club』収録各曲のモチーフが集中的に交叉し、アルバム・コンセプトを静かに象徴する作品として完成した。

終盤、曲想は振り出しに戻るも、歌詞の一節"it's time to wake up and look for your melodies"が描く高揚感は、そのまま次の「My New Melodies」へと向かう。序盤の憂いを振り切ったかの表情に移ろうボーカル、颯爽としたアコギのストローク、Buffalo Springfieldの「For What It's Worth」(1966年)でのNeil Youngのそれを思わせるトレモロ・エフェクトの効いたエレキだけが残るエンディングの歌詞"(Don't you dare?)To be the one who take them all"については様々な解釈を試みたくもなるが、何れにせよ、挑発的なまでに力強く"生き様を全うせよ"というメッセージを発しているように思えてならない。

 

「My New Melodies」

(作曲:平川雄一 / 作詞:Youth Yamada)

新機軸アプローチ楽曲が居並ぶ本作『The Pen Friend Club』の収録曲中、平川が書いたこのシャッフルビートの「My New Melodies」に、ファンの多くは最もこれまでのペンクラ作品の面影を感じることだろう。1stアルバム『Sound Of The Pen Friend Club』に収録の「I Fell In Love」に始まるペンクラのシャッフルビートのオリジナル曲には、The Beach Boysの「Wouldn't It Be Nice」(1966年)「Help Me,Rhonda」(1965年)「Good Vibrations」(1966年)、Phil Spector、大滝詠一、山下達郎関連作品、様々なサンシャイン・ポップの名曲たち等々からの影響が垣間見えつつも、それ以上にペンクラの音楽性を表す特徴の一つとしての独自の軌跡がある。2ndアルバム『Spirit Of The Pen Friend Club』収録の「I Like You」、3rd『Season Of The Pen Friend Club』の「街のアンサンブル」「Before My Summer Ends」、4th『Woderful World Of The Pen Friend Club』の「ふたりの夕日ライン」、5th『Garden Of The Pen Friend Club』の「笑顔笑顔」、それらは全て平川が作曲したその時々のペンクラを象徴するオリジナル作品で、何れも甲乙付け難い名曲ばかりだ。

歯切れのいいビートを刻むサックスと麗しいフルートの重奏。心地よくスウィングするウォーキングベース。自在に歌うドラムスの2拍3連のキメと同時に轟くティンパニ音。ウォール・オブ・サウンドおよびペンクラ楽曲を象徴するスレイベル。ブレイクで大見得を切るトレモロ奏法のマンドリン。「街のアンサンブル」でのそれを思い出させる、Steely Danの「Reelin' In the Years」(1972年)に於けるElliott Randallのような巧みなギターソロ。そして、アウトロでより煌びやかさがフォーカスされるグロッケンが導く、荘厳なハーモニー、アコギ、オルガン、ベース、ウインドチャイムによる締め括りの音像は、上述「ふたりの夕日ライン」や、同じくペンクラ3rdアルバムに収録の「What A Summer」、5thアルバムの「まばたき」各オリジナル曲の美しいエンディング・パートにも通ずる印象だ。このようにふんだんに配され踏襲された、これまでのオリジナル曲で用いられたアレンジ手法や、ライヴの光景をそのまま思い浮かべることもできるメンバー全員によるアンサンブルなど、「My New Melodies」は"これぞまさにペンクラ"な楽想だ。

作詞はYouth Yamadaと平川の共作クレジットだが、初期デモ版は「新しいメロディ」というタイトルの、平川が書いた日本語詞を乗せた曲だった。上述「街のアンサンブル」を思わせる季節を迎える喜びに始まり、その「街のアンサンブル」でも影響を匂わせたシュガー・ベイブの「すてきなメロディー」(1975年)にも通ずる主題を持つ、同じく"これぞまさにペンクラ"な「新しいメロディ」の歌詞をYouth Yamadaが再構築し、「My New Melodies」の英詞となったという経緯なのだろう。

「My New Melodies」の歌詞で繰り返されるワード"Melodies"と"Memories"は、「At Least For Me Tonight」冒頭の"lonely time to kill with the melodies""the worst time within the memories"に掛かるように思える。また日本語詞の「新しいメロディ」にはない"The Sparrows flying like they're floating in the sky"の一節は、廣田幸太郎による作詞の「Floating To You」と対を成すとも。同じく英詞に新たに加わった、前曲「At Least For Me Tonight」終盤の歌詞"time to wake up and look for your melodies"とこの曲とを繋ぐ、"意志"を吹き込む一節"Aiming towards playing with our soul,And seeking for my new melodies"により、「My New Melodies」はコンセプチュアルな本作『The Pen Friend Club』収録曲としての意義を深める。

「My New Melodies」は上述した通り"まさにペンクラ"な、ウォール・オブ・サウンド等からの影響が色濃いアレンジが施された楽曲だ。しかし、同じく上述したこれまでのペンクラのシャッフルビートの名曲の数々とは明らかに異なる表情を持つ。その理由は、残響エフェクトやバッキングのハーモニーを控え目に配し、生々しさを強調したミキシングにもあると思う。加えて、それは何よりMegumiのボーカルに大きく起因するのだろう。この「My New Melodies」での歌唱は、アルバム『The Pen Friend Club』収録曲の中でも最も甘く繊細、かつ諭すように柔らかな印象だ。アップテンポで華やかな楽想でありながら敢えて、アルバム・コンセプトを踏まえるべく選択されたアプローチのように思える。この曲でのMegumiのボーカルは、舌足らずな唱法が愛くるしくも内省的な印象を与えるChet Bakerや、1960年代中期A&M Recordsの看板シンガーの一人でもあるChris Montezを彷彿とさせる。また、地声とファルセットを絶妙に往き来する発声は、上述「Good Vibrations」でのCarl Wilsonの審美的なそれを思わせる。注意を払わねば分からないほど小さな振幅で細やかに組み込まれたビブラートや、明確かつ多彩なバリエーションでの歌詞の語尾一つ一つの締め括り方など、曲の隅々まで行き渡るMegumiの様々なテクニックに唸らされる。

ブレイク後の終盤、怒涛かつマジカルな転調を繰り返す度に、その歌詞もまた畳みかけるように天井知らずの高揚感を煽ってゆく。この、森羅万象から見出されるメロディがもたらす喜びに満ち溢れる"音楽賛歌"は、神々しいファルセットによって大団円に導かれる。

付記:上述、平川が書いた日本語詞の「新しいメロディ」も、ごいちー(cana÷biss)のEP『聴かせてよ、ミスター』への提供曲として12/14にリリースされる。バッキングトラックはペンクラのメンバー全員による演奏。歌詞や歌唱のニュアンスなど「My New Melodies」との違いが楽しめることだろう。


「Jump Over Time」

(作詞作曲:Ricca )

5thアルバム『Garden Of The Pen Friend Club』に収録の「水彩画の町」のカバー(大滝詠一/1972年)を思わせる、アコギ、ドラム、ベースによる、大きなタイム感での鉄壁のグルーブ。「Mind Connection」と同じく対旋律が心地よいブルージーなエレキのアルペジオ。間奏部のどこまでも高く浮遊するかの本作中屈指の美しいハーモニー。

作詞作曲者リカによるアコギ1本の弾き語りでの、「時を飛び越え」というタイトルが付けられたこの曲のデモ版(詞はこの時点で既に英語だった)を初めて聴いた折、繰り返される"Listen carefully"の歌詞を、The Beach Boysの『Pet Sounds』収録曲「Don't Talk (Put Your Head on My Shoulder)」に重ね合わせた。また、同じく繰り返される"Can you hear me?"を、同じタイミング(2020年6月)で聴いた本作1曲目の「Our Overture」の初期デモの音像と結び付け、The Whoの「Tommy Can You Hear Me?」(アルバム『Tommy』収録曲)を思い起こした。

グループによるアレンジが施され完成した、この「Jump Over Time」からは、Chicagoの「What Else Can I Say」(1971年のアルバム『Chicago Ⅲ』に収録)に近しい印象も受ける。この曲の邦題「朝の光」や、その歌詞の持つ雰囲気もまた本作『The Pen Friend Club』のコンセプトの一端に通ずるように思える。本作のジャケットに付されたペンクラの新たなロゴが、Chicagoのそれのオマージュとも受け取れることからも、Chicago(特に上述『Chicago Ⅲ』と1970年のアルバム『Chicago Ⅱ』)からの影響も、本作の構成要素の一つかもしれない。プロデューサーのJames William Guercioを介し、ChicagoとThe Beach Boysとの繋がりは深い。中でもRobert Lammは、生前のDennis WilsonおよびCarl Wilson、そしてCarlの義弟のBilly Hinsche(Dino, Desi & Billy)とそれぞれ深く関わった。そして、ペンクラがこのロゴを本作に掲げた今年(2022年)、6月7日~7月26日にかけてBrian WilsonバンドとChicagoのジョイント・ツアーがアメリカ国内で行われた。このツアーは1975年および1989年に行われたThe Beach BoysとChicagoのジョイント・ツアー"Beachago"のリバイバルを意識したものであり、かつてのツアーでも連日演奏されたChicagoの名曲「Wishing You Were Here」(1974年のアルバム『Chicago Ⅶ』に収録、Al Jardine、Carl Wilson、Dennis Wilsonがゲスト参加)も披露された。また、Brian Wilsonバンドが『The Beach Boys' Christmas Album』の全曲再現を含む初のホリデイ・ツアーを行い、Mike Loveが初のホリデイ・アルバム『Reason For The Season』をリリースした2018年には、ペンクラも『Merry Christmas From The Pen Friend Club』をリリースしている。このような、ペンクラと現在のThe Beach Boysメンバーの動きとのリアルタイムでの連動はあくまで偶然と思うが(私の知る限り、実態としてはペンクラの構想の方が本家の動きに先行している)、The Beach BoysやPhil Spector周辺を始めとした1960年代中期ウェストコースト・ロックからの影響を、世界中でも比類なきレベルでオーセンティックに昇華し続けるペンクラの歩みが、こうした偶発的かつ運命的なリンクを引き起こしていると思えてならない。

この曲の歌詞もまた、本作の幾つかの収録曲と同じく、前提となる背景にパンデミック下で強いられた想い人との距離感があるように思える。揺るがぬ意志を促す"Don't be fooled by the trifling noise"の一節は「The Sun Is Up」や「At Least For Me Tonight」でのYouth Yamadaの歌詞と呼応し合うかのよう。"We can always fly"には、曲想こそ違えど「Ketzal」や「My New Melodies」同様の飛翔イメージも。デモ版にも含まれていた"Your own inner voice"および、完成版に加わった"Your own inner sounds"は、上述の「Don't Talk」を思わせる内省をより深め、"Your hopeful sound gift will melt my heart"は、ペンクラも上述の5thアルバムに名カバーを記録した、Brian Wilsonの「Melt Away」(1988年)の情景を想起させる。それらに加え、解釈の余地は残すものの、最終的にどこか幸福を予見させる優しい言葉に着地する歌詞は、本作に於けるリカならではの作風に思える。

この曲の内省を最も決定付けるアレンジは、上述の『Pet Sounds』収録曲(「You Still Believe in Me」「I Just Wasn't Made for These Times」「Caroline, No」)に頻出するチェンバロ等でのそれにも似た、ブリッジ部のエレピ音およびグロッケンの共鳴だろう。このような内省を包含する歌詞や楽想は、ボーカリストMegumiの持ち味であるリリカルな存在感と、これ以上なく調和する。Megumiの硬質なボーカルとファルセットには、ペンクラの歴代ボーカリストの中でも最もBrian Wilsonのそれらに近い資質が含まれると思う。この「Jump Over Time」に於いては、「My New Melodies」の項でも述べたMegumiの様々な技巧に、より等身大かつフィジカルな魅力が加わる。打点一つ一つを踏みしめるかの歌い回しはビートの行方を定め、各コーラス部のハスキーな締め括りは思わず息を呑むほどの審美を突き付ける。

「Jump Over Time」のフォークロック的な楽想は、Sandy Dennyの「It'll Take A Long Time」および、タイトルに小さな縁を感じる「Listen, Listen」もイメージさせる。また、この両曲が収録された1972年のアルバム『Sandy』や、Sandy Dennyが象徴的なボーカリストとして在籍した時期のFairport Conventionのアルバムが、アメリカではA&M Recordsからのリリースであったことは、図らずも5thアルバム『Garden Of The Pen Friend Club』と本作『The Pen Friend Club』との連続性を物語る。

本作『The Pen Friend Club』はコンセプチュアルなトータル・アルバムでありながらも、収録曲全てが甲乙付けがたく、それぞれが単独で完結する名曲揃いだ。それゆえ一番好きな曲は文字通りその日の気分で変わるものの、私はとりわけこの「Jump Over Time」を選ぶ頻度が高い。曲の核心で燃え盛る内省が、『Pet Sounds』の匂いを強く感じさせるからかもしれない。CD版とは曲順の異なるレコード版では、この曲はB面のトップを飾る。

 

「People In The Distance」

(作曲:西岡利恵 / 作詞:Youth Yamada)

と言えど、西岡作曲の「People In The Distance」を本作『The Pen Friend Club』収録曲の中で最も好きだと思う日もまた多く。本作を代表するスケール感のあるこの曲を、同じく西岡作曲の「The Sun Is Up」とのカップリングでシングルカットする構想もあったという。その「The Sun Is Up」と同じく明らかな新機軸を打ち出す楽想ながらも、強烈に想起させるほろ苦い郷愁は、ポップ・ミュージック史上数々のエバーグリーンな名曲達に匹敵する貫禄だ。

Youth Yamadaによるこの曲の歌詞の冒頭(Looking up the sky in the dark / Is it truly making up your mind?)は、リカ作の前曲「Jump Over Time」の最後の歌詞(If you look up at the sky like today / You would say "Beautiful")とリンクし合うように思える。また、その歌詞は全編に亘り、本作収録曲の幾つかと同じく時勢が強いた距離感を背景とし、そこに窺える"揺るぎない意志への決意"のトーンをより色濃くし、より能動的な行動を促す。

「60年代後半ロック」というざっくりとした仮題が付された、西岡による歌詞のないハミングでの弾き語りデモを初めて聴いた時は、歯切れのいいギターのストロークも相俟って、同じくざっくりとした感想ながら、The Great Societyの「Someone To Love」(1966年)やShocking Blueの「Venus」(1969年)に近い印象を受けた。

当時の女性ボーカル・ロックの代名詞のような佇まいの「Venus」は、後にThe Mamas & the Papasを結成するCass Elliotを擁するThe Big 3のTim Roseが書いた「The Banjo Song」(1963年、Jimi Hendrix関連の仕事だけで語られるべきではないプロデューサー、Alan Douglasが手掛けた同年のアルバム『The Big 3』に収録)を下敷きとした曲で、その「The Banjo Song」も、1848年にStephen Fosterが書いたミンストレル・ソング「Oh! Susanna」を基とした曲である。

Jefferson Airplane版(1967年)でより知られ、同じくGrace SlickのボーカルによるThe Great Societyの「Someone To Love」は、サンフランシスコのAutumn Recordsの傍系レーベルNorthbeach Recordsからリリースされた。プロデュースはAutumn RecordsのスタッフだったSylvester Stewart(後のSly Stone)。ローカル・レーベルと言えど、Autumn Recordsのディスコグラフィーにはサーフ、ノベルティ、フラットロック、カントリー、ソウル、R&B、フォークロック、ガレージ、サイケデリックなど当時のシーンに一石を投じた多岐にわたるジャンル作品のリリースがある。The Beach Boysもアルバム『The Beach Boys Today!』(1965年)でカバーした「Do You Want to Dance(「Do You Wanna Dance?」)」(1958年)でも知られるBobby Freemanの、Autumn Recordsからのリリース作「C’mon and Swim」(1964年、Sylvester Stewart作・プロデュース)は”SWIM”ダンスを流行させた。Autumn Recordsの興味深いリリースには、同じくSylvester Stewartが手掛けたと言われるThe Upsetters(スカ・グループ、Lee Perry、Little Richard何れとも無関係)のホットロッド・ソング「Draggin' The Main」(1964年)もある。在籍したガレージ/フォークロック・バンド、The Tikis、The Mojo Men、The Beau Brummelsは、Autumn Recordsの1966年の閉鎖、Warner Bros. Recordsへのレコーディング契約の売却に伴いWarner-Repriseの所属となり、プロデューサーのLenny WaronkerやVan Dyke Parksらと共にバーバンク・サウンドの歴史を紡いだ。

「People In The Distance」は、フォークロック、ガレージ、サイケデリック・ロックをベースにすると思われるシンプルなメロディながらも、やや不穏なヴァースと解放的なコーラス部とのコントラストなど、Carole Kingの作風にも近い印象を受ける。「Floating To You」の項でも触れた、The Righteous Brothersの「Just Once In My Life」を作曲したCarole Kingは、同じく同項で触れた「You've Lost That Lovin' Feelin'」「Guess I'm Dumb」「Sherry She Needs Me」等の源流とも言えるThe Crystalsの「He Hit Me」(1962年)の作者でもある。職業作曲家、後にシンガーソングライターとして大成したCarole Kingとサイケデリック・ロックとの接点は一見ほぼなさそうだが、「The Sun Is Up」の項でも触れたThe Byrdsは、重要作『The Notorious Byrd Brothers』(1968年、Gary Usherプロデュース)に於いて、唯一のグループ外の作家作品として、Gerry Goffin/Carole King作の2曲(「Goin' Back」「Wasn't Born To Follow」)を採り上げている。サイケデリックな"magic catpet ride"のワードを歌詞に含む「Goin' Back」のオリジナルはDusty Springfield(1966年)だが、「Wasn't Born To Follow」はThe Byrds版がオリジナル・レコーディング。「Wasn't Born To Follow」のカバーには、ペンクラにも大きな影響を与えたThe Trade WindsのリリースもあるKama Sutra Recordsから分派した、Buddah Records(後にKama Sutraの親レーベルとなる)所属のバブルガム・サイケ・バンド、The Lemon Pipers版(1968年)や、Carole King自身のソロ活動の始まりであるグループ、The City版などがある。同曲が収録されたThe Cityのアルバム『Now That Everything's Been Said』(1968年、Ode Records、Lou Adlerプロデュース)の「Victim Of Circumstance」には、共に1966年作品であるThe Beatlesの「Got to Get You Into My Life」やThe Beach Boysの「Good Vibrations」からの影響も窺える。The CityのアルバムやCarole Kingのソロ・デビュー・アルバム『Writer』(1970年、上述「Goin' Back」のセルフ・カバーも収録)には、フォークロック、カントリーロック、サイケデリック・ロックなど、時流と連動したテイストのアレンジが、ほどよく施されている。そう考えれば、その『Writer』冒頭の「Spaceship Races」経由で、代表作である次作『Tapestry』(1971年)冒頭の「I Feel the Earth Move」にも、Jimi Hendrixの「Purple Haze」(1967年)からのほのかな影響など、1960年代末のサイケデリック・ロックの残り香を感じ取ることができる。

