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メリー・クリスマス・フロム

ザ・ペンフレンドクラブ

【解説全文】

TOMMY(VIVIAN BOYS)

 本作は、ザ・ペンフレンドクラブの、6枚目のオリジナル・フルアルバムである。少なくともこの解説を手に取るより先に、まずは、何とも愛くるしくスタイリッシュなジャケットをご覧頂いているはずだ。赤・茶・緑を基調にした衣装を着て、プレゼントを抱えた8人のメンバーが、おとなしくして並んでいるこのジャケット、ちょっと引いて見れば、さながらクリスマス・ツリーのような構図だと気付く。そう、お分かりの通り、このアルバムはクリスマス・アルバムである。しかも、おなじみのクリスマス・ソング満載の、予備知識なしで誰もが楽しめる作品だ。もう、あなたはクリスマスをハッピーにしてくれる、この作品を手にしている。それだけでも十分だ。けれど、色々な背景を知れば知るほど、もっともっと楽しめ、一方で考えさせられてしまうのが、クリスマスの音楽。とりわけ、このとびきりの作品は、その分途方に暮れるほど奥が深い。長い長い解説になるが、ゆっくり読み進めて頂き、一緒に、もっともっとザ・ペンフレンドクラブのこと、彼らがルーツとするクリスマス・ソングのことに思いを巡らせ、何かを発見していくきっかけになってくれれば嬉しい。

まずは、このクリスマス・アルバムのジャケットでかわいらしくツリーを演じ、中身では素晴らしいクリスマス・ソングの数々を届けてくれた、ザ・ペンフレンドクラブのメンバーを紹介しよう。

◆ 平川雄一(Vo.Cho.Gt.Per)
◆ 藤本有華(Main Vo,Cho)
◆ 西岡利恵(Ba,Cho)
◆ 祥雲貴行(Dr,Per)
◆ ヨーコ(Organ.Piano.Cho,Flute)
◆ 中川ユミ(Glocken,Per)
◆ 大谷英紗子(Sax,Per)
◆ リカ(A.Gt,Cho)

 なお、'18年3月11日加入のアコースティック・ギター/コーラスのリカにとっては、このアルバムが記念すべき初めてのレコーディング参加作品である。
ところで筆者が何者かと言えば、あやしい名前の通り、ザ・ビーチ・ボーイズにもフィル・スペクターにも縁のなさそうにしか見えない音楽をやっているバンドマン、かつサラリーマンであるが、それ以前に平やん(=リーダー、平川雄一)の友人であり、これをご覧の方のうちの多くの方と同じく、自己流ザ・ビーチ・ボーイズ、フィル・スペクター・フリークの一人だ。
 筆者の自慢は、数多くのポップス・マニアやバンドマンを虜にしてきたザ・ペンフレンドクラブが、'12年12月の1stEP CD-R『Three By The Pen Friend Club』をリリースして以来、全ての作品に推薦文を寄せる機会をもらったことだ。それらは「ザ・ペンフレンドクラブ公式ウェブサイト」の「Discography」のページで今も読めるので、是非ご覧頂きたい。実に多方面の、たくさんのポップス・フリークが、様々な視点でコメント、推薦文を寄せているので、ザ・ペンフレンドクラブがどんなグループなのか、を手早く知るのにもお勧めだ。
http://the-pen-friend-club.wixsite.com/the-penfriendclub/discography