また、上述したThe Byrdsの『The Notorious Byrd Brothers』制作時にレコーディングされたものの、Goffin/King作の「Goin' Back」に押し出される形で収録が見送られた「Triad」のオリジナル・バージョンは、「Our Overture」の項で触れたWebVANDAサイトでのインタビューに於いて、平川、西岡共に本作『The Pen Friend Club』の制作にも影響を及ぼしたと述べているBuffalo Springfieldの「For What It's Worth」(1966年)と同じく、ヴァースでのエレキのハーモニックスが特徴的だ。この曲は後に、作者のDavid CrosbyによりJefferson Airplaneに提供された(1968年のアルバム『Crown of Creation』に収録)。ペンクラの4thアルバム『Wonderful World Of The Pen Friend Club』収録の「微笑んで」、5thアルバム『Garden Of The Pen Friend Club』収録の「僕と君のメロディ」にも「For What It's Worth」からの影響が窺える。同じく両曲とイメージを重ねることができるThe Beatlesの「Dear Prudence」(1968年)の歌詞に"The Sun Is Up"のワードが含まれていることに、今これを書きながら気付く。

グループによる編曲と演奏により完成した「People In The Distance」にも、「The Sun Is Up」でのプレイと同じくメロディックなパターンを打ち出しつつ、The Great Society版の「Someone To Love」のような肉感的な息遣いを感じさせるドラムスや、ヴァース部でのピアノとベースおよび不協和音を伴うエレキの分散和音が織りなすカレイドスコープのような音の網に、フォークロックやアシッド感を差し引いたサイケデリック・ロックからの影響が垣間見える。最もデモの曲想を引き継ぐアコギは、アレンジに溶け込みつつ随所でリズムを先導するアクセントを打ち込む。「My New Melodies」「Jump Over Time」各項でも言及した通りの名唱が続くMegumiのボーカルは、この曲を形容すべく上述した「Someone To Love」や「Venus」のそれらとは異なる、楽想に沿う内省を踏まえたキャラクターながら、同じくノンファルセットでの力強いスタイルを用いた、本作でも屈指の名演だ。

サックスとピアノによる各ソロパートは、楽想をペンクラならではの物に転じる役割を果たす。抒情的な抑揚を携えた間奏部のサックスは、その木管のふくよかさがむしろ逆説的な感傷を搔き立てる。のみならず、前衛的な知性を演出するかのごとく加えられた僅か数ノートの重奏が、「Our Overture」でのそれ以上のニュー・ウェイヴ感を付与する。本作で初めてフォーカスされるピアノは、エンディングに於いて間奏でのサックスの温もりと対を成す。その冷たい雨音や小さく輝く宝石のような調べは、最後に初冬の澄み切った空のごとき余韻をもたらす。

こうした、イントロからエンディングまで過不足なき黄金比のようなボーカル&アレンジにより、この曲はもはや便宜上伝統的ポップスの定型を借りたに過ぎない、最新のアート作品であるかの風情すら醸す。西岡が上述のWebVANDAサイトに定期的に寄稿している、広範で深い探求心に基づく音楽嗜好についての記事を読めば、作品に込められた意図をより深く紐解くことができるかもしれない。また、西岡は本作に於いてブックレット内の挿絵も手掛けており、新たな才能でグループに貢献している。

「You Know You've Heard That Before?」

(作曲:平川雄一 /  作詞:Youth Yamada)

 

1stアルバムに収録のオリジナル曲「I Fell In Love」に端を発する、ペンクラのサウンド・トレードマークの一つである艶やかなアルペジオのイントロが、「People In The Distance」の項で触れたThe Tikisを前身とするHarpers Bizarreの「Mad」(1968年、アルバム『The Secret Life Of Harpers Bizarre』に収録)のようなポップで軽快な曲展開を導き…とはならず、まずは同じカリフォルニアの同時代のグループであるLoveの「You Set The Scene」(1967年作、収録されたアルバム『Forever Changes』は、「Ketzal」の項で触れたThe SandpipersなどA&M Recordsの多数の作品や、The Beach Boys作品では1966年の「Here Today」に於いてエンジニアを務めたBruce Botnickの仕事でもある)を思い起こす。と言えど、この「You Know You've Heard That Before?」の曲想は、Harpers Bizarreのメンバーであり「Mad」の作者の一人でもある後の大物プロデューサー、Ted Templemanが手掛けた1970年代のウェストコースト・ロックを代表するグループの一つであるThe Doobie Brothersの「White Sun」(1972年、アルバム『Toulouse Street』に収録)や、「Jump Over Time」の項でも触れたChicagoの「Fright 602」(1971年『Chicago Ⅲ』に収録)をも彷彿とさせる。楽曲の雰囲気のみならず、その「White Sun」と「Fright 602」の歌詞には、共に本作『The Pen Friend Club』にも頻出する"太陽"の描写も含まれる。

 

さておき、私もそうだったがアルバム『The Pen Friend Club』から多くの方が受けたであろう"英国的"な第一印象については、本稿で何度か言及したWebVANDAサイトでのインタビュー記事に於いて、西岡がPentangleの「Let No Man Steal Your Thyme」(1968年)を、リカがHeronの「Harlequin 2」(1970年)を、本作での作曲に於けるインスピレーションの源に挙げていることからも一つの根拠を得られる。「Jump Over Time」や「People In The Distance」の項でも述べた通り、そんなリカと西岡の作曲作品は本作の核心を形作るが、それら作品の制作工程に於いて、これまでのアルバムと同じく編曲、演奏、ミキシングの実践と様々なディレクションなど遍く、リーダー平川が果たした役割がやはり最も大きかっただろうこともまた、想像に難くない。その平川が書いた「You Know You've Heard That Before?」には、西岡とリカの作品を含む『The Pen Friend Club』収録曲ならではの制作経緯が垣間見えるように思う。この曲は当初(2020年6月時点)の全12曲のアルバム用デモ楽曲群には含まれていなかった。恐らく平川は『The Pen Friend Club』制作の中盤以降に、西岡とリカのデモの作風を承けそれらに呼応する形で、サウンド・コンセプトをより明確にすべくこの「You Know You've Heard That Before?」を追加、作曲したのではなかろうか。上述した本作『The Pen Friend Club』から受ける"英国的"な第一印象は、私にとっては本作収録曲中最もサイケデリック・ロック/ブリティッシュ・フォークロック色が濃厚な、この曲に依るところが大きい。平川・西岡・リカそれぞれの志向の交叉による新たな化学反応が生み出したであろう「You Know You've Heard That Before?」はペンクラでの平川作品の新しい扉を開き、アルバム『The Pen Friend Club』最終セクションの幕を開く。ここから先は、前作までペンクラのオリジナル作品の作曲を全て一人で手掛けてきたエース・ソングライター、平川雄一作品3連荘の独壇場。本作は一気に終幕へと向かう。

 

「You Know You've Heard That Before?」の英国フォーク/サイケデリックな楽想をそのまま言語化したかの、歌詞全編を覆う静かな森のイメージは、The Beach Boys作品であれば、収録曲の多くでサイケデリックなオルガンの揺らめきが通奏低音を成す点でも本作『The Pen Friend Club』のサウンド・コンセプトと縁深く、緑深い森の中のスマイル・ショップ、8輪の花、動物や鳥がジャケット・アートワークにあしらわれた『Smiley Smile』を思い起こさせる。同じく歌詞は「At Least For Me Tonight」での内省を示唆する"Dig into your mind,there is something you've never seen""Tell yourself to hear,tell yourself to see you're the one"や、同じく「Jump Over Time」の"Can you hear me?""Your own inner voice""Your own inner sounds""Listen carefully"といった言葉たちともリンクしつつ、さながら本稿冒頭にも書いた"うごめく得体のしれない巨大な存在"との対峙を思わせる、どこかスピリチュアルな謎かけのようでもある。"Strangely high note,coming from the deep hole"の一節を、その"得体のしれない存在"や、「Our Overture」で挿入される不穏なヒスノイズに重ねてみたくもなる。

 

イントロのアルペジオや、コーラス部に現れるThe Ronettes「Be My Baby」のイントロと同パターンの力強いバスドラムのキックは、同じくHal BlaineがドラムスであるSimon & Garfunkelの「The Boxer」(1969年)を想起させる。思えば「At Least For Me Tonight」での祝砲のようなスネアも。「The Boxer」が収録されたアルバム『Bridge Over Troubled Water』(1970年)のタイトル・トラック(邦題「明日に架ける橋」)は、Hal Blaine、Larry Knechtel、Joe Osbornらレッキング・クルーによる演奏で、The Righteous BrothersやThe Beatlesの「Let It Be」(1970年)などPhil Spectorが手掛けた作品を意識した音像である。Simon & Garfunkelと言えば、本作『The Pen Friend Club』のジャケット・アートワークはアルバム『Bookends』(1968年)のモノトーンのそれの印象にも近い。

 

Simon & Garfunkelもペンクラ同様、フォークロック、サイケデリック・ロック、上述したウォール・オブ・サウンド全てに跨る作品を残している。デビュー作『Wednesday Morning, 3 A.M.』(1964年)、サイケ色の濃い傑作『Parsley, Sage, Rosemary And Thyme』(1966年)、The Millenniumのアルバム『Begin』(1968年)とレコーディング技術面で姉妹作とも言える上述の『Bookends』、ラスト・アルバム『Bridge Over Troubled Water』等に於いて、エンジニア/プロデューサーとして関わったRoy Haleeは、「People In The Distance」の項でも触れたThe Byrdsのアルバム『The Notorious Byrd Brothers』と『Sweetheart Of The Rodeo』(共に1968年作品、当時Columbia Recordsのスタッフ・プロデューサーとして上述の『Bookends』にも関わったGary Usherがプロデュース)のエンジニアでもある。エンジニア/プロデューサーとして、他にもLaura Nyroの『New York Tendaberry』(1969年)、Blood, Sweat And Tears『Blood, Sweat And Tears』(1968年、「Jump Over Time」の項で触れたJames William Guercioがプロデュース)など数多の作品を手掛けているが、エンジニアを務めた見逃せない仕事として、クリーブランド出身のボーカル・グループ、Snow唯一のサイケデリック・アルバム『Snow』(1968年)がある。本作は、The Four Seasonsの作品等でのDenny RandellやBob Creweとの仕事で知られるソングライター/プロデューサーであるSandy Linzerのプロデュース作品でもあり、同じくThe Four Seasonsを始め無数のヒット曲のアレンジャー/プロデューサーであるCharles Calelloが編曲を手掛けている。このSandy Linzer、Denny Randell、Bob Creweが共作、Charles Calelloが編曲を手掛けた曲には、ペンクラも2ndアルバム『Spirit Of The Pen Friend Club』に瑞々しいカバーを記録した、The Rag Dollsの「Dusty」(1964年)もある。また、2019年にはMurry WilsonとThe SunraysのRick Hennが共同でプロデュースを手掛けた、このSnowの未発表音源「Break Away」「We're Together Again」(1969年録音、共にThe Beach Boysのカバー)を含む4曲が、発掘リリースされている。

 

エンジニア、Roy Haleeの参加作品としてもう一つ押さえておくべきは、上述のThe Millennium『Begin』と共に、Curt Boettcher、Gary Usher関連およびサンシャイン・ポップ、サイケデリック・ロック史の最高傑作の一つであるSagittariusのアルバム『Present Tense』(1968年)である。アルバムに先行したGary Usherのプロジェクト作品(まだCurt Boettcherは参加していない)「My World Fell Down」(1967年)は、コーラスにBruce Johnston、Terry Melcher、Gary Usherが参加、演奏はCarol Kaye、Hal Blaine、Larry Knechtelらレッキング・クルーの面々で、The Ivy Leagueの原曲(1966年)と同じく、特に印象的な輪唱ハーモニーなど、The Beach Boysの「God Only Knows」(1966年)からの影響が色濃い編曲が施された、言わずもがなの名カバーだ。なお、ペンクラは上述の2ndアルバムにて、このカバーのリードボーカルであるGlen Campbellの「Guess I'm Dumb」(1965年)、「Wichita Lineman」(1968年)を、3rdアルバム『Season Of The Pen Friend Club』では「By The Time I Get To Phoenix」(1967年)を、それぞれ採り上げている。また、Curt Boettcherが書いた『Present Tense』の収録曲、「Musty Dusty」の共作者であるTandyn Almerは、The Beach Boysの「Marcella」(1972年)、「Sail On, Sailor」(1973年)の共作者の一人でもあり、1970年代始め頃、Brian Wilsonとは親友レベルの間柄だった人物。ペンクラが初めてサイケデリック・ロックを前面に打ち出した2020年のシングル曲「Along Comes Mary」(オリジナルは1966年のThe Association版)の作者でもある。The Associationがアメリカのバラエティ番組"The Smothers Brothers Comedy Hour"(1967年4月9日放映)に出演した際の、「Along Comes Mary」演奏前のMCで、メンバーは音楽業界の過剰な商業化に対する風刺を込め、機械仕掛けの演奏者(Music Machine)の寸劇を演じている。このアイデアは、前年11月リリースの「Talk Talk」がビルボード20位を記録したガレージ・パンク・バンド、The Music Machineと無関係ではないと思う。後に大物プロデューサー、アレンジャー、エンジニアとなったThe Music MachineのベーシストKeith Olsenの、2012年のインタビューによれば、ミシガン大学の同窓生でもあったCurt Boettcherがプロデュースを手掛けた、上述のThe Association「Along Comes Mary」や「Cherish」(1966年)、Tommy Roeの「Sweet Pea」や「Hoorah For Hazel」(共に1966年)に自身も携わったと言う。これらの仕事はColumbia Recordsの社長、Clive Davisの目に留まり、上述のGary Usherと同じくCurt BoettcherとKeith Olsenは同社のスタッフ・プロデューサとなる。二人は同じく上述のThe Byrdsの『Sweetheart Of The Rodeo』や、2台のAmpex製8トラック・レコーダーを同期させ史上初の16トラック・レコーディングとなったSimon & Garfunkelの『Bookends』の収録曲「At The Zoo」の制作にも関わった。そのCurt Boettcher、Keith Olsen、Gary Usherが次に手掛けたのが、史上2番目の16トラック・レコーディング作品となるThe Millenniumの『Begin』だ。上述の「Cherish」でも印象的なチェレスタを弾いた、同じくThe Music Machineのメンバーであるオルガン奏者/ベーシスト/サックス奏者のDoug Rhodesと、同じくThe Music Machineのドラマーであり、Curt Boettcherが在籍したフォーク・カルテットThe Goldebriarsの末期メンバーでもあったRon Edgarもまた、The Millennium『Begin』およびSagittarius『Present Tense』両作のバッキング・トラックに全面的に参加している。そのSagittariusのセカンド・アルバム『The Blue Marble』(1969年)では、The Beach Boysの「In My Room」(1963年、Brian WilsonとGary Usherの共作曲)を冒頭に採り上げている。Gary Usher、Curt Boettcher、Keith Olsen共同プロデュースによるこのカバーにも、ノンクレジットながら演奏の特徴からRon EdgarとDoug Rhodesは参加していると思われる。「You Know You've Heard That Before?」の間奏部での、ペンクラ史上最もハードな音像を立ち上げるドラムスは、The Millenniumの『Begin』冒頭に収録された、このRon EdgarとDoug Rhodesの共作曲「Prelude」に於ける、ブレイクビーツへの転用を容易に想定できるほどの確固たる特徴を持つビート感にも通ずる印象だ。

 

「You Know You've Heard That Before?」最大のハイライトは、何といってもMegumiが奏でるこの間奏部のフルート・ソロだ。審美的かつ堅牢な演奏が特徴のギタリスト/ピアニストでもあるMegumiのミュージシャンシップが、最も高い熱量を伴い展開される。また、トリルがふんだんに組み込まれたフルートの主旋律と共に、さながらThe Millennium/Sagittariusでの上述のDoug Rhodesのごとき、サイケデリックなベースの対旋律が並走する。このフルートの意匠から、ここでもSimon & Garfunkelの「El Cóndor Pasa (If I Could)」(1970年、邦題「コンドルは飛んでいく」)のカバーを思い起こす。Daniel Alomía Roblesが1913年に書いたペルーの第2国歌でもあるこの曲のイメージは、「Ketzal」の項で触れた、1960年代のA&M Records作品に顕著な中南米オリエンテッドな志向性にも通ずる。

 

また、このフルート・ソロを含む「You Know You've Heard That Before?」の曲構成は、Chicagoの「Fancy Colours」(1970年、『Chicago Ⅱ』に収録)も想起させるが、この曲の冒頭の歌詞にも"太陽"が配されると共に、「At Least For Me Tonight」の項でも触れたサイケデリックな三秋の季語"朝露(Morning Dew)"が含まれる。ところで、「People In The Distance」の項で触れた「Venus」の元曲を書いたTim Roseの代表曲にもカナダのシンガーソングライター、Bonnie Dobsonとの"共作"とされる「Morning Dew」(1967年)がある。1962年のオリジナル版を書いたBonnie Dobsonが早々に歌詞をパブリックドメインとしてしまった「Morning Dew」を、「Come Walk Me Out」のタイトルで最初にカバー・リリースしたのは上述Curt Boettcherの在籍したThe Goldebriars(1964年、アルバム『The GoldeBriars』に収録)だが、この「Morning Dew」にはBonnie Dobsonが歌詞改編の独自性を認めるVince Martin & Fred Neil版(1964年)を始め、1971年4月27日に行われたFillmore Eastでのライヴに於いてThe Beach Boysとの共演も果たしたThe Grateful Dead(1967年)、The West Coast Pop Art Experimental Band(1967年、「Will You Walk With Me」のタイトルで)、ペンクラ版も1stアルバム『Sounds Of The Pen Friend Club』で聴ける「New York's A Lonely Town」のカバー(オリジナルは1965年のThe Trade Winds版)および同曲を改編した「London's A Lonely Town」(Brian Wilson、Bruce Johnston、Terry Melcher、Gary Usher、Curt Bottcherが参加した"Equinoxセッション"による)を1976年にレコーディングしたDave Edmundsが率いたThe Human Beans(1967年)、若きPhil Spectorのサウンド・メイキングに於ける技術的な師の一人でもあったLee Hazlewood(1968年)、Jeff Beck Group(1968年)および、ペンクラの2021年のシングル曲「Chinese Soup」(荒井由実の1975年作品のカバー)とも縁のあるBeck, Bogert & Appice(1973年)、他にもEinstürzende Neubauten(1987年)やDevo(1990年)など、多くのカバー版が存在する。

 

後にDeep Purpleに加わるIan GillanとRoger Gloverが在籍したEpisode Six(1967年)も「Morning Dew」をカバーしているが、Deep Purpleの創設期メンバーのうち、オルガンのJon LordとベースのNick SimperがDeep Purple結成直前にバックを務めていたのが、The Beach Boysの影響が濃厚な「Let's Go To San Francisco」(1967年)のヒットで知られるイギリスのグループ、The Flower Pot Men。この曲の作者の一人John CarterはThe Ivy Leagueのボーカル/メイン・ソングライターでもあり、上述のSagittariusがカバーした同グループの「My World Fell Down」の作者でもある。Deep Purpleのバンド名の由来である、1933年にPeter DeRoseが作曲し1938年にMitchell Parishが歌詞を付けた、1939年の大ヒット曲「Deep Purple」は、Glen Campbell、Billy Strange、Earl Palmerらレッキング・クルーの演奏による、Phil Spectorの旧友であるNino Tempo & April Stevens版(1963年)でも知られるが、このバージョンはThe Beach Boysのオリジナル・クリスマス・ソングである「The Man With All The Toys」(1964年)の編曲にも影響を与えたと思う。また「The Man With All The Toys」は、ペンクラも上述の1stアルバムでカバーした「When I Grow Up (To Be a Man)」(1964年)とも曲の構成が似ている。それぞれ聴き比べてみてほしい。The Beach Boysは1977年の未発表アルバム『Adult/Child』でも、ペンクラの6thアルバム『Merry Christmas From The Pen Friend Club』に最も影響を与えた2枚のアルバムのうちの一つである『The Beach Boys' Christmas Album』(1964年)でオーケストラ・アレンジを務めたDick Reynolds(The Four Freshmen作品での多くの仕事で知られるアレンジャー)を再び起用し、この「Deep Purple」を始め4曲をレコーディングしている。なお、ペンクラのリーダー平川は本作『The Pen Friend Club』のジャケット・アートワークのアイデアを、オルガン・モッド/サイケデリック・ファンにも人気のDeep Purpleのデビュー・アルバム『Shades Of Deep Purple』(1968年)のそれから取った、とSNSで述べたことがあるが、個人的には左記と併せThe Beatlesの『With The Beatles』(1963年)から、とも聞いたことがある。ちなみに『With The Beatles』は、上述したペンクラのクリスマス・アルバムに最も影響を与えた2枚のうちのもう一つ、Phil Spectorのクリスマス・アルバム『A Christmas Gift For You From Phil Spector』と全く同日の1963年11月22日にリリースされた。ともあれ、本作『The Pen Friend Club』のジャケットについては、その他にも思惑がありそうだ。

 

「Morning Dew」には、後のLed ZeppelinのベーシストでもあるJohn Paul JonesがプロデュースしたLulu版もある(1967年)。同じくLed Zeppelinのボーカリスト、Robert Plant版(2002年)も。また、Robert Plantは2013年にロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで行われたBert Janschトリビュート・ライヴで、上述したオリジナル版の作者Bonnie Dobsonと「Morning Dew」を共演カバーしている。Led Zeppelinと言えば、「You Know You've Heard That Before?」の間奏部のダイナミックなドラムスは同じくLed ZeppelinのJohn Bonhamのそれをも彷彿とさせ、イントロのアルペジオを始めとした全体的な曲想のイメージは、同グループ1971年のアルバム『Led Zeppelin IV』に収録の「Going To California」や、「Jump Over Time」の項でも触れたSandy DennyとRobert Plantのデュエット曲「The Battle Of Evermore」とも重なる。翌1972年、Sandy Dennyは「Our Overture」の項で触れた、The Whoのロック・オペラ『Tommy』のロンドン交響楽団版アルバムにも参加している。

 

間奏部でのフルートとベースの情熱的な対位メロディと対を成すかのごとく、その間奏部や各コーラス部を静かに締め括るアコギとグロッケンが奏でる煌びやかなリフは、この曲のブリティッシュ・フォークロック感を最も象徴する。ブリティッシュ・フォークロック作品の中でも、Nick Drakeのアルバム『Bryter Layter』(1971年)は、The Beach Boysの『Pet Sounds』からの影響が大きいと言われる。特にタイトル・トラックや「Fly」、「Sunday」でフィーチャーされるフルートやハープシコードは「Caroline, No」のそれを思わせる。また、「You Know You've Heard That Before?」のアコギのアルペジオは、同じく収録曲「Introduction」の印象とも重なる。本作にはFairport Conventionの面々やThe Velvet UndergroundのJohn Caleに加え、本作のプロデューサーであるJoe BoydのWitchseason Productionsに当時所属していた、The Beach Boysのツアー/レコーディング・メンバーのMike KowalskiとEd Carterも参加している。

 

アメリカ、ボストン生まれのプロデューサーJoe Boydは、ハーバード大学在学中からプロモーターとして本国のジャズ、ブルース、フォーク・シーンに携わり、1964年、22歳でElektra Recordsのロンドン・オフィス設立のため渡英。その後、プロデューサーとして上述のNick Drakeや、Fairport Convention、John & Beverley Martyn、Vashti Bunyan等、多くのブリティッシュ・フォーク/フォークロック作品のみならず、「Mind Connection」の項でも触れたMaria Muldaurの『Maria Muldaur』(1973年)、上述John Caleとの共同プロデュースでのNicoの『Desertshore』(1970年)、1980年代以降もR.E.M.、Billy Bragg、10,000 Maniacsのアルバム等を手掛けた。ロンドンのナイトクラブ"UFO Club"(1966年~1967年)の創設者の一人でもあり、UFO Clubのレギュラー出演者であったPink Floydのファースト・シングル「Arnold Layne」(1967年)や、Soft Machineの初期レコーディングをプロデュースした、英サイケデリック・ロックの仕掛人の一人でもある。そのUFO Clubにも出演したThe Incredible String Bandについては、Joe Boydの最初のプロデュース作品でもあるElektra Recordsからの1stアルバム『The Incredible String Band』(1966年)以降、8thアルバムまでを一貫して手掛けている。その1stアルバムや2ndアルバム『The 5000 Spirits Or The Layers Of The Onion』(1967年)を始め、Joe Boydが手掛けたThe Incredible String Bandの1960年代の数々の名作を覆うトーンは、The Beach Boysの『Smiley Smile』とはまた違う角度から、直接的な制作上の意図の有無はともあれ本作『The Pen Friend Club』にも、細胞レベルで受け継がれているように思える。

 

上述のWebVANDAの記事で「The Sun Is Up」の着想の源と作者の西岡自身が言及した曲である「Let No Man Steal Your Thyme」が収録された、Pentangle(創設メンバーの一人であるベーシストDanny Thompsonは、上述『The 5000 Spirits Or The Layers Of The Onion』にも参加)の1stアルバム『The Pentangle』(1968年)を手掛けたShel Talmyもまた、シカゴ生まれのアメリカ人プロデューサーである。Jerry Leiber、Herb Alpert、Phil Spectorも通ったロサンゼルスのFairfax High Schoolを卒業後、レッキング・クルーの面々とも関わったConway Recording Studiosでのレコーディング・エンジニアの仕事を経て渡英、親友でありThe Beach Boysのプロデューサーを務めていたNick Venetから託された「Surfin' Safari」等のアセテート盤を足がかりに、Decca Recordsの独立プロデューサーとなり、The Whoの1stアルバム『My Generation』(1965年)や同時期のシングル曲、The Kinksの1st~5thアルバム(1964年の『Kinks』から1967年の『Something Else』まで)などを手掛けた。そのうち、The Whoの1stシングル「I Can't Explain」(1964年)には、上述のThe Ivy Leagueのメンバーがバッキング・ボーカルとピアノで参加、B面曲「Bald Headed Woman」にはJimmy Pageが参加している。同じくShel Talmyが手掛けた「Bald Headed Woman」のThe Kinks版(1stアルバムに収録)にも、同じく上述のJon Lordがピアノとオルガンで参加している。

 

また、西岡が上記記事に於いて同じく『The Pen Friend Club』に纏わる曲として、ブルー・アイド・ソウル的楽想の「Before And After」(1965年)を挙げた、ロンドンのフォーク・デュオChad & Jeremyについても、Shel Talmyは1964年のファースト・アルバム『Yesterday's Gone』を手掛けている。Chad & Jeremyの作品であれば、上述のSagittariusをも彷彿とさせるフォークロック/サイケデリック・アルバムである、Gary Usherが手掛けた『Of Cabbages And Kings』(1967年、James William Guercioが書いた「I'll Get Around To It When And If I Can」も収録)と『The Ark』(1968年)もまた、本作『The Pen Friend Club』のサウンド・コンセプトに通ずると思う。同じくJames William Guercioが書いた、フォークロック/サイケデリック風味の美しいメロディーを持つタイトル曲や、Paul Simonが書いた「Homeward Bound」(邦題「早く家に帰りたい」)のファースト・レコーディング版を含むアルバム『Distant Shores』(1965年)もまた重要だ。同作のプロデューサーの一人であるLarry Marksは、上述のSagittariusも採り上げた「Glass」(オリジナルは1967年のThe Sandpipers版)や、Bruce & Terry版(1965年)やHarpers Bizarre版(1967年)で知られる「Come Love」、左記The Sandpipersと同じくA&M Recordsリリース作品であるRoger Nichols Trioの「Love Song, Love Song」(1966年)を書いたソングライターでもある。なお、ペンクラは5thアルバム『Garden Of The Pen Friend Club』で、Roger Nichols & The Small Circle Of Friendsの「Don't Take Your Time」(1968年)をカバーしている。Larry Marksのプロデュース作品には、The Garden Clubのシングル「Little Girl Lost-And-Found / I Must Love Her」(1967年4月にA&M Recordsよりリリース、同年「花のうしろで/花の少女」の邦題でキングレコードから日本盤も発売された)もある。「Little Girl Lost-And-Found」の作・編曲者の一人は上述のTandyn Almer。ペンクラ・ファンとしては思わず反応してしまう"The Garden Club"なる名を冠した、このシングル限りのグループのメンバーは、The Associationの「Windy」(同1967年5月リリース)の作者Ruthann Friedmanと、同1967年にBrewer And Shipley(西岡のフェイバリットでもある)を結成するTom Shipleyの二人であるようだが、日本盤のジャケットにはもう一人男性が写っており、その風貌からTandyn Almerもこの謎のグループの一員なのかもしれない。そのTandyn AlmerとLarry Marksの共作曲であり、George MartinがプロデュースしたThe Action版(1967年)もある「Shadows And Reflections」は、Soft CellのMarc Almondも同タイトルを冠した2017年のアルバムでカバーしているが、オリジナルのThe Lownly Crowde版(1967年)で特に顕著であるように、「People In The Distance」の項で触れたThe Cityの「Victim Of Circumstance」と似たアプローチでの、The Beach Boysの「Good Vibrations」の影響下にある曲の一つだと思う。The Garden Club以上に正体不明であり、同じくシングル1枚限りのグループである、このThe Lownly Crowde版のプロデューサーはTom Wilson。Sun Raのファースト・アルバム(1956年)、Bob Dylanの2ndアルバム『The Freewheelin' Bob Dylan』(1963年)からシングル「Like A Rolling Stone」(1965年)に至るまでの4枚のアルバム、Simon & Garfunkelの『Wednesday Morning, 3 A.M.』(1964年)と『Sounds Of Silence』(1965年)、Van Dyke Parksのシングル「Come To The Sunshine / Farther Along」(1966年、オリジナル曲「Come To The Sunshine」は翌1967年にHarpers Bizarreがカバー、作者不詳のアメリカ南部のゴスペル・ソング「Father Along」のカバーには、1970年のFlying Burrito Brothers版や1971年のThe Byrds版もある)、Frank ZappaやThe Animalsの複数のアルバム、The Velvet Undergroundの『The Velvet Underground & Nico』(1967年)と『White Light/White Heat』(1968年)、Soft Machineの1stアルバム(1968年)など多くの名作を手掛けた大物プロデューサーが、この名もなきグループのシングルを手掛けた経緯は全く分からない。またTom Wilsonは、上述の『The Velvet Underground & Nico』に続き、同年にはNicoのアルバム『Chelsea Girl』のプロデュースを手掛けた。ストリングスとフルートの編曲は、Van Morrisonの歴史的傑作である『Astral Weeks』(1968年)の編曲も手掛けたアレンジャーのLarry Fallon。「Our Overture」の項で触れた、The Rolling Stonesの「Gimme Shelter」の編曲もLarry Fallonが手掛けたとのことだが、真偽は未確認。アルバム『Chelsea Girl』では、全10曲中5曲にThe Velvet Undergroundのメンバーが演奏および曲提供で参加しているが、その他の5曲には当時18歳にしてElektra Recordsの音楽出版社Nina Musicのスタッフ・ライターを務め、Nicoとは恋仲にあったJackson Browneが、ギターおよび3曲の曲提供で参加している。冒頭のJackson Browne/Gregory Copeland作の「The Fairest Of The Seasons」の曲想は、上述した翌1968年作品であるSagittariusの『Present Tense』冒頭曲、「Another Time」のそれに重なるようにも思える。Jackson Browneの参加曲全編で聴くことができる繊細なアルペジオもまた、「You Know You've Heard That Before?」のイントロやヴァースの印象に帰結する。

 

「You Know You've Heard That Before?」が脳裏にイメージさせる深く静かな森。その入口近くをうろついてみたところで、追い求める類の音楽ですら、"類似と表象"がごちゃ混ぜになったエピステーメーの中で人間が重ねた営みに過ぎないとの思いが深まるばかり。深奥に"うごめく得体のしれない巨大な存在"の姿なぞ、結局影も形も。ひとまず、ペンクラが辛うじてまだ現在と地続きであるかもしれないこのエピステーメーに正面から向き合い、比類なきクオリティを伴うアプローチを以て、ジャンルや国境や時代性を"波打ちぎわの砂の表情のように消滅"させ続ける、現存唯一のバンドであるということだけは、私にもはっきりと言える。

「Beyond The Railroad」

(作曲:平川雄一 /  作詞:Youth Yamada)
 
本作『The Pen Friend Club』発売に先駆け公開された「Beyond The Railroad」のMVには、同じく平川が制作した衝撃的な「The Sun Is UP」のMVの印象から一転、我々のよく知る、メンバーたちの屈託なき笑顔が満ち溢れる。大きなブレスからの開放的なハーモニーに始まるこの曲は、晴天を突き抜ける清涼感とぶっちぎりの多幸感を携えた、文字通りのペンクラの真骨頂だ。ヴァースのリズムはペンクラが1stアルバム『Sounds Of The Pen Friend Club』でカバーしたThe Ronettesの「Do I Love You」(1963年)を、ブリッジの上昇コードは同じく1stアルバムにカバーが収録されたThe Beach Boysの「Darlin'」(1967年)を、それぞれイメージさせるが、活動最初期からのレパートリーであり、ペンクラを象徴するこれらカバー曲を、これほど直接的に想起させるオリジナル曲は、実はペンクラのキャリア史上初でもある。また、この曲の持つ爽快さは、同じくペンクラの1stアルバムに収録のオリジナル曲「I Sing A Song For You」のアイデアの源の一つである、Brian Wilsonの「The Spirit Of Rock And Roll」(1990年まで制作された未発表ソロ・アルバム『Sweet Insanity』収録曲、公式版は2006年にThe Beach Boysの未発表ライヴ&新録曲との編集盤『Songs From Here & Back』に収録される形でリリース)にも通ずる。「Ketzal」とは異なるアプローチながらも対を成すような飛翔感。タイトル通りまっすぐどこまでも続く線路やフリーウェイ、離陸直前の滑走路などのイメージ。本作『The Pen Frind Club』がもはや誰の目にも疑いなくそうであるように、いわゆる"名盤"とされるアルバムの終盤には、この「Beyond The Railroad」のようなカタルシスに満ちた名曲が必ずと言って良いほど含まれる。例えばDonny Hathawayの『Extension Of A Man』(1973年)の「I Know It's You」や、Nick De Caroの『Italian Graffiti』(1974年)の「Tapestry」のような。

「Beyond The Railroad」は、1960年代中期ウェストコースト・ロックの音楽性に正面対峙し続けたグループの10年の歩みの結晶であると同時に、初めて明確な意図を以てアプローチの時間軸を1970年代前半のそれらへと進めたオリジナル曲でもある。出発を合図するオルガンのグリッサンド、のびのびと軽やかなボーカルを乗せて走る蒸気機関車のピストン、ロッド、ホイールの力強い連動を思わせるベース、アコースティックギター、ドラムスのリズムセクション、汽笛のごとく柔らかくオーバードライブするエレキギター等、そのタイトルのみならず、こうした楽想が想起させる鉄道や地平線のイメージからは、さしずめ「You Know You've Heard That Before?」でも触れたThe Doobie Brothersの、1970年代前半のウェストコースト・ロックを象徴する曲の一つ「Long Train Runnin'」(1973年、同じく同項で触れたTed Templemanがプロデュース)を思い起こす。「Long Train Runnin'」の発売から丁度50年、来る2023年の4月にThe Doobie Brothersが来日ツアーを行う(発表されたメンバーはTom Johnston、Patrick Simmons、Michael McDonald、John McFee)ことにも、またも恐らくは全くの偶然ながらペンクラの歩みが引き寄せる縁、某の御業のような物を感じる。