では、本作『Merry Christmas From The Pen Friend Club』の解説に入りたい。


1.All I Want For Christmas Is You

 マライア・キャリーの'94年作品のカヴァー。最新(2017年度)のビルボード・ホリデー・シングル・チャート(毎年年末年始に集計する、古今東西のクリスマス・シングルに絞ったヒット・チャート)でも1位、年末年始期間限定での集計で、1位を30週キープする、現在世界で最も人気のある、ポピュラー・クリスマス・ソング。日本でも邦題「恋人たちのクリスマス」として広く知られる。原曲のマライアの圧倒的な歌唱力は、バック・ボーカル以外のオケが全て、彼女との共作者、ウォルター・アファナシェフが作った打ち込みトラックであることを、全く感じさせない。明らかにザ・クリスタルズの「Da Doo Ron Ron」('63年4月)や、フィル・スペクターのクリスマス・アルバム『A Christmas Gift for You』収録曲、中でも「Santa Claus Is Coming to Town(サンタが街にやってくる)」などの曲想の再現を意識的に試みている。ザ・ハニーズの「The One You Can't Have」('63年12月、ブライアン・ウィルソン作/プロデュース、スペクターのクリスマス・アルバムや、ザ・ビーチ・ボーイズ初のクリスマス・シングル「Little Saint Nick」と同時期のリリース)なども連想させられる。このザ・ハニーズのシングルB面、「From Jimmy with Tears」はスペクターの右腕、ジャック・ニッチェがアレンジを手掛けている。この頃、ブライアンはスペクターのクリスマス・アルバムのセッションに、ピアノ奏者として呼ばれたが、スペクターの要望水準に演奏能力が及ばず、起用されなかった。しかし、このシングル両面の並びとサウンドは、その場がブライアンに与えた幾らかの影響や、そこで生まれた縁を感じさせる。
フィル・スペクターの『A Christmas Gift for You』は、ザ・ビートルズの『With The Beatles』と全く同じ、'63年11月11日に発売された(この日はケネディ大統領が暗殺された日でもある)。同12月26日、「I Want to Hold Your Hand(抱きしめたい)」が、ザ・ビーチ・ボーイズと同じ、キャピトル・レコードからの初めてのシングルとしてリリースされ、翌’64年2月1日に初の全米1位(ビルボード)を獲得、その6日後、2月7日にザ・ビートルズの4人は、英国帰りのフィル・スペクターと同じボーイング707に乗って、ニューヨークのJFK空港に到着、初めてアメリカの地に立つ。そんな時代だ。
 スペクターのクリスマス・アルバム発売の1年前、'62年12月の作品に、ザ・クリスタルズの「He's Sure The Boy I Love」(全米11位)がある。この曲は、サウンド構成が翌年のクリスマス・アルバムに於けるそれと、明確に酷似した最初の曲であり、これ以降、クリスマス・アルバム発売前後の時期までに、クリスマス・アルバムの収録曲のアレンジを思わせる曲として、例えば、先述のザ・クリスタルズ「Da Doo Ron Ron」('63年4月)、同「Then He Kissed Me」('63年8月)、ジ・アレイ・キャッツ「Puddin' N' Tain (Ask Me Again, I'll Tell You The Same)」('63年1月)、ボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズ「Not Too Young To Get Married」('63年5月)、ダーレン・ラヴ「(Today I Met) The Boy I'm Gonna Marry」('63年4月)、同「Wait Til' My Baby Gets Home」('63年7月)、同「A Fine, Fine Boy」('63年10月)、ザ・ロネッツ「Be My Baby」('63年8月)、同「Baby I Love You」('63年12月)などがリリースされている。
 この、'62年末の「He's Sure The Boy I Love」での、クリスマスの雰囲気を醸し出したアレンジこそが、いわゆるウォール・オブ・サウンドのイメージの最初の完成、いやむしろ、そもそもスペクターが、予めクリスマス・ソングに多大な影響を受けていたからこそ産み出された音像、それこそが、まさに、ウォール・オブ・サウンドである、とも考えられる。
例えば、'03年の殺人容疑で、'09年に有罪/禁固19年の判決が下され、現在も、カリフォルニア州立刑務所の、薬物中毒治療施設に収監されているスペクターが、既に服役中の'13年に、元ザ・クリスタルズのラ・ラ・ブルックスと共に受けた、『A Christmas Gift for You』50周年のインタビューで、アルバムの制作意図について、以下のように回答していることからも、その一端が垣間見れる。

 ”本当に美しいマスターピースであるクリスマス・ソングが、年に1度ではなく、いつでも聴ける素晴らしい本物の音楽であることを証明したくて、全てをヒット曲にすべく仕上げた。フィレス・レコードが掲げるスローガン「tomorrows music today」に違わぬ、過去や現在ではない、明日の音楽として。私は、明日のアーヴィング・バーリン(フィル・スペクターと同じユダヤ系アメリカ人であり、ブライアン・ウィルソンが心酔するジョージ・ガーシュウィンをして「アメリカのシューベルト」と言わしめた、作詞・作曲家、代表曲に「White Christmas」「God Bless America」「Easter Parade」など)に、なるつもりだった。 ”