有名な機関車(locomotive)ソングの一つに、Little Evaの「The Loco-Motion」(1962年)がある。機関車の車軸を真似たいわゆる電車ごっこのような振り付けの、当時流行したダンスの名前"Loco-Motion"を冠したこの曲の作者は、Gerry Goffinと「People In The Distance」の項でも触れたCarole King。同じく同項で触れた重要なGoffin & King作品であるThe Crystalsの「He Hit Me」(1962年)は、当時のGoffin & King夫妻のベビーシッターでもあったLittle Evaの発言がきっかけで書かれた曲でもある。なお、ペンクラは3rdアルバム『Season Of The Pen Friend Club』に於いて、このGoffin & Kingが書いたDarlene Loveの「A Long Way To Be Happy」(1965年にレコーディングされたものの当時未発表となった、Phil Spectorプロデュース作品)をカバーしている。因みに、大瀧詠一のソロ・デビュー曲「恋の汽車ポッポ」(1971年)は、イントロのリズムとジャケットのイメージをこのLittle Evaの「The Loco-Motion」から、そのタイトルをAnnette Funicelloの「Train Of Love」(1960年、Paul Anka作)の、森山加代子の日本語ロカビリー・カバー「恋の汽車ポッポ」(1961年、シングル「じんじろげ」B面曲)から拝借している。また、2021年にはペンクラの5thアルバム『Garden Of The Pen Friend Club』および6th『Merry Christmas From The Pen Friend Club』にも編曲で参加した、平川にとっては4th『Wonderful World Of The Pen Friend Club』制作時以来の、ミキシング技術および精神的な数少ない師匠筋にあたる"謎の音楽家"カンケが、「恋の汽車ポッポ第二部」をThe Beatlesの「Get Back」(1969年)ともマッシュアップさせつつ、原曲への深いリスペクトを感じさせるストレート・カバーを配信リリースしている。大瀧詠一作品については、ペンクラは4thアルバムで「夏のペーパーバック」を、5thアルバムで「水彩画の町」をカバー、Annette Funicelloについても2ndアルバム『Spirit Of The Pen Friend Club』で「The Monkey's Uncle」(1965年、Richard & Robert Sherman作、バッキング・ボーカルはThe Beach Boys)をカバーしており、これまでの活動に於いて上述の縁を遍く網羅している。

ここまで色々と喩えたものの、「Beyond The Railroad」制作に於ける最大のイメージの源となった2曲のうちの一つは、作者の平川自身の言及もある通り、Jackson Browneが1971年の自身のデビュー・アルバムのために書き始め、その後Glenn Freyが完成させEaglesの1972年のデビュー・シングルとなった、上述の「Long Train Runnin'」と同じく1970年代前半のウェストコースト・ロックを象徴する曲である「Take It Easy」だ。「You Know You've Heard That Before?」の項で触れた通り、職業作曲家時代のJackson Browneは、Nicoのアルバム『Chelsea Girl』の制作にも演奏を含めて深く関わり、提供曲のなかでも「These Days」は後に数多くのアーティストにカバーされている。そのうち本項で一つだけ挙げるならば、1974年の1stソロ・アルバム『Terry Melcher』に収録されたTerry Melcher版だろう。Bruce Johnstonがプロデュースしたこのアルバムには、Terry Melcherの母親のDoris Dayを始め、列挙し切れない程の豪華な面々が演奏参加している。Bruce JohnstonとTerry Melcherと言えば、Bruce & Terryの1966年のかけがえのない名曲「Don't Run Away」の、同曲に影響を受け書かれた山下達郎の1984年作「Only With You」のオブリガート・アレンジも引用した、ペンクラによるカバー(1stアルバムに収録)が必聴であることは言うまでもない。

上述のソロ・デビュー前のJackson Browneもスタッフ・ライターを務めていたElektra Recordsは、18歳のJac Holzmanが1950年に創設し、1960年代初頭までにフォーク・ミュージック普及の一翼を担った。Judy CollinsやPhil Ochs(4thアルバム以降はA&M Recordsに移籍)も所属、「You Know You've Heard That Before?」の項で触れた、Vince Martin & Fred Neilによる「Morning Dew」の重要なバージョンを含むアルバム『Tear Down The Walls』(1964年、後のCreamのプロデューサーでありMountainのベース/ボーカルでもあるFelix Pappalardiや、後にThe Lovin' Spoonfulを結成するJohn Sebastianも参加) もElektraのリリース作品だ。1960年代半ば以降、サイケデリック・シーンを牽引したレーベルでもある。Paul Butterfield Blues Bandの全オリジナル・アルバムや、The Velvet UndergroundのJohn CaleがプロデュースしたThe Stoogesの1969年の1stアルバム『The Stooges』や、続く『Fun House』(1970年)もElektraリリース作だが、ペンクラに関連するサイケデリック・アルバムであれば、Roger Nichols & The Small Circle Of Friendsの『Roger Nichols & The Small Circle Of Friends』(1968年)収録曲「Don't Go Breaking My Heart」や、代表的な自作曲「Our Day Will Come」の同グループ版(オリジナルは「The Sun Is Up」の項で触れたAllen Stantonがプロデュースを手掛けた、1963年のRuby And The Romantics版)の編曲者でもあるアレンジャー/ソングライターMort Garsonの、"The Zodiac"名義での作編曲作品集『Cosmic Sounds』(1967年)がある。『Cosmic Sounds』には、Phil Spectorが手掛けた1966年の「This Could Be The Night」でも知られるThe Modern Folk QuartetのCyrus Faryar、Steve BarriプロデュースのHal Blaineの1967年のアルバム『Psychedelic Percussion』でも電子楽器を担当したPaul Beaver、そのHal BlaineやCarol Kayeも参加している。

「You Know You've Heard That Before?」の項で触れたLoveの『Forever Changes』もまたElektraリリース作だが、同じく言及した同作のプロデューサー/レコーディング・エンジニアBruce BotnickはElektra Recordsでも多くの作品を手掛けている。Elektra Recordsでエンジニアを務めた作品としては、Loveの『Da Capo』(1966年)、Tim Buckleyの『Tim Buckley』(1966年、Jack Nitzsche、Van Dyke Parksも参加)、『Goodbye And Hello』(1967年)、『Happy Sad』(1969年)、Breadの1stアルバム『Bread』(1969年、ドラマーとしてJim Gordonに加え、上述した元The Music MachineのRon Edgarも参加)、The Doorsの1stアルバム『The Doors』(1967年)以降の5作品などがある。なお、『The Doors』には、レッキング・クルーの鍵盤奏者であるLarry Knechtelが、代表曲「Light My Fire」を始めとした収録曲5曲にベーシストとして参加している。ベーシストLarry Knechtelの本稿にも関わる参加作品としては、イントロでのグリスアップが印象的なThe Byrdsの「Mr. Tambourine Man」(1965年)、Simon & Garfunkelの「Mrs Robinson」(1968年)、The Beach Boysの「Bluebirds Over The Mountain」(1968年、「You Know You've Heard That Before?」の項で触れたEd CarterとMike Kowalskiや、他にJim Gordon、Daryl Dragonらが参加 ※ペンクラはDaryl Dragonが後に結成したCaptain & Tennilleの1973年の代表曲「Love Will Keep Us Together」を2ndアルバムでカバー)等がある。The Doorsについては、Bruce Botnickは1971年の6thアルバム『L.A. Woman』以降、それまでのPaul A. Rothchildに代わる形で、プロデュースも手掛けている。1960年代のガレージ、サイケデリック・ロックが最もハードに先鋭化した、MC5の1969年のデビュー作『Kick Out The Jams』(1969年)のプロデューサー、エンジニアも務めている。Elektra Records以外でもエンジニアとして、ペンクラの音楽性に関連する作品であれば、Van Dyke Parksの『Song Cycle』(1967年)、Buffalo Springfieldの『Buffalo Springfield Again』(1967年)、Roger Nichols & The Small Circle Of Friendsの『Roger Nichols & The Small Circle Of Friends』(1968年)にもBruce Botnickは携わっている。

Eaglesの「Take It Easy」のリリース元であるAsylum Recordsは、David GeffenとElliot Robertsが、上述のJackson Browneをシンガーソングライターとしてデビューさせるべく、Atlantic Recordsの傘下レーベルとして1971年に創設した。代表的な契約アーティストの一人、Joni MitchellのマネージャーでもあったElliot Robertsは、Buffalo Springfieldの解散以降、生涯を通じNeil Youngのマネージャーを務めた。The Beach Boysの「Sail On, Sailor」のカバーを含む、KGBのアルバム『KGB』(1976年)や、「Our Overture」の項で触れたYesの「Owner Of A Lonely Heart」を含むアルバム『90125』(1983年)のマネジメントも手掛けている。上述の通りJackson Browneを媒介とした繋がりもあるElektra RecordsとAsylum Recordsは、度重なるM&Aの動きの中で合併しElektra/Asylum Recordsとなった時期もある。その後も両レーベルは幾度も形を変えながら現在も存続している。
 
「Take It Easy」はロンドンのオリンピック・スタジオで録音された。制作を手掛けたのはGlyn Johns。Glyn Johnsは、The Beatles の1969年の『Get Back』セッションや、同年の『Abbey Road』の初期レコーディングも手掛けた、イギリスの大物プロデューサー、レコーディング・エンジニアである。The Whoの1971年のアルバム『Who's Next』から解散前最後のアルバム『It's Hard』(1982年)に至るまでの作品や、The Pretty Thingsの2ndアルバム『Get The Picture?』(1965年)の共同プロデュース、エンジニアも務めている。アメリカのバンド/アーティストのプロデュースであれば、Jefferson Airplaneと同郷であるサンフランシスコのSteve Miller Bandの、サイケデリック・ロック色の濃い1stアルバム『Children Of The Future』(1968年)から1969年の4thアルバムまで、および2ndアルバムまで同バンドのメンバーだったBoz Scaggsのソロ・アルバム『Moments』と『Boz Scaggs & Band』(共に1971年)を、1972年のEaglesの「Take It Easy」以前に手掛けている。エンジニアとしては、Georgie Fameの『Rhythm And Blues At The Flamingo』(1964年)、Small FacesのDeccaからの1stアルバム(1966年)や『From The Beginning』(1967年)、Immediateからの2ndアルバム(1967年)および『Ogdens' Nut Gone Flake』(1968年)、「You Know You've Heard That Before?」の項で触れた、Shel Talmyプロデュース作品でもある『The Pentangle』(1968年)、The Moveの『The Move』(1968年)と『Shazam』(1970年)、The Clashの『Combat Rock』(1982年)等々、書くほどに書き切れない作品が忍びなくなるほどに、手掛けた名盤は枚挙に暇がない。中でもペンクラ・ファンにとっては、プロデューサーのAndrew Loog OldhamがThe Beach Boysの『Pet Sounds』を強く意識して手掛けた、Billy Nicholsのアルバム『Would You Believe』(1968年)は外せないだろう。Andrew Loog OldhamはThe Rolling Stonesのマネージャーであり、上述のSmall Facesのアルバムや『Would You Believe』のリリース元でもあるImmediate Recordsの創設者であり、一介のPhil Spectorフリークにして"Wall Of Sound"の名付け親でもある。自身の名を冠したThe Andrew Oldham Orchestraには、The Rolling Stonesのそれのような強烈なエグみある音像で、ある意味"Wall Of Sound"の核心を突いたとも言える、The Beach BoysとThe Four Seasons楽曲のインスト・カバー集『East Meets West』(1965年)のリリースもある。アルバム『Would You Believe』にはSmall Facesの全メンバーを始め、John Paul Jones、Nicky Hopkinsらが参加しており、表題曲「Would You Believe」にはSteve MarriottとRonnie Laneがプロデューサー、Small Facesが編曲者としてクレジットされている。Glyn Johnsは上述のThe Andrew Oldham Orchestraの後発企画作、The Aranbee Pop Symphony Orchestraの1966年のアルバム『Todays Pop Symphony』(The Four Seasonsの1964年作品「Rag Doll」のカバーも収録)も手掛けている。何より1964年の『December's Children(And Everybodys)』から1976年の『Black And Blue』まで一貫して、The Rolling Stonesの作品のエンジニアを務めたことも忘れてはならない。なお、「Our Overture」の項で触れた「Gimme Shelter」を含む1969年のアルバム『Let It Bleed』では、Glyn Johns(チーフ・エンジニア)と共に、上述のBruce Botnick(アシスタント・エンジニア)もクレジットされている。また、Led Zeppelinの1969年の1stアルバム『Led Zeppelin』も手掛けているが、2nd~4th、6thアルバムでは弟であり同じく数多の名作を手掛けたAndy Johnsがエンジニアを担当している。Elektra Recordsから1977年にリリースされた、MC5やThe Stoogesとはまた異なる形で1960年代サイケデリック、ガレージの流れを汲むプロト/ポスト・パンクの名作アルバムである、Televisionの『Marquee Moon』は、このAndy Johnsがプロデュース/エンジニアを務めた作品である。

「You Know You've Heard That Before?」の項で述べた通り、1960年代後半のブリティッシュ・フォークロック/サイケデリック・ロックのシーンを牽引したプロデューサーはアメリカ人のJoe BoydやShel Talmyでもあり、上述の通りEaglesの「Take It Easy」の音像を創ったのはイギリス人プロデューサーのGlyn Johnsでもある。顧みれば「Take It Easy」のイントロは、The Who、The Pretty Things、The Rolling Stones、そしてYesと、イギリスのグループのイメージばかりを引き合いに出したペンクラの「Our Overture」のそれにも影響を及ぼしているようにも思えてくる。作品のパブリック・イメージは、しばしば制作経緯に於ける実情とは一致しないものだ。これぞ1970年代初頭のウェストコースト・ロック・サウンドな「Beyond The Railroad」にも、シンプルに畳みかけるコーラス部にはPaul McCartney And Wingsの「Band On The Run」(1974年)との、終盤に挿入されるエレキのオブリガートにはPhil Spectorが手掛けたGeorge Harrisonの「What Is Life」(1970年)との偶然かもしれない近似が窺える。何より、平川の多重録音によるこの曲のデモを2020年の6月に初めて聴いた時には「Take It Easy」と同時に真っ先に、本稿で度々引き合いに出すThe Whoのアルバム『Tommy』収録曲である「Pinball Wizard」のイントロの締め括りや、フェイドアウト前の開放感とイメージを紐づけたものだ。本作『The Pen Friend Club』に通底する"英国的"なイメージは、この「Beyond The Railroad」にも当てはまると思う。
 
Eaglesの創設メンバーであり「Take It Easy」でのベース/バッキング・ボーカルでもあるRandy Meisnerが、1966~1968年頃に在籍していたカリフォルニア/ロサンゼルスのソフト・サイケデリック・バンドThe Poorのマネージャーは、本作『The Pen Friend Club』のみならず「The Sun Is Up」や「People In The Distance」の項でも触れた通り、ペンクラの複数の過去のオリジナル曲にも影響を与えた、Buffalo Springfieldの「For What It's Worth」や同曲収録の1stアルバム『Buffalo Springfield』(共に1966年)のプロデューサーでもあるCharlie GreenとBrian Stoneのコンビ。1966年のThe Poorのデビュー・シングル「Once Again / How Many Tears」を始め、以降3作はGold Starスタジオでレコーディングされた。うち1967年の「She's Got The Time, She's Got The Changes」は、A&M Recordsのスタッフ・ライターでもあったTom Shipley作。ラスト・シングル収録曲の「Feelin' Down」(1968年)はMichael Brewer作。既に何度か触れた、Brewer & Shipleyを結成する両名が揃って曲提供で携わったバンドでもある。Randy Meisnerはその後、Buffalo SpringfieldのRichie FurayとJim Messinaが結成したPocoに加入するも1stアルバム『Pickin' Up The Pieces』(1969年)のリリース直前に脱退。その後Linda Ronstadtのバック・バンドの仕事をきっかけにEaglesを結成、デビュー作「Take It Easy」のリリースへと至る。

平川が「Beyond The Railroad」の楽想アイデアの源とする2曲のうちのもう一つは、上述、歌手の大滝詠一に最も影響を与えたシンガーの一人でもある作者Richie Furayのキャリアを象徴する名曲、Pocoの「A Good Feelin' To Know」(1972年)である。曲の構成のみならず、ギターソロの意匠に至るまで、「Take It Easy」以上にその影響は明らかかもしれない。と言えどそれ以上に誰の耳にも明らかな通り、「Beyond The Railroad」は冒頭で引き合いに出したThe Beach BoysやThe Ronettesの楽曲のような1960年代ポップスの愛くるしさをもごく自然に纏う、コンセプチュアルなバンドの在り方そのものを10年間深め続けたペンクラにしか作り得ないオリジナル曲、それ以外の何物でもない。

「Take It Easy」、「A Good Feelin' To Know」、「Pinball Wizard」全てに共通し、同じく「Beyond The Railroad」に於いても楽想を決定付けるsus4コードの開放感は、Youth Yamadaが綴る歌詞にもそのまま反映される。「Jump Over Time」や「People In The Distance」の歌詞ともリンクする一節である”Why don't you look up clear and blue sky”の描写通りの青く澄み渡る空や、本作『The Pen Friend Club』に通底するワードである"天体"のまばゆい輝き(the shining stars)を目の前にしながらも、まだ踏み出せずにいる思いを振り切る合図は"Are you ready for the ride?"。「Take It Easy」の歌詞にある"your own wheels"を自身の運命と解釈するならば、"shiny wheels"のワードが象徴する「Beyond The Railroad」の歌詞にも、自身の運命を祝福し未来へ突き進む(I just keep looking ahead)決意、意志を感じ取ることができる。「Beyond The Railroad」の鉄道のイメージがThe Doobie Brothersの「Long Train Runnin'」を想起させると上述したが、The Doobie Brothersのヒット曲であればむしろ、この「Beyond The Railroad」や「Take It Easy」と同じくカントリーロックの要素を付与するバンジョーや、揺るがぬ意志を伴う音楽賛歌とも言えるポジティブな歌詞が特徴である「Listen To The Music」(1972年)の方がより近い。言い換えれば、Megumiが歌いペンクラが演ずる「Beyond The Railroad」の歌詞と楽想は、この「Listen To The Music」と同様の意義を併せ持つようにも思える。また、「Beyond The Railroad」で平川が爪弾くバンジョーは、The Beach Boysの「Cabinessence」(1969年)でのそれが醸し出す、広大なトウモロコシ畑のイメージにも重なる。のみならず「Beyond The Railroad」は、ここまで引き合いに出した1970年代初頭のウェストコースト・ロックの名曲たちと同じく、見たこともないはずの様々な景色へと聴き手を誘う。

2022年の8月頃から少しずつ書き続けてきた本作『The Pen Friend Club』の感想文だが、気付けば今年ももう終わる。これもまたイントロのsus4の響きがそれらしきムードを高める、山下達郎の「クリスマス・イブ」(1983年)があちこちから聴こえてくる季節を迎えた2022年12月1日、ザ・ペンフレンドクラブ公式SNSアカウントにて、2023年2月18日の柏Studio WUUでのライヴを最後とする、ボーカリストMegumiのペンクラ脱退がアナウンスされた。上述したMVにて結成10周年の収穫祭のごとく華やぐ、この「Beyond The Railroad」のターミナル駅まで辿り着いたMegumiとペンクラは、ここから、それぞれ違う目的地を目指すこととなる。「Beyond The Railroad」のMV制作時に、平川にそのような意図はなかったはずだが、なぜだろう、ハートに大きな穴が空いたような思いと共に、映像の中で屈託なく微笑むメンバーたちの表情や、歩いてゆくMegumiの姿が、このMVを初めて観た時とは違う意味を帯びるように思えてしまう。ファンとしては「Long Train Runnin'」の歌詞に於ける主人公(語り手)にでもなったような感情を、無きことにはできない。しかし、Megumiも、ペンクラも、そして聴き手である我々も"I just keep looking ahead"、皆、自分だけの意志の下にそれぞれの目的地を目指し、旅を続けることしかできない。乗換列車の出発合図は打ち鳴らされた。"Are you ready for the ride?"

「Our Overture」
「The Sun Is Up」
「Ketzal」
「Mind Connection」
「Floating To You」
「At Least For Me Tonight」
「My New Melodies」
「Jump Over Time」
「People In The Distance」
「You Know You've Heard That Before?」
「Beyond The Railroad」
アンカー 2

「Dawn」

(作曲:平川雄一 / 作詞:廣田幸太郎)

 

それでも陽はまた昇り、世界は等しく新たな年や節目を迎える。タイトルは、ペンクラの在り方にも大きく関わるThe Four Seasonsの代表曲の一つ「Dawn (Go Away)」(1964年)を真っ先に想起させるが、楽想や歌詞の背景に、両曲の間の繋がりは見受けられない。「Beyond The Railroad」のカタルシスをさらに増幅させる「Dawn」の楽想は、The Beatlesであれば『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(1967年)の「A Day In The Life」や、孤独な長い冬が氷解するイメージの「Here Comes The Sun」に始まる『Abbey Road』(1969年)B面の流れを思わせる。加えて、「Beyond The Railroad」でも喩えた、終盤に於けるEaglesの「Take It Easy」を思わせる開放感が抑圧からの脱却を主題とする歌詞とリンクする、Paul McCartney & Wingsの「Band On The Run」(1973年)や、10ccの『Deceptive Bends』(1977年)の最後に収録された、閉塞感の中での言葉遊びのような歌詞の終盤に、"Spin the wheel and take your chances"といった"運命を切り拓く意志"を表す一節を忍ばせた組曲「Feel The Benefit」のイメージも。何れにせよ「Dawn」は、上記全ての楽曲よりも短い僅か4分14秒の中で、それらに匹敵する心象風景の変遷を描いた、ペンクラのディスコグラフィー史上初の小組曲だ。

 

2020年6月の最初期デモのみならず、OKテイクのいくつかの楽器とMegumiの仮歌のレコーディング時点までは、ピアノではなくエレキのアルペジオで始まるアレンジだった。完成版でもそうだが、この段階では本稿で何度か触れたWebVANDAサイトのインタビュー記事にも聴き手のウチタカヒデ氏による言及がある、Thunderclap Newmanの1969年のヒット曲「Something In The Air」により近い楽想だった。「Something In The Air」のプロデューサーであり、この曲でベースを弾いているのはThe WhoのPete Townshend。Thunderclap Newmanのボーカル、ドラマーで「Something In The Air」の作者であるJohn "Speedy" KeenはPete Townshendの友人であり、The Whoの1967年のアルバム『The Who Sell Out』冒頭の、The Whoのディスコグラフィーの中唯一の外部作家による提供曲であるサイケデリック/ラーガ・ロック・チューン「Armenia City In The Sky」の作者、かつ同曲のボーカリストでもある。また、Speedy KeenはMotörheadの1stアルバム『Motörhead』や、「Something In The Air」のリリース元であるTrack RecordよりリリースされたJohnny Thunders & The Heartbreakersの唯一のアルバム、かつ不朽の名作『L.A.M.F.』(共に1977年)のプロデューサーとしても知られる。Track Recordは1966年当時The Whoのマネージャーであり、5番目、6番目のメンバーとも言われたKit LambertとChris Stampによって設立された。両名はThe Whoのマネージャーのみならず、1stアルバムでのShel Talmyに代わり1966年の2ndアルバム『A Quick One』から、2作目のロック・オペラ・アルバムである1973年の『Quadrophenia』までのアルバムに於いてプロデューサーも務めた(『Who's Next』と『Quadrophenia』はGlyn Johnsと連名)。上述の『The Who Sell Out』(「Dawn」や「The Sun Is Up」のタイトルにも通ずる、Pete Townshendの弾き語りによる佳曲「Sunrise」も収録)や、ここまで本作『The Pen Friend Club』を様々な点で喩えるべく何度も触れた、The Who初のロック・オペラ・アルバム『Tommy』(1969年)も両名が制作を手掛けた時期の作品である(一般的に"世界初のロック・オペラ・アルバム"と呼ばれる作品は、同じく「Our Overture」や「The Sun Is Up」の項で触れた、The Pretty Thingsの1968年のアルバム『S.F. Sorrow』である)。Kit Lambertは『A Quick One』に収録されたThe Who最初の組曲(9分10秒のミニ・オペラ)「A Quick One, While He's Away」の、Chris Stampは『The Who Sell Out』のコンセプトの、それぞれ着想をPete Townshendに示唆し、同じくミニ・オペラである「Rael」等のレコーディングを経た『Tommy』誕生に至る道筋を開いた。

 

我々が今聴いている完成版の「Dawn」の冒頭部は、ピアノとアコギだけのミニマルな編曲が悟りの境地をイメージさせるJohn Lennonの「Love」(1970年、ピアノはPhil Spector)や、同じくピアノやアコギが楽想を決定づけるGeorge Harrisonの「All Things Must Pass」と「Isn't It A Pity (Version One)」(共に1970年)も想起させる。続く、パンデミック初期の日常を思い起こさずにはいられない"It's been a long and outrageous time / Captured in a fear alive "の歌詞を含む最初の展開部までの流れは、平川が19歳の頃に書いたペンクラ4thアルバムに収録の「微笑んで」、および5thの「僕と君のメロディ」各オリジナル曲の楽想にも通ずる。The Beatlesの「Dear Prudence」(「People In The Distance」の項で触れた通り、歌詞に"The Sun Is Up"のワードを含む)のような楽想の拡がりを何れも感じさせる「微笑んで」と「僕と君のメロディ」のレコーディングでは、例えばその「Dear Prudence」や「Something」など末期のThe Beatlesに特徴的であるメロディックなベースライン、いわゆる"マッカートニー・ベース"を彷彿とさせるベースは、ビートルマニアでもある平川による演奏である。だが、この「Dawn」に於いてベースを弾いているのは"ペンクラのCarol Kaye"西岡利恵だ。「All Things Must Pass」等でのKlaus Voormannのプレイを彷彿とさせつつ、西岡ならではの繊細な60’sニュアンスをナチュラルに伴うベース・プレイは、この曲の雄大な楽想に最も符合する。

 

間奏部に向かいながら、「Dawn」のアンサンブルは次第に厚みを増していく。バッキングに呼応するギターソロの激情は、Buffalo Springfieldの「Rock 'N' Roll Woman」(1967年)のそれを思わせる。「Rock 'N' Roll Woman」は、The Beach Boysも1969年のライヴに於いて、カバー・レパートリーとしている(5月3日:ネブラスカ州オマハ、オマハ・シビック・オーディトリアム・ミュージックホール、競演はSpiral Staircase / 5月30日:イギリス、ブライトンのブライトン・ドーム / 8月1日:ニューヨーク、ウォールマン・スケートリンクで開催されたシェーファー・ミュージック・フェスティバル、競演はNeil Young)。ペンクラの3rdアルバム『Season Of The Pen Friend Club』に収録の「Where Did You Go」もまた「Rock 'N' Roll Woman」を想起させるが、これまでのペンクラのディスコグラフィー中とりわけ異色であったこの「Where Did You Go」こそが、「Dawn」を始めとした8thアルバム収録曲の楽想に最も近く、本作『The Pen Friend Club』の前身とも言うべきオリジナル曲かもしれない。この「Dawn」や「Floating To You」と同じく「Where Did You Go」の歌詞も、初期ペンクラのオリジナル曲のほぼ全ての英語詞を手掛けた廣田幸太郎が書いている(背景は異なるが「Where Did You Go」にも夜明けを描写する一節"Who's that crying in the silence of the dawn?"が挿入されている)。なお、6thアルバムまでのオリジナル曲の歌詞は全てペンクラのホームページにも掲載されている。1st、2ndアルバムで廣田が紡いだ英語詞は、豊かな抒情や機微(「I Fell In Love」「Tell Me (Do You Really Love Me?)」)と切れ味の鋭さ(「I Sing A Song For You」「When The Night Goes Down In The City」)とを併せ持ち、1950年代後半から1960年代中ごろにかけてのオリジナル・ロックンロール、ポップス黄金時代のイメージを端的に、かつより現代的に体現する。3rdアルバムでは、収録曲であるThe Trade Windsの「Summertime Girl」のカバーと併せて一つのテーマを成す"夏と恋心"≒"恋の夏(Summer Means New Love)"の情景を、イメージが瑞々しく躍動する「Before My Summer Ends」、"sea-side story"のワードがひと夏の恋の終わりを思わせる「Where Did You Go」、同じく郷愁を掻き立てる「His Silhouette」と、多彩な切り口で描く。中でも「What A Summer」は、スピード感、振幅の大きさ、密度の濃さ、鮮やかさ、熱量を伴うクールさが絶妙に入り交じる圧巻の筆致だ。作曲者の平川が、後にペンクラが直接カバーすることとなる村田和人の「一本の音楽」(1983年、ペンクラ版は2020年にリリース、その最新ミックス版も2023年1月2日より配信開始)をインスピレーションの源としたという「What A Summer」は、"第6期"ペンクラのライヴ・セットリストの常連でもあり、バンドにリリカルかつリズミカルなグルーブをもたらすMegumiのボーカルが、楽曲の魅力をさらに引き出している。本作『The Pen Friend Club』のコンセプトの中での廣田の情景描写は、より思惟的に凝縮されたものである。「Dawn」の短い歌詞には、当初アルバムタイトルに想定していた"太陽"をイメージさせるタイトルを始め、本稿冒頭で述べた通り、アルバム全編に通底するパンデミック以降の世情を背景としたワード(時間、空間、距離、天体、意志)の概念が全て織り込まれている。

 

ギターソロに続いて、闇を裂き差し込む太陽光線(Ray of sunlight)のごとく煌めくグロッケン。アカデミックな格調を加えるサックスの、華麗なる五重奏ファンファーレ。そしてビートを加速させるアコギのストロークと共に、熱を帯びコードを叩きつけるピアノと、前へ前へとスマッシュするドラムスがアレンジの最前面へと浮上する、間奏部から大サビまでの展開は、本作『The Pen Friend Club』最大のクライマックスだ。この見せ場を纏め上げ、締め括るMegumiのボーカルは、この上なく克明で力強い。気っ風のいい節回しはChicagoの代表曲「Saturday In The Park」(1972年)などでのRobert Lammを思わせ、飛翔する芯のあるファルセットには若かりしBrian Wilsonと同じく、最も強い力を伴う審美と最も深い内省を宿す。

 

本作『The Pen Friend Club』のアルバム・カバーのロゴからも繋がりを窺える、そのChicagoであれば、「Dawn」は1971年の『Chicago Ⅲ』に収録された「At The Sunrise」(Robert Lamm作)の楽想およびタイトルにも重なる。加えてDennis Wilsonが女優である妻のKaren Lamm-Wilson(Robert Lammの元妻でもある)と共作した、1977年のアルバム『Pacific Ocean Blue』の収録曲「Time」の楽想にも。また「Dawn」は、先に引き合いに出したThunderclap Newmanの「Something In The Air」の楽想からのそれと近い根拠で、Americaの「To Each His Own」(1972年、Gerry Beckley作、2ndアルバム『Homecoming』収録曲)も想起させる。同アルバムには、同じくそのタイトルを「Dawn」や「The Sun Is Up」と重ね合わせたくなる、挿入されるグロッケンも印象的な「Till The Sun Comes Up Again」も収録されている。AmericaとThe Beach Boysもそれぞれのメンバーが深く係るグループ同士である。例えばAmericaのGerry BeckleyはThe Beach Boysの「Sail On, Sailor」に、The Beach BoysのCarl Wilson、Bruce Johnstonと、Carlの義弟であり長年に亘りThe Beach Boysのレコーディングとツアーをサポートし続けたBilly Hinsche(Dino, Desi & Billy)は、Americaの「Hat Trick」(1973年、アルバム『Hat Trick』収録曲、マネジメントはDavid GeffenとElliot Roberts)に、それぞれコーラスで参加している。また、Gerry Beckleyは大物歌手Dean Martinの息子であるDino Martin(同じくDino, Desi & Billy)の弟、Ricci Martinのアルバム『Beached』(1977年、Billy HinscheとCarl Wilsonがプロデュース)にも、Peter CeteraらChicagoのメンバーや Van Dyke Parksと共に参加している。2021年に逝去したBilly Hinscheの最後の大きな仕事の一つは、Chicagoの2019年のクリスマス・アルバム『Chicago Christmas』の冒頭を飾るファンキーでエモーショナルな「(Because) It’s Christmastime」の、Robert Lammとの共作である。全くの私見ながら「(Because) It’s Christmastime」は、2022年6~7月に行われたBrian WilsonバンドとChicagoによる"Beachago"リバイバル・ツアーの、きっかけの一つであるコラボレーションだったと推察したい。なお、Carl Wilsonはその婚姻歴によりBilly Hinscheのみならず、DinoおよびRicci Martinの義兄でもあり、Dean Martinの娘婿でもある。Carlは上述のRicci Martinと、その後アメリカ空軍の戦闘機パイロットとなるも1987年3月21日、訓練中に墜落死したDino Martinの妹であるGina Martinと、Dinoの死と同年の11月8日に再婚し、Carl逝去(1998年)までのパートナーとしている。

 

The Beach Boys、Chicago、Americaの繋がりの極みは、1992年から6年を費やしRobert Lamm、Gerry Beckleyと共に作り上げ2000年にリリースされた、Carl Wilsonの遺作でもあるBeckley-Lamm-Wilsonのアルバム『Like A Brother』だろう。Carlが兄Brianに捧げるべく書いたと言われるタイトル・トラック「Like A Brother」(アルバム・プロデューサーPhil Galdstonとの共作)も大きなトピックだが、同じくPhil Galdstonに加えRobert White Johnsonとの共作曲である「I Wish For You」は、Carl Wilsonの最も重要な作品の一つだと思う。太陽や星や月の描写も、"The wisdom to trust in somebody else"や"The strength to believe most of all in yourself"といった意志の発露も全て、自身ではなく想い人のための言葉。最後までクオリティを保ち続けたCarlの美声が、想い人の最大の幸福を無私に願う歌詞を歌い上げる。アルバム『Like A Brother』には、CarlがThe Beach Boysに於いて意欲的なクリエイティビティを発揮した最後の作品集でもある、セルフタイトル・アルバム『The Beach Boys』(1985年)のプロデューサー、Steve Levineも共同プロデューサーとして3曲に参加している。また、上述の「I Wish For You」の共作者でもあるRobert White Johnsonは、アルバム『The Beach Boys』に於いて2曲をCarlと共作している。Carlの逝去後にリリースされたものの、こうした繋がりから『Like A Brother』は『The Beach Boys』の延長線上にあるアルバムという見方もできる。また、アルバム『The Beach Boys』に於けるCarlとRobert White Johnsonの共作曲「Where I Belong」は、その3年後にリリースされたBrian Wilsonの1stソロ・アルバム『Brian Wilson』(1988年)の収録曲「Melt Away」と地続きであると思う。サウンド面では共にヤマハのDXシンセサイザーなどがオーケストレーションを構築し、「Where I Belong」の"Don't need to search no more exotic islands / Now that I found you're right where I belong"と「Melt Away」の"when I hear you talking  I feel my heart unlocking / And my blues just melt away"など、"拠り所に至る"歌詞の描写も共通する。また「Melt Away」は、抒情を強調すべく挿入される展開部のティンパニや、同じく"拠り所"と共に想い人が在り続けること願う歌詞(Someone to stay with you wrong or right / Someone to love every breath of your life)を含む「I Wish For You」にも通ずる。ペンクラも5thアルバムに於いて生ストリングスを交えたバンドサウンドでカバーし、他の追随を許さぬ屈指のバージョンに仕上げた、この「Melt Away」のプロデューサーはBrian自身とRuss Titelman。両名はGlen Campbellの「Guess I'm Dumb」およびThe Beach Boysの「Sherry She Needs Me」の作者コンビでもある。同じくペンクラによる両曲の史上屈指のカバーは、それぞれ2ndアルバムと4thアルバムに収録されている。

 

このように、Brian Wilsonの「Melt Away」とBeckley-Lamm-Wilsonの「I Wish For You」の直接的源流との見方もできる、The Beach Boysの「Where I Belong」が及ぼした影響は、2021年6月に本国で、翌年日本でも公開されたドキュメンタリー映画『Brian Wilson: Long Promised Road(ブライアン・ウィルソン:約束の旅路)』のサウンドトラック・アルバム冒頭曲「Right Where I Belong」(Brian Wilson、Jim James作)にも窺える。そのタイトルによる示唆のみならず、"拠り所に至る"描写(In my fantasy I'm never far from home / And in reality I'm right where I belong)を含む歌詞にも。また、「Right Where I Belong」の歌詞には「Beyond The Railroad」や、この「Dawn」にも含まれる、自身の運命を祝福し未来へ向かう意志の描写もある。「Right Where I Belong」の核心とも言えるその一節(I know myself I know my willpower / Will get me through again / If you stick it with it baby, things work out / You'll find a way to win)は、このドキュメンタリー映画の冒頭、大写しになるタイトルのバックを彩る。なお、この歌詞を書いたJim Jamesがリードボーカル/ギターを務めるバンド、My Morning Jacketは、ライヴに於いて上述したThe Whoのミニ・オペラ曲「A Quick One, While He's Away」を、2006年にはPearl JamのEddie Vedderをゲストに迎え、2010年にはバンド単独で、何れも原曲を忠実に再現した演奏でカバーしている。

 

映画『Brian Wilson: Long Promised Road』のタイトルになった曲である「Long Promised Road」(1971年)は、24歳のCarl Wilsonがバッキング・ボーカル以外の歌と全ての楽器演奏を自ら手掛けた、(初期のサーフ・インスト曲を除けば)The Beach Boysに於けるCarl初の単独作曲作品で、歌詞は当時のThe Beach Boysのマネージャーであり、Brian Wilsonと同じ1942年生まれのJack Rieley(当時28歳)が書いている。「Long Promised Road」のオリジナル版が収録されたアルバム『Surfs Up』(1971年)や、続く『Carl And The Passions–"So Tough"』(1972年)と『Holland』(1973年)に於ける多数の重要な曲の共作者でもあるJack Rieleyは、Carlと共にこの映画のハイライトと言える場面で言及される。本作『The Pen Friend Club』収録曲の多くの歌詞に象徴的に用いられ、上述の「Right Where I Belong」にも共通する"未来へ向かう意志"を示す一節のイメージが、この「Long Promised Road」では全編に亘り熱く展開される。また、同映画のサウンドトラック・アルバムでのBrian Wilsonバンドによる「Long Promised Road」の再録カバーでは、BrianはJim JamesおよびBlondie Chaplin(1972年から1973年にかけてのThe Beach Boysのメンバーであり、代表曲の一つ「Sail On, Sailor」のリードボーカルを務め、The Rolling Stonesのサポート・メンバーなど数多の仕事を経て、現在はBrian Wilsonバンドの一員、Nick DeCaroもストリングス・アレンジャーとして参加した1977年の1stソロ・アルバムはAsylum Recordsからのリリース)とリードボーカルを分け合う。Brianはこの曲のクライマックスであり、本作『The Pen Friend Club』の「Dawn」や「Beyond The Railroad」の歌詞ともリンクする"Long promised road Trail starts at dawn Carries on to the season's ending"の一節で、リードボーカルを取っている。

 

ドキュメンタリー映画『Brian Wilson: Long Promised Road』のサウンドトラック・アルバムには、1987 年から 2008 年に亘ったと言われるBrian WilsonとAndy Paleyによる未発表のレコーディング作品群、いわゆる"Andy Paley sessions"からも5曲が収録されている。Brian WilsonとJonathan RichmanとApril Marchを繋ぐミュージシャン/ソングライター/プロデューサーのAndy Paleyについては、ペンクラのホームページの6thアルバム『Merry Christmas From The Pen Friend Club』の詳細ページに掲載されている、私の書いた同アルバムの解説文全文の「4.Santa Claus Is Comin' To Town」の項でも少し触れた。 Andy Paleyと言えば、弟のJonathanと共に結成したThe Paley Brothersの1978年の唯一のアルバム『The Paley Brothers』に収録された、パワー・ポップをベースとした解釈のウォール・オブ・サウンド・アプローチの名曲「Turn The Tide」からそのタイトルを付けたと考えられる、カリフォルニアおよびアリゾナ在住のTed Liebler氏のブログ"Turning The Tide"に掲載された、本作『The Pen Friend Club』への愛情に溢れた詳細な紹介記事(2022年12月27日付)はペンクラ・ファン必見だ。同ブログでは、過去にもペンクラの4thアルバム『Wonderful World Of The Pen Friend Club』の紹介(2017年2月10日付)や、ペンクラ西岡利恵への単独インタビュー記事(2022年9月5日付)もあり、他にもソフトロック、パワーポップ、ジャズ、ガレージ、大瀧詠一など幅広い題材を採り上げている。Andy Paleyのキャリア最初のバンドであるThe Sidewindersの、Lenny Kayeがプロデュースした1972年の唯一のアルバム『The Sidewinders』(1972年)を詳しく紹介した記事(2022年8月30日付)も、とても意義深い。上述の、Ted氏が書いた本作『The Pen Friend Club』の紹介記事を読みながら、本作との関係性について全く思い及ばなかった、1994年のThe Stone Rosesの2ndアルバム『Second Coming 』の持つサイケデリック/ブリティッシュ・フォーク的な側面について改めて思いを馳せ、また、同年の作品であるThe High Llamasのアルバム『Gideon Gaye』をリリース当時、かつて御茶ノ水/神保町に店舗を構え、そのマニアックな品揃えが多くの音楽ファンを育てたレンタルCDショップ"ジャニス"(1981年オープン、最後の店舗は2022年10月23日に閉店)の店頭で初めて聴き、それまで知っていたThe Beach Boysフォロワー達の作品からのそれらを、大きく塗り替えられる衝撃を受けたことを思い出した。同じ頃、同店でハナタラシ(Hanatarash)のライヴ盤『Live!! 88 Feb. 21 Antiknock-Tokyo』(1992年)をレンタルし、同作の余白時間におまけで収録されたコンピレーション(販売元レーベルMom 'N' Dad Productionsの運営者である、現DOMMUNE代表の宇川直宏氏が編纂)に付けられたタイトルで初めて知った"Space Age Bachelor Pad Music"(ハリウッド映画に関わったビジュアル・アーティストByron Wernerが、1980年代に考案したキャッチコピーと言われる)というワードのいかがわしさと、そのコンピで初めて聴いた、その後のリバイバルの中で"スペース・エイジ・ポップ"、"エキゾチカ"、"ラウンジ・ミュージック"として括られ浸透していった音楽達の、何とも奇天烈な第一印象も懐かしく。ともあれ今は2023年。世界は大きく変わり、あらゆる情報の体系化もより手軽に行えるようになり、既にその後も久しい。そんな近年の情報環境のなか、ザ・ペンフレンドクラブは"1960年代中期ウェストコーストロック・サウンド"の体現を標榜するバンドとして2012年に結成されたが、活動10年目を超えた現在まで、ペンクラが厳密な意味でのシーンを共に形成するに足る存在は、未だ他に現れていない。海外であれば、とかコンセプトの時間軸を前後させたバンドも含めれば、などという考え方もあるが、上述のコンセプトのオーセンティックな深耕を継続し得るバンドは、やはり世界中でもペンクラだけだ。情報環境が変わろうと、ペンクラが掲げるあまりに明確かつシンプルな目標の実現および継続の困難さは、バンドが肉体的、精神的な営みを伴う、人間たちの活動である以上、変わらないのかもしれない。今ここにペンクラが存在し、その歩みを見届け続けることができることの奇跡を、改めて噛みしめたい。

 

「Dawn」は楽想の展開の中で、抑圧から自らを解き放つ意志(Here we stand on our feet / And we are not afraid anymore)と、辿り着いた拠り所(Take my hands I'm here / Any day anytime, anywhere)を示す言葉が歌われる"クライマックス"に至るも、なお繰り返される日常の現実を表すかのように、本作『The Pen Friend Club』の冒頭、「Our Overture」の一節に立ち戻る。ここでの平川による、主旋律が曖昧で不穏な印象を与えるボーカルは、The Beatlesの小組曲「Happiness Is A Warm Gun」(1968年)の、"I need a fix~"および"Mother Superior~"セクションでのJohn Lennonのそれを思わせる。「Our Overture」と同じビート感とヒスノイズを伴いながらも編曲の異なる、この"Our Overtureセクション"は一方で、繰り返される日常のなか、それらがどれだけ似ていても、今日と同じ一日は二度と来ないことを示す暗喩のようだ。加えて、相反し合う印象の"クライマックス"の主旋律と"Our Overtureセクション"のそれとが、相互に入れ替え可能な関係にあることにも気付く。我々が思い描くことのできる抑圧や解放などのイメージも、様々な要因の重なり合いがもたらす事象に直面した者による、主観に過ぎないのかもしれない。楽想は最後に、アルバム『The Pen Friend Club』の核を成す音色である波打つオルガンのドローンやエレクトリック・シタールなど、そのタイトルが「Dawn」と対を成す「The Sun Is Up」のライトモチーフを加えた編曲が施された、"もう一つの「Dawn」の冒頭"に帰還する。同じ始まりの朝も二度と来ない。しかし、"私はあくまで私"でありさえすれば、また会えるのだろう(We'll meet again in the twilight)。

 

"続いてゆく約束の道(Long Promised Road)"を、自らで在るための力への意志を携え歩み始めるかの、ピアノの柔らかな余韻。2020年3月のMegumiのザ・ペンフレンドクラブ加入とほぼ時を同じくして、世界中を不自由が覆い尽くした困難な状況のなか、8人のメンバーが約2年の思索を経て創り遂げ、世に放つことを成し遂げた8枚目のアルバム、2022年製のROCKの新たな名盤『The Pen Friend Club』は、夜明け(Dawn)とともに大団円を迎えた。果たして、現実世界も同じく"夜明け"を迎えたのだろうか。何を以て、我々は"夜明け"を享受し得るのだろうか。何より、我々は"夜明け"を本当に待ち望んでいるのだろうか。自分だけの答えを探しに出掛けてみたくなったとき、本作『The Pen Friend Club』はそっと背中を押してくれるはず。

 

本項を書いている間(2022年12月末~2023年1月)に逝去した、"ラーガ・ロック"の祖でもあったJeff Beck(「Heart Full Of Soul」1965年、The Yardbirds)とDavid Crosby(「Eight Miles High」1966年、The Byrds)を偲ぶ。

 

最後に。ファンのみならず、メンバー自身も長い間ライヴでの再現を望んでいた上述の「Sherry She Needs Me」は、Megumiのペンクラ脱退アナウンス後初めて行われた、"岩下の新生姜ミュージアム"でのクリスマス・ライヴ"Add Some Music To Your Christmas"(2022年12月17日)に於いて、"第6期"を象徴する幾つものライヴ・レパートリーのうちの最後を飾る一曲として、遂に初演の日を迎えた。但し、様々な事情によりメンバー全員揃っての実演はまだ果たせていない。来る2023年2月18日、Megumiのソロ活動でのホームグラウンドでもある"柏 Studio WUU"に於いて開催される、Megumiのザ・ペンフレンドクラブでのラストステージであるペンクラ・ワンマン・ライヴ"Add Some Music To Your Day"では、8人の"第6期"メンバーが揃う最初で最後の「Sherry She Needs Me」が披露されると思う。当日は"第6期"の全てを、共に楽しみ、焼きつけましょう。

 

 

「A Better Day」

(作曲:西岡利恵 / 作詞:Youth Yamada)

 

「A Better Day」は、The Beatlesの『Abbey Road』に於ける「Her Majesty」に近い位置付けの、カーテンコールのような意図で収録された曲かもしれないが、「Her Majesty」とは全く異なる意義を持つエンドロールである。「Dawn」(夜明け)の大団円の後に迎えた、清々しい始まりの朝のような楽想の「A Better Day」は、Megumiを擁する"第6期"ザ・ペンフレンドクラブのもう一つの可能性を、アルバム『The Pen Friend Club』の最後に、新たに提示する。

 

『The Pen Friend Club』の当初デモ案では、ここに「Dawn」の項で幾つかの曲を引き合いに出し喩えた、辿り着いた"拠り所"での安寧を示唆するかの、平川が書いた日本語詞の優しいオリジナル曲が配されるはずだった(平川のSNSに少しだけアップされた、この曲の弾き語りデモを見逃さなかった方は幸運である)。いつかこの平川のオリジナル曲の完成版も聴いてみたいものだが、その曲に代わり収録された、当初および制作途中のデモにも含まれていなかった西岡利恵/Youth Yamada作のこの「A Better Day」は、本作『The Pen Friend Club』では総じて憂いある作風が特徴だった西岡作のどの曲とも、また本作収録曲の何れの曲とも、さらに本作以前のペンクラの作品たちとも大きく印象の異なる、シンプルでフォーキーな編曲とドライでヴィヴィッドなサウンド処理に全振りしたアップテンポ曲だ。楽曲の骨格は西岡がリードボーカル/ギターを務めるガレージバンド、Schultzが取り組むカバー曲を含むレパートリーのそれにも通ずる。

 

「Dawn」の項の最後に"本作『The Pen Friend Club』はそっと背中を押してくれるはず"と書いたが、それはそれとして。パンデミック下での制作ならではの記録としての側面もあるアルバム、『The Pen Friend Club』の全編に亘りコンセプチュアルに通底するムードを、「A Better Day」は軽やかに反転させる。同じくYouth Yamadaが作詞を手掛けた「People In The Distance」を始めとする、本作収録曲の随所に散りばめられた"揺るぎない意志への決意"の描写ともリンクする「A Better Day」の歌詞は、さらに、想像上の世界での安寧に留まることを許さない"今すぐ"の行動を迫る("THIS" is the time to really wake up)。"そっと背中を押す"どころではなく。また、この曲の歌詞には、音楽賛歌である「My New Melodies」での"I've been in the dream one I could take trusting from your melodies"や"Aiming towards playing with our soul,and seeking for my new melodies"といった一節への、"Can't it be your melody cause it's a felony"や"This can't be your felony, not on the theory"といった、別の視点からのアンサーとも取れる描写もある。

 

「A Better Day」に於ける、ジャングリーなアコースティックギターのストロークをメインとした、オープン・スペースなサウンド・アプローチは、それが真っ先に想起させるThe Beach Boysの「How She Boogalooed It」(1967年)よりも、さらに潔い。ボーカリストMegumiとの親和性の高さも一聴にして明らかで、西岡利恵/Youth Yamada作、ペンクラの演奏による曲ながら、さながら弾き語りシンガーソングライターとして活動を続ける、Megumiのソロに於けるスタイルをイメージして作られたかの佇まいでもある。これは一方で、日本語詞・英語詞を問わずその情景を聴き手に正確に届けうるリリカルな表現力、眩しいほどの存在感、硬質で高強度な声質をしなやかかつリズミカルに操る多彩なテクニック、といった言葉をどれだけ並べても説明し尽くせない魅力を持つ、Megumiのボーカルだからこそもたらされる印象でもある。

 

Megumiの歌唱の特徴を、地声とファルセットとビブラートの組み合わせ、および上述したソロでのギター弾き語りスタイルも相俟って、時にJoan Baezのそれに喩えてみたくもなる。Joan Baezのディスコグラフィには1974年にリリースされた、A&M Recordsのレコーディング・エンジニア/プロデューサーのHenry Lewyが手掛け、全編を通じてレッキング・クルーのTommy Tedescoのギターが堪能できるアルバム『Gracias A La Vida / Here's To Life』(「Ketzal」の項でも触れたキューバ民謡「Guantanamera」のカバーも収録)や、同じくJim Gordon、Larry Knechtel、Sid Sharpといったレッキング・クルー人脈等も参加した『Diamonds & Rust』(1975年)、『Gulf Winds』(1976年、以上全てA&M Recordsからのリリース)など、ペンクラの音楽性にも通ずる作品もある。また、「Our Overture」の項で触れた、A&M Records傘下にあった”Ode Records"から1970年にリリースされたライヴ・アルバム『Celebration Recorded Live Big Sur Folk Festival Monterey, California 1970』には、Joan Baezの友人のNancy Jane Carlenが1964年に立ち上げ、1971年まで毎年カリフォルニアで開催されたBig Sur Folk Festival(Joan Baezは全8回全て出演)の第7回目、1970年10月3日土曜日の出演者のうち、同じく「Our Overture」の項で触れたMerry Clayton、「Beyond The Railroad」の項で触れたEagles結成のきっかけを作ったLinda Ronstadt、加えてCountry Joe McDonald、Kris Kristofferson、そしてJoan Baez、The Beach Boysの演奏の一部が収録されている(The Beach Boysの収録曲は「Wouldn't It Be Nice」)。The Beach Boysのアルバム『Holland』(1973年)に収録された三部構成の小組曲「California Saga」には、第一部のタイトル”Big Sur”(Mike Love作)や、第三部の”California”(Al Jardine作)でのCountry Joe McDonaldへの言及など、同フェスのイメージも描かれている。

 

「A Better Day」の編曲中、唯一カウンターメロディを奏でる作者西岡によるベースラインの、冒頭からヴァースの途中までのリフは、The Beach Boysの「Help Me, Rhonda」(1965年4月)で繰り返される、同曲中最も印象的な12弦エレキのリフのパターンを思わせる。The Beach Boysに於けるAl Jardine初のシングル曲でのリードボーカル(最初のリードボーカル曲は1964年の『The Beach Boys' Christmas Album』に収録された、Brian Wilson単独作詞作曲の「Christmas Day」)、かつ自身の代表曲となった「Help Me, Rhonda」の楽想は、シャッフルリズムのブルースやR&Bのみならず同様のリズムでのフォーク、カントリー・ミュージックのそれにも近い。歯切れの良さと艶やかな甘さを兼ね備えたボーカル・スタイルが特徴であり、1961年のThe Beach Boys結成前からバンジョーとギターを、志向するフォーク・ミュージックを演奏すべく学んでいたAl Jardineを、作曲者Brian WilsonがThe Beach Boys流フォークロック・ソングとも言える「Help Me, Rhonda」(および1965年の『The Beach Boys Today!』に収録の、シングル・バージョンに1ヶ月先駆けレコーディングされたアルバム・バージョン「Help Me, Ronda」)のリードボーカリストに指名したのは必然的な判断と言え、結果、「Help Me, Rhonda」は「I Get Around」(1964年5月)に次ぐThe Beach Boysにとって2曲目の全米ナンバーワン・ヒットとなった。時は流れ、2010年のAl Jardine初のソロ・アルバム『A Postcard From California』には、上述の「California Saga/California」および「Help Me, Rhonda」の、有意義かつ新たな解釈での新録バージョンも収録されている。参加ゲスト、制作スタッフも豪華極まりない。詳述する余地もないので、以下に名前だけを列挙する。Brian Wilson、Carl Wilson、Mike Love、Bruce Johnston、David Marks / Glen Campbell、Ed Carter、Mike Kowalski、Bobby Figueroa、Mike Meros、Stephen Kalinich、John Stamos、Richie Cannata、Scott Mathews、Jeff Peters、Probyn Gregory、Larry Dvoskin / Matt Jardine、Adam Jardine、Mary Ann Jardine、Drew Jardine、Danny Knutson / Gerry Beckley、Dewey Bunnell、David Crosby、Neil Young、Stephen Stills、Steve Miller、Norton Buffalo、Gary Mallaber、Flea(Red Hot Chili Peppers)などなど。全曲素晴らしく、愛情と誠実さに満ちた丁寧なプロダクションによる紛うことなき名作だが、2023年2月の今聴けば、Al JardineがGlen Campbell、David Crosbyとボーカルを分け合う、Lou Adlerが手掛けたThe Mamas & The Papasの1965年のヒット曲「California Dreamin'」のカバー(The Beach BoysもAl Jardineが制作を促し、Terry Melcherが手掛け、1986年にカバーヒットさせた)が殊更染みる。現在80歳のAl Jardineは、直近でもBrian Wilsonバンドのメンバーとして、また自身の"Al Jardine Family & Friends"(Matt Jardine、Carnie & Wendy Wilson、Carnieの夫であり同じくBrian Wilsonバンドの一員であるRob Bonfiglio、Probyn Gregory、「You Know You've Heard That Before?」の項でも触れたEd Carter、Bobby Figueroaらを擁する)および"Endless Summer Band"を率い、元気にライヴ・ツアーを継続している。

 

上述のJoan Baezの『Diamonds & Rust』と『Gulf Winds』にそれぞれ違うバージョンが収録されたボーカル・インプロビゼーション曲「Dida」(共にHenry Lewyによるレコーディング)には、何れもJoni Mitchellがデュエットで参加している。ペンクラの「A Better Day」はJoni Mitchellの「Chelsea Morning」(1969年)を思わせる楽想でもある。「A Better Day」の作曲者は西岡だが、Joni Mitchellからの影響については、本作『The Pen Friend Club』のソングライターの一人であるリカが、2021年6月15日付のWebVANDAのインタビュー記事で言及している。何れにせよ、本作『The Pen Friend Club』の制作経緯の中で、Carole KingやJoni Mitchell、Sandy Dennyの作風のようなエッセンスを加え、グループに新たな音楽的方向性を与えた、西岡とリカのソングライターとしての本作への貢献は計り知れない。

 

Joni Mitchellの「Chelsea Morning」が収録された2ndアルバム『Clouds』(1969年5月)は、上述のレコーディング・エンジニア/プロデューサーのHenry Lewyが携わった最初のJoni Mitchell作品でもある。本作以降、Henry LewyはJoni Mitchell作品を長きにわたり手掛け続けることとなる。両者を引き合わせたDavid Crosbyは、Joni Mitchellを見出し1stアルバム『Song To A Seagull』(1968年、C・S・ルイスの児童文学『The Voyage Of The Dawn Treader(邦題:朝びらき丸 東の海へ)』をモチーフとし、夜明けと海の情景を描写した佳曲「The Dawntreader」も収録)のプロデュースも手掛けた。Joni MitchellとHenry Lewyは、「Beyond The Railroad」の項でも触れたElliot RobertsとDavid Geffenや、Jerry Garcia、Graham Nash、Neil Young、Jorma Kaukonen、Grace Slickらと共にDavid Crosbyの1971年の1stソロアルバム『If I Could Only Remember My Name』に参加している。ペンクラの「Dawn」が想起させる夜明けのイメージは、このDavid Crosbyの名作および、上述Joni Mitchellの1stアルバムのジャケットにも重なる。Joni Mitchellの『Clouds』は以降の作品と同じくセルフプロデュース・アルバムだが、冒頭の「Tin Angel」のみ、「Beyond The Railroad」の項で触れたThe Doorsの5thアルバムまでのプロデューサーでもあるPaul A. Rothchildが、共同プロデューサーとしてクレジットされている。また、1stアルバムと同じく、Stephen Stillsがベースとギターで参加している。

 

「Chelsea Morning」の歌詞には、作者Joni Mitchellが1967年当時住んでいた、ニューヨーク、マンハッタンのチェルシー地区のアパートや街の様子が描写されている。関連の有無はさておき、「You Know You've Heard That Before?」の項で触れた、同じく1967年のNicoのアルバム『Chelsea Girl』に収録の表題曲「Chelsea Girls」(Lou Reed、Sterling Morrison作、タイトルおよびアルバム名はNicoが主演した1966年のAndy Warhol/Paul Morrissey監督の同名映画から取られた)もまた、同チェルシー地区にある、当時著名人を含め様々な住人が住んでいたチェルシー・ホテルおよびそのデカダンな居住者たちについて歌われた曲である。「Chelsea Morning」には『Clouds』に収録のJoni Mitchell自演版以前に、Dave Van Ronk(1967年)、Fairport Convention、Gloria Loring、Jennifer Warnes(全て1968年)各バージョンのリリースがあり、他にもSérgio Mendes & Brasil '66版(1970年、A&M Recordsよりリリース、プロデュースはHerb Alpert)など、たくさんのカバーがあるが、最初にヒットしたのはJudy Collins版(1969年4月リリース)である。

 

Megumiのボーカルやミュージシャンシップは、上述したJoan Baezと同じ理由で、かつJoan Baez以上に、ピアノとギターの名手であるシンガーソングライターのJudy Collinsにも重なると思う。Judy Collinsのアルバムは、Jac Holzmanがプロデュースを手掛けた、「A Better Day」と同じく全編でのアコースティック・ギターとバンジョーの絡みが印象的な1961年の1stアルバム『A Maid Of Constant Sorrow』から、Roger McGuinnが編曲およびギターとバンジョーで参加した『Judy Collins 3』(1964年、後にThe Byrdsでも採り上げる「The Bells Of Rhymney」と「Turn! Turn! Turn! / To Everything There Is A Season」も収録)、John Sebastianらが参加した『Fifth Album』(1965年)、「Chelsea Morning」に先駆け大ヒットしたJoni Mitchell作品である「Both Sides Now」収録の『Wildflowers』(1967年)、ペンクラも6thアルバム『Merry Christmas From The Pen Friend Club』に美しくスピリチュアルなカバーを残す、Judy Collinsの代表曲の一つでもある「Amazing Grace」のカバーを収録した『Whales & Nightingales』(1970年)、Nick DeCaro、Frank DeCaro兄弟やSid Sharpが参加した『Hard Times For Lovers』(1979年)、そして1984年の17枚目のオリジナル・アルバム『Home Again』に至るまで全て、「You Know You've Heard That Before?」や「Beyond The Railroad」の項でも触れたElektra Recordsからリリースされている。 Judy Collins版「Chelsea Morning」のシングルと同時期に制作された、1968年のアルバム『Who Knows Where The Time Goes』には、当時Judy Collinsと恋仲にあったSteven Stillsを始め、Chris Ethridge、James Gordon、Van Dyke Parksらも参加している。タイトル・トラック「Who Knows Where The Time Goes」の作者は、この曲を書いた1967年当時はThe Strawbsに参加していた、その後ほどなくFairport Conventionに加入することとなるSandy Denny。Sandy Denny自身が歌うバージョンは、The Strawbsのアルバム『All Our Own Work』(1967年録音、1973年リリース)、Fairport Conventionの代表作『Unhalfbricking』(1968年)に収録されている。

 

上述した「Chelsea Morning」のJennifer Warnes版は、Martin Cooperプロデュース、Perry Botkin Jr.編曲、エンジニアはStan Rossというラインナップで、ゴールドスター・スタジオに於いてレコーディングされた(1968年の1stアルバム『... I Can Remember Everything』に収録)。ペンクラの音楽性にも関連するアレンジャーPerry Botkin Jr.の仕事には、何れもPhil Spectorプロデュース作品である、The Righteous Brothersの「Ebb Tide」(1965年)、Ike & Tina Turnerの「A Love Like Yours (Don't Come Knocking Every Day)」、「Hold On Baby」(1966年)、The Checkmates Ltd.のアルバム『Love Is All We Have To Give』(1969年)、The Ronettesの「You Came, You Saw, You Conquered」(1969年)、および1965年に録音された「I Wish I Never Saw The Sunshine」(1974年にBuddah Recordsよりリリース)、「Paradise」、「Everything Under The Sun」がある。また、同じくアレンジャーとしてHarpers Bizarreの1st~4thアルバムにも携わっている。アルバム『... I Can Remember Everything』のプロデューサーMartin Cooperは、親友であるJack Nitzscheの「Lonely Surfer」(1963年)の共作者、共同プロデューサーでもある。Martin Cooperは、The Olympicsの「Hully Gully」(1959年、The Beach Boysも1965年のアルバム『Beach Boys' Party!』でカバー)を改作した、The Marathonsの「Peanut Butter」(1961年)の作者としてもクレジットされている。なお、ペンクラは5thアルバム『Garden Of The Pen Friend Club』に於いて、このThe OlympicsまたはLemme B. Good版がオリジナルである(共に1965年3~4月にレコーディングおよびリリース)、The Young Rascals版が全米ナンバーワン・ヒットを記録した「Good Lovin'」をカバーしている。

 

また、Martin CooperはLee Hazlewood、Jack Nitzcheの当時の妻であるGracia Nitzche、Daniel Stoneをメンバーとし、レッキング・クルーの面々の演奏によるThe Shacklefords名義で、1963年から1968年にかけて2枚のアルバムといくつかのシングルをリリースしている。Lee Hazlewood自身のレーベルLHI Recordsから1967年~1968年にかけてリリースされた、当初のカントリー嗜好からソフトロックに自然に移行したかの、何れも素晴らしい最後の3枚のシングル(「California Sunshine Girl」、「Coastin'」、「It's My Time」)には、Glen CampbellとSusie Hokumも加わっている。Martin Cooperは他にも「People In The Distance」の項で触れたAutumn Recordsからリリースされた、総じてカントリーロック色の濃いCharity Shayne(後のManson Familyのメンバー)のシングル「Ain't It?, Babe / Then You Try」や、サンフランシスコ出身のバンドThe Vejtablesの「The Last Thing On My Mind / Mansion Of Tears」(共に1965年)への曲提供/プロデュースを手掛けている。The Vejtablesのドラム/リードボーカルのJan Erricoがその後加入したThe Mojo Menは、Buffalo Springfieldの「Sit Down, I Think I Love You」(1966年、Stephen Stills作)をカバー・ヒットさせている(1967年、編曲:Van Dyke Parks、プロデュース:Lenny Waronker)。また、Marty CooperはThemのシングル「Dirty Old Man (At The Age Of Sixteen)」(1967年)のプロデュースも手掛けているが、The Blossomsの1954年の結成時および現役メンバーであるGloria Jones関連作での仕事は特に見逃せない。Marty Cooperがプロデュースを手掛けたGloria Jonesの、Vik E. Lee、レコーディング・グループのThe Victorians、A&M RecordsからのGloria Melbourne各名義での、上述したアレンジャーのPerry Botkin Jr.、および後にBreadを結成するDavid Gatesと共に、1963年から1964年にかけて制作したゴールドスター・スタジオ録音の7枚のシングルは、様々なバリエーションでのウォール・オブ・サウンド、ど真ん中の1960年代前半のガール・グループ・ポップスそのものの名曲揃いである。Phil SpectorとJack Nitzcheのコンビ不在のプロダクションでこの音像が創られたという点は、特筆すべきだ。なお、上述したJack Nitzscheの「The Lonely Surfer」のセッションには、David Gatesもベーシストとして参加している(印象的なダンエレクトロ6弦ベースの主旋律は、Bill Pitmanによる演奏)。

 

本稿で何度も触れたThe Who『Tommy』の収録曲をタイトルとした、Jennifer Warnesの2ndアルバム『See Me, Feel Me, Touch Me, Heal Me!』(1969年)にも、Martin CooperはアレンジャーのAl Cappsと共に共同プロデューサーとして携わっている。Al Cappsが編曲を手掛けた作品には、Herb Alpert And The Tijuana Brass版が大ヒットしたBurt Bacharach(-2023.2.8. R.I.P.)/Hal David作の「This Guy's In Love With You」、「Beyond The Railroad」の項で触れたMort Garson/Bob Hilliard作の「Our Day Will Come」、Stevie Wonder版で最も知られる「For Once In My Life」といった好カバーも収録されているSpiral Starecaseの唯一のアルバム『More Today Than Yesterday』(1969年)、Brian Wilsonがプロデュースを手掛けたThe Honeysのシングル「Tonight You Belong To Me(1926年、Billy Rose/Lee David作) / Goodnight My Love(1956年、George Motola/John Marascalco作)」(1969年)、The VoguesによるThe Beach Boys「God Only Knows」のカバー(1970年)、The Brady Bunchの2ndアルバム『Meet The Brady Bunch』(1972年、The Millennium「I Just Want To Be Your Friend」のカバー収録)、同3rd『The Kids From The Brady Bunch』(1972年、Chicago「Saturday In The Park」のカバー収録)、4th『The Brady Bunch Phonographic Album』(1973年、Seals & Crofts「Summer Breeze」のカバー収録)等がある。

 

The Velvet UndergroundのJohn Caleがプロデュースを手掛けた、Jennifer Warnesの1972年の3rdアルバム『Jennifer』には、オリジナルである上述Nicoの『Chelsea Girl』に収録されたバージョンでは作者Jackson Browneがギターを弾き、John Caleら同アルバムに参加したThe Velvet Undergroundのメンバーは関わらなかった「These Days」のカバーが収録されている。また、収録された2曲のJimmy Webb作品(「P.F. Sloan」、「All My Love's Laughter」)のカバーの編曲を、Nick DeCaroが手掛けている。「P.F. Sloan」のJimmy Webb自演版はアルバム『Words And Music』(1970年)に収録されており、他にThe Associationによるカバーもある(1971年のアルバム『Stop Your Motor』に収録、Ray Pohlmanプロデュース、エンジニアはStan Ross)。「All My Love's Laughter」のオリジナル・バージョンである、1968年のEd Ames(The Ames Brothers)版の編曲は、上述のPerry Botkin Jr.が手掛けており、Jimmy Webbの自演版は1971年のアルバム『And So: On』に収録されている。「All My Love's Laughter」は他にも、The Righteous BrothersのBill Medley版(A&M Recordsリリースの1973年のアルバム『Smile』に収録)、Scott Walker版(1973年のアルバム『Any Day Now』に収録)、Larry Coryell版(1973年『The Real Great Escape』に収録)、Art Garfunkel版(1978年、Jimmy Webb作品集『Watermark』に収録、David Crosby、Joe Osborn、Muscle Shoals Rhythm Section等が参加)などがある。加えてアルバム『Jennifer』には、当時無名だったはずのHot Loveという恐らくレコーディングのみのグループが1971年にリリースした「Tapestry」(Gunston/Dove作)という曲を、「Needle And Thread」と改題しカバーしたバージョンが収録されている。この曲は上述Nick DeCaroが「Beyond The Railroad」の項でも触れた1974年のアルバム『Italian Graffiti』の最後に、オリジナル版のタイトル(「Tapestry」)で採り上げカバーしている。なお、『Jennifer』には上述のJohn CaleやJackson Browneを始め、「People In The Distance」の項で触れたThe Beau BrummelsのRon Elliott、Jim Horn、Wilton Felder、Richard Hayward、Russ Kunkel、Spooner Oldham、Sneaky Pete Kleinow、Milt Hollandといった面々が参加している。

 

Jennifer Warnesには映画『An Officer And A Gentleman(愛と青春の旅だち)』(1982年)の主題歌「Up Where We Belong」(Joe Cockerとのデュエット)と、同じく映画『Dirty Dancing』(1987年)の主題歌「(I've Had) The Time Of My Life」(上述Bill Medleyとのデュエット)の全米ナンバーワン・ヒットがある。「Up Where We Belong」の歌詞はWill Jenningsが手掛け、曲はJack Nitzscheと、同曲のヒット直後にJack Nitzscheの再婚相手となったシンガーソングライターのBuffy Sainte-Marieが共作。Jack Nitzscheはこのヒットの11年前、1971年のBuffy Sainte-Marieのアルバム『She Used To Wanna Be A Ballerina』のプロデュースと編曲を手掛けている。収録曲冒頭の「Rollin' Mill Man」はGerry Goffin/Russ Titelman作。このアルバムにはJack Nitzsche(ピアノ)の他、Jesse Ed Davis、Neil Young、 Ry Cooder、Merry Clayton等が参加している。「Up Where We Belong」のBuffy Sainte-Marie自演版は、1996年にリリースされた同曲をタイトルとしたアルバム『Up Where We Belong』に、アコースティックギターを中心としたシンプルなバッキングのバージョンで収録されている。

 

Jennifer Warnesのもう一つの全米ナンバーワン・ヒットである「(I've Had) The Time Of My Life」は、Gene Pageが編曲、Michael Lloydがプロデュースを手掛けた。プロデューサー、アレンジャー、エンジニア、ソングライター、マルチ楽器奏者であるMichael Lloydは、10代からの盟友Mike Curbとのタッグ等で多くの作品に携わった。Michael Lloydがギター/ボーカルで在籍したサイケデリック・グループ、The West Coast Pop Art Experimental Band(1967年の2ndアルバム『Part One』ではVan Dyke Parks作の「High Coin」をカバー)の殆どのアルバムのプロデューサーはJimmy Bowen。Jimmy Bowenは上述Jack Nitzscheの1963年のアルバム『The Lonely Surfer』のプロデューサーでもあり、そのJack Nitzscheがアレンジャーとして参加した、「Dawn」の項で触れたDino, Desi And Billyの1965年のアルバム『I'm A Fool』を同作のプロデューサーであるLee Hazlewoodと共に手掛け、上述したAl Cappsもアレンジャーとしてクレジットされている、同グループの翌1966年のアルバム『Souvenir』のプロデュースも手掛けている。翻り、Michael LloydはThe Beach Boysの『That's Why God Made The Radio』(2012年)にエンジニアとして共同クレジットされており、Mike Loveの直近のアルバム『Unleash The Love』(2017年)、『Reason For The Season』(2018年)、『12 Sides Of Summer』(2019年)にも携わっている。

 

「(I've Had) The Time Of My Life」の編曲者であるアレンジャー、プロデューサー、ソングライターのGene Pageは、「Floating To You」の項で触れたThe Righteous Brothersの「You've Lost That Lovin' Feelin'」(1964年)の編曲者でもある。Gene Pageは、上述のJennifer Warnesの3rdアルバム『Jennifer』の最後に収録されたProcol Harumの「Magdalene (My Regal Zonophone)」(1968年)のカバーの編曲も手掛けている。ペンクラの音楽性にも関わる編曲作品には、Hal Blaineの1965年のアルバム『Drums Drums A Go Go』(エンジニアはBones HoweとChuck Britz、プロデュースはP.F. Sloan & Steve BarriおよびLou Adler)や、Ike & Tina Turnerのアルバム『River Deep - Mountain High』(1966年、Jack Nitzsche、Perry Botkin Jr.との共同クレジット)、"The" Van Dyke Parksのシングル「Number Nine / Do What You Wanta」(1966年)、Merry Claytonのアルバム『Gimme Shelter』(1970年、Ode Recordsからのリリース、プロデュースはLou Adler)等がある。他にも、The Jackson 5、Michael Jackson、Marvin Gaye、The Supremes、Diana Ross、Cher、Frankie Valli & The Four Seasonsの作品等も手掛けている。

 

「Up Where We Belong」の歌詞には、ペンクラも4thアルバム『Wonderful World Of The Pen Friend Club』に原曲と真っ向勝負する迫真のカバーを収録した、Ike & Tina Turnerの「River Deep – Mountain High」(1966年5月)、およびMarvin Gaye & Tammi Terrellの「Ain't No Mountain High Enough」(1967年4月)との、「(I've Had) The Time Of My Life」のタイトルと編曲にはThe Righteous Brothersの「You've Lost That Lovin' Feelin'」との、それぞれ繋がりを感じる。『Dirty Dancing』のサウンドトラック・アルバムは、冒頭に収録された「(I've Had) The Time Of My Life」からThe Ronettesの「Be My Baby」(1963年)へと続く。また、同作には「(I've Had) The Time Of My Life」と同じくMichael Lloydがプロデュース、Gene Pageが編曲を手掛けた、Merry Claytonの「Yes」も収録されている。

 

「A Better Day」には、ベースラインやアコギのストローク以外にも、ミニマルながらも気の利いたアレンジが散りばめられている。軽妙でパンチの効いたMegumiのボーカルに寄り添うリカのハーモニーと、そいも加わった心地良い"Uh"コーラス。間奏を刹那に輝かせる中川のグロッケン。この曲の録音には参加していないかもしれないが、「Beyond The Railroad」のMVやライヴで見せる屈託なき笑顔でタンバリンやシェイカーを振る、祥雲と大谷のイメージも心に浮かぶ。そして、いささかコケティッシュな脱力を促す平川が弾くバンジョー。「At Least For Me Tonight」や「Beyond The Railroad」でもアレンジにささやかに、かつ効果的に導入されたバンジョーは、The Beach Boysの様々な作品でも使われている。本稿で何度か喩えた「Cabinessence」(1969年、バンジョーはCarol Kaye)のみならず、「I Know There's An Answer」(1966年、バンジョーはGlen Campbell)、「Little Bird」(1968年)、「Lookin' At Tomorrow (A Welfare Song)」(1971年、バンジョーはAl Jardine)、上述した「California Saga: California」(1973年、同Al Jardine)等。中でも、Tandyn Almer(ベース)、Billy Hinsche(コーラス、ギター、オルガン)らが参加した「You Need A Mess Of Help To Stand Alone」(1972年、Brian Wilson/Jack Rieley作)は、控えめなミキシングではあるものの、編曲への最も本格的なバンジョーの導入と言える。この曲でのスクラッグス・スタイルのバンジョーはDoug Dillardによるもの。

 

Doug Dillardが弟のRodneyらと共に1962年に結成したカントリー/ブルーグラス・バンド、The Dillardsの初期作品はElektra Recordsからのリリースである。Glen Campbell版の「Gentle On My Mind」(1967年)への参加もあるDoug Dillardは、The Byrdsの創設メンバーであり本稿で何度か引き合いに出した「Eight Miles High」の作者の一人でもあるGene Clarkの、1967年の1stソロ・アルバム『Gene Clark With The Gosdin Brothers』(Glen Campbell、Leon Russell、Jim Gordon、Van Dyke Parks、Chris Hillman、Clarence White、Michael Clarkeらが参加、Larry Marks/Gary Usherプロデュース)への参加を経て、1968年にそのGene ClarkとDillard And Clarkを結成、同じくLarry MarksのプロデュースのもとA&M Recordsより『The Fantastic Expedition』(1968年) と『Through The Morning, Through The Night』(1969年)の2枚のアルバムをリリースしている。Dillard And Clarkのレコーディングには、Eaglesの創設メンバーとなるBernie Leadonを始め、The Flying Burrito Brothers/The Byrds関連人脈らが携わっているが、初期The Beach BoysのギタリストDavid Marksを擁するサイケデリック・バンド、The Moonの2ndアルバム『The Moon』(1970年)に於いて、同バンドのメンバーとしてのクレジットもあるDavid Jacksonも、ベース、ピアノ、チェロで参加している。David JacksonはJackson Browneの1stアルバム『Jackson Browne』(1972年)にもピアノで参加している。また、The Moonの2枚のアルバムのプロデューサー/エンジニアであるLarry Brownは、初期Davie Allan & The Arrowsのドラマーであり、同グループのアルバム『Blues Theme』(1967年)、『Cycle-Delic Sounds』(1968年)に於いては、上述のMike Curbらと共にプロデューサーとしても携わっている。

 

Gene ClarkはDillard And Clark以降も、A&M Recordsより『White Light』(1971年、Jesse Ed Davisプロデュース)と『Roadmaster』(1973年)の2枚のソロ・アルバムをリリースしている。また、Gene Clarkは「Beyond The Railroad」の項でも触れた、Jackson Browne、Joni Mitchell、Eaglesを擁するAsylum Recordsから1973年にリリースされた、The Byrdsのラスト・アルバム『Byrds』の制作を主導し、ほどなくAsylum Recordsとソロ契約、1974年に同レーベルより、後に最高傑作とも評されることとなるアルバム『No Other』をリリースしている。以降のGene Clark作品にも関わってゆく、本作を手掛けたプロデューサーはThomas Jefferson Kaye。Link Wrayのスワンプ・ロックの名作アルバム 『Be What You Want To』(1973年)のプロデューサーでもある。

 

バンジョーは、The Beach Boysの我らが「God Only Knows」でも使われている。と言えど、公式クレジットを色々探しても演奏者どころかバンジョーのクレジットさえ見当たらない。しかし、じっくり聴けば確かに、はっきりとバンジョーのストロークが聴こえる。「God Only Knows」での使用については、「Dawn」の項で触れた映画『Brian Wilson: Long Promised Road』を観て初めて知り、気付いた。映画の中で、1994年以降のThe Rolling Stonesを始め数多くのアーティストの作品のプロデュースを手掛けた、Blue Note Recordsの現社長でもあり、The Beach Boys関連であれば何といっても1995年のBrian Wilsonのドキュメンタリー映画『I Just Wasn't Made For These Times』の監督/プロデューサーとして知られるDon Wasが、ミキシング・コンソールを操作しながら「God Only Knows」に於けるバンジョーのアレンジを、愛おしそうに称えている。

 

「God Only Knows」と同じく我らが『Pet Sounds』に収録された、The Beach Boysの「Wouldn't It Be Nice」(1966年、邦題「素敵じゃないか」)には、「Dawn」の項で述べたような、素敵な"拠り所"の希求(wouldn't it be nice to live together / in the kind of world where we belong?)や、運命を祝福し未来へ向かう意志(if we think and wish and hope and pray, it might come true / there wouldn't be a single thing we couldn't do)を示す歌詞が綴られる。Megumiの吐息が締めくくる「A Better Day」の最後の歌詞"Here's to die in this place now or the better choice'd be nice"は、文末(would be nice)を呼応させつつ、始まりの一歩を促す。"第6期 "ザ・ペンフレンドクラブからの、最後のさりげないギフトのような「A Better Day」は、いつ、どんな時でも、瑞々しい始まりの朝に我々を立ち返らせ、"今"と"未来"の架け橋を築く。

 

また、「A Better Day」は、本作『The Pen Friend Club』と繋がりの深い作品として本稿で何度も引き合いに出したThe Beach Boysの『Smiley Smile』と、印象こそ全く異なれど、ミュジーク・コンクレート的なアプローチを含む点で対を成すとも言える『Beach Boys' Party!』に収録されたバージョンの「Little Deuce Coupe」も想起させる。この「A Better Day」を皮切りに、知り得る限りでもそれぞれ延べで、4人のアコースティックギター奏者、4人の鍵盤奏者、3人のパーカッショニスト、2人の管楽器奏者、そして6人のシンガーを擁する、本作『The Pen Friend Club』を創り上げた"第6期"のメンバーたちによる、『Beach Boys' Party!』のようなアコースティックで赤裸々なアプローチのペンクラ作品も、引き続きもっと聴きかったが、ペンクラとシンガーソングライターMegumiの再出発を朗らかに祝すかの、この「A Better Day」を聴きながら、"いつの日か"それが"何らかの形で"実現することを願うばかりだ。

 

パンデミック禍只中の2020年9月、同年3月のMegumi加入から半年が経ちようやく実現した、配信および入場者数制限が設けられた、第6期ザ・ペンフレンドクラブの初ライヴでのMegumiのMC第一声は"毎度おなじみザ・ペンフレンドクラブです"。配信画面越しにも誰の目にも明らかだった、その歌唱力、佇まいの魅力と併せて、世界中を覆っていた不自由を忘れさせるかのこのMC一発で、どれだけのファンがハートを鷲掴みにされたことだろう。この、ありきたりな言葉では説明しきれない存在感を纏うボーカリストからは、3年間に亘り様々な想いを掻き立てられ、たくさんのことを学んだ。

 

歴代2番目の在籍期間、厳しい世情の中で遂行した19回のライヴ、作詞者(「The Sun Is Up」)として2人目、楽器奏者(フルート)として初めてクレジットされたボーカリスト、リリースした2枚の7インチシングル(「一本の音楽 / 八月の雨の日」、「Chinese Soup / Mind Connection」)、そしてメンバーと共に創り上げた歴代最高数である13篇のオリジナル曲、それらが収録されたセルフタイトルの8thアルバム『The Pen Friend Club』。加入前からシンガーソングライターとしての確立されたスタイルと、確固たる意志と審美眼を携えていた、ザ・ペンフレンドクラブの5代目ボーカリストであるMegumiは、ペンクラに於いて形となった上述の実績以上の影響と功績を、グループにもたらした。Megumiのライヴ・レパートリーの選曲センスと楽曲解釈のセンスは、最初期のペンクラの瑞々しさを10年目にして改めて蘇らせ、結成時から音楽性を高め続けてきたペンクラの楽曲たちの瞳に、よりくっきりとした輝きを灯すがごとく、意志と意識の深みを新たに刻み込んだ。本作『The Pen Friend Club』に於いては、ソングライターの平川、西岡、リカそれぞれの作風を深く洞察し、この上なく的確な表情で演じ切った。平川が監督、制作を手掛けた「The Sun Is Up」のMVでMegumiが魅せた佇まいは、怒りと内省と意志、これらROCKがROCKであるためのエレメントの全てを優美に携えつつ、ロックバンド"The Pen Friend Club"を、稲妻のごとき衝撃と共に打ち出した。

 

さらなる日本語詞のオリジナル曲や、ライヴでのハイライトであるCarpentersの「Merry Christmas Darling」(1970年)、「Goodbye To Love」(1972年)を始めとするカバー曲のレコーディングとリリース、ソングライターやギター・ピアノ・フルート奏者・編曲者としての活躍。ペンクラでのMegumiに誰もが期待したであろう、これらの未来が叶わないのはとても残念だが、ペンクラのリーダー平川雄一がミックスとマスタリングを手掛けた Megumiの2ndCD『雨、時々メロディ』を聴き、ソロのライヴを観れば、歌唱・演奏・ソングライティング全てがハイレベルに研ぎ澄まされた、その完成度と魅力もまた、他に替え難いと痛感する。一人のミュージシャンが、ペンクラのボーカルと、このソロ活動を、共に成立させ続けることの困難さは、察するに余りある。

 

2023年2月18日に柏StudioWUUで行われた、"第6期"ペンクラおよびMegumiのペンクラでのラスト・ライヴは、Megumiの脱退を惜しみ集った満員のオーディエンスも、三年間を共にしたメンバー達も、きっと皆で同じ想いを共有していたであろう、温かく美しく、この上なく素敵な、そして何より最高に楽しいひとときだった。持ち前である、アレンジの行間までも活かし切る、息を呑むような佇まいを伴う歌唱のみならず、それ以上にこの日のMegumiは、歌の力のみでオーディエンスとメンバーを楽しませよう、自らとことん楽しもうという心意気に満ち溢れていた。未来だけを見据え、前に進む意志を体現していた。オーディエンスにもペンクラのメンバーにも、感傷的な涙をこぼす暇すら与えないほどに。と言えど、ペンクラが公式にアップしたダイジェスト動画など、後日いくつかの当日の動画を見て、ようやく初めてボロボロと落涙させられてしまったり。技巧に裏打ちされた、センスとアイデアとユーモアのミュージシャン、Megumiはかっこいい。

 

アルバム『The Pen Friend Club』を名盤たらしめた"声"を踏まえ、Megumiのソロ作品に触れれば、ペンクラ作品から得られるそれにも近い、新たな発見の連続に感嘆しきりである。そして、その上で改めて聴く本作『The Pen Friend Club』の素晴らしさ、奥深さは、至極だ。「Dawn」の項で、ペンクラには厳密な意味で共にシーンを形成し得る存在がいないと書いたが、いや、"アルバム『The Pen Friend Club』のボーカルを経た"シンガーソングライターMegumiの誕生により、今まさに新たな一つのシーンが芽生えたと言えるのではなかろうか。「同じ音楽の道を歩いていれば、またどこかで再会できると私は思っています。最後最後と言われるとすごいしんみりしちゃうんですけど、私はまた会えると思ってやっています。」上述"第6期"ラスト・ライヴ終盤のMCで、Megumiはいつも通り飄々と、かつ力を込めて言った。新たに芽生えたシーンを互いに牽引し合うペンクラとMegumiのコラボレーションが、"いつでも"そして"どのような形でも"成されるならば、ファンとしてはこれ以上嬉しいことはないだろう。 Thank you and See you, Megumi.  ザ・ペンフレンドクラブとMegumiの新たな始まりを、心から祝福したい。

 

本作『The Pen Friend Club』に寄せるべく、2022年8月より書き始めた私の推薦コメントは、2022年9月7日の発売日になっても出来上がらず、その後も思いつくままの感想文として、更に文責を引き受けた解説文として、基本的に1曲分を書き上げるごとに校正し完結させながら、書き切った曲については事後に文脈の修正を行うことなく、今日まで1曲ずつ追記を重ねた。平川の友人でもある故、Megumiの脱退意向については本稿の「The Sun Is Up」の項を書いている途中、2022年の9月初旬に私は知ってしまった。その約3ヶ月後に知ることとなる多くのファンと同じく、一人狼狽したものだが、既にその時点で、ペンクラとMegumiそれぞれが目指す前途は定まっていた。ここまで読んで下さった方であれば御存知の通り、本稿は終盤に向かうにつれ各項の内容が長くなってしまった。解説すべく引き合いに出した作品については、ほぼ全て、本作『The Pen Friend Club』に少なくとも隣り合わせで関連する内容となるよう注意を払った次第だが、愛すべき、最高のメンバーが集う"第6期"ペンクラの完結があまりにも惜しく、本稿をずっと書いていたい気持ちが幾らか混じっていたことは否めない。文字数バランスの大変よろしくない解説文となったことをお詫びすると共に、音楽ライターでも個人ブログを開設しているでもない、一介のペンクラ・ファン、バンドマン、勤め人である私の拙文を掲載し続けてくれたペンクラ公式サイトと、ここまで読んでくださった方々には、心からの感謝の思いしかない。加えて何より、全曲オリジナル曲で構成され、活動10年目の到達点にしていつまでも時の試練に耐え得るだろう大作かつ名作、ROCKの意志を強烈に宿した新たな1stアルバムとも言える、この8thアルバム『The Pen Friend Club』を創り遂げた"第6期"の8人のメンバー達に。そして、ザ・ペンフレンドクラブの全ての歩みに。

 

多くのペンクラ・ファンの、それぞれの視点からの想いを、たくさん聞きたい。Megumiの今後のソロ活動を楽しみに、引き続き注目し応援すると共に、平川の表情から既にその胎動と足音が窺える"第7期"ザ・ペンフレンドクラブを待望し、10年の節目を超えた、この唯一無二の活動を続けるバンドの行く末を、世界中のファンと共にいつまでも追いかけていたい。(終)


 

2022年8月某日~2023年2月28日 

TOMMY VIVIAN (VIVIAN BOYS, -2023.1.7.) 記 

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