 フィル・スペクターが、初めて「クリスマス・ソング」を手掛けたのは、遡ること'60年5月に、アトランティック・レコード傘下のトレイ(TREY:スペクターが当時、その背中を見てサウンド・メイキングを学んだリー・ヘイズルウッドと、後に共にフィレス・レコードを創設する、レスター・シルの二人が経営していたレーベル)よりリリースされた、ケル・オズボーンのシングル、「Bells of St. Mary」である。この曲は3年後に、ボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズの男声ヴォーカル、ボビー・シーンが歌い、『A Christmas Gift for You』にも収録されることになる。前述の'13年のインタビューで、スペクターはこの曲の選曲意図を、” 大好きなシンガー、クライド・マクファター(&ザ・ドリフターズ)の「White Christmas」のシングルB面に収録されていたことと、ボビーの声質がまるでクライドのようだったので ”と答えている。当時20歳のスペクターは、ケル・オズボーン版はアレンジャーとしてのみのクレジットだが、ザ・テディ・ベアーズの延長線上にあるアレンジや、15歳のクリスマス・シーズンに、ザ・ドリフターズ版に激しく心奪われたであろう、この曲を選んだことも含め(何しろ後々まで、スペクターとザ・ドリフターズとの因縁は深い)、実質的に、制作上の全権を握っていたのではと思われる。このシングルで初めて「ウォール・オブ・サウンド」のテクニックが使われたという説もある。因みに、このあまり有名でないシンガー、ケル・オズボーンは、エディ・ケンドリックス、ポール・ウィリアムズと共に、後にモータウン・レコーズの看板グループの一つとなる、ザ・テンプテーションズの、前身となるグループを結成した人物である。彼は、グループがザ・テンプテーションズを名乗る直前に、ソロ・シンガーとなるべく脱退し、トレイと契約した。その最初のシングルこそが、この「Bells of St. Mary」である。
 話を「All I Want For Christmas Is You」に戻す。先述の通り、24年前のリリースながら、現在世界で最も人気のある、ポピュラー・クリスマス・ソングであるこの曲を、カヴァーするアーティストは、未だ絶えないどころか、増加傾向にある。昨年('17年)には、ユーチューバーからのし上がった、アメリカのコンテンポラリー・バイオリニストである、リンジー・スターリンや、ハンソンが、それぞれのクリスマス・アルバムで取り上げた。ハンソンは、デビュー当時の少年時代の、「キラメキ ☆ MMMBOP(ンー・バップ)」('97年)の特大ヒットが、あまりにも有名な3兄弟だが、紆余曲折を経て、現在も実力派のコーラス/インストゥルメンタル・トリオとして、安定した活動を続けている。ライヴでは、ザ・ビーチ・ボーイズの「God Only Knows(神のみぞ知る)」もカヴァーしている彼らは、今年8月、マイク・ラヴの配信オンリーのソロ・シングル、「It's OK」(ザ・ビーチ・ボーイズ'76年作品の、セルフ・カヴァー)に参加し、往年のウィルソン兄弟達を思わせる、マイクの声と相性がとても良い、見事なコーラス/ヴォーカルを披露している。そのマライアのカヴァーも収録された、ハンソンの昨年リリースのクリスマス・アルバム、『Finally I'ts Christmas』のタイトル曲も、まさに'70年代末~'80年代の時期の、ザ・ビーチ・ボーイズの雰囲気なのだが、さらにこの曲は、今年10月26日にリリースの、マイク・ラヴ初のクリスマス・アルバム、『Reason for The Season』にも、ハンソンの参加で採り上げられた。'18年9月現在時点で、既にこのカヴァーのみ、先行公開されているが、マイクのヴォーカル/コーラスが加わることにより、まさにザ・ビーチ・ボーイズの楽曲そのものと言える、素晴らしい仕上がりとなった。今後のザ・ビーチ・ボーイズ界隈と、ハンソン3兄弟の関わりにも注目したい。また『Reason for The Season』には、マイクとロン・アルトバックが'77年のザ・ビーチ・ボーイズの未発表クリスマス・アルバム制作時に書いた名曲、「Alone on Christmas Day」も収録される。この曲は'15年に、フランスのエレクトロニクス/ロック・グループ、フェニックスがマイクの承諾のもとカヴァー・リリースし、同年末には、マイク自身のヴァージョンも、配信限定でリリースされた。それと同じ音源か新録かは、今のところ分からないが、初のフィジカル・リリースとなる。
 ザ・ペンフレンド・クラブのクリスマス・アルバムの発売と同時期に、マイク・ラヴが(名作となるに違いない)クリスマス・アルバムをリリースし、しかも今年、ブライアン・ウィルソン・バンド(アル・ジャーディンも参加)による、ザ・ビーチ・ボーイズの『The Beach Boys' Christmas Album』('64年)と、ブライアンの13年前のソロ作『What I Really Want for Christmas』('05年)の、初めてのアルバム再現を軸としたライヴ・ツアーが、11月28日のミネアポリスを皮切りに、全米18カ所で行われる。我々、界隈のファンにとって、何と喜ばしいクリスマス・イヤーなのだろう。平川が何やらのお告げで、こんな'18年末を予見していたかどうかは不明だが、ともあれ、これまでの実績でも明らかな通り、平川は確実に縁を繋ぐ力を「持っている」作家であり、それを引き寄せるための、不断の努力を惜しまない人物であることは、間違いない事実だ。ブライアンとマイクの耳にも是非、『Merry Christmas From The Pen Friend Club』が届いてもらいたいものだ。
 このように周辺の話題が多くなってしまい恐縮だが、この『Merry Christmas From The Pen Friend Club』が、明らかに「クリスマス」、とりわけ「ザ・ビーチ・ボーイズ」「フィル・スペクター」に関するテーマ、歴史を、凄まじい熱量で更新させたコンセプト・アルバムである以上、解説の役割はその背景の紹介であると考えるため、引き続きこうした論調が続くことを、お許し願いたい。何よりザ・ペンフレンドクラブ作品、とりわけ有名なクリスマス・ソングのカヴァー集である、このクリスマス・アルバムの素晴らしさについては、これをご覧頂いている方には多くを語らずとも、「聴くだけで」その大半は伝わっているだろうし。
 それを何よりを裏付けるのが、まさにこの、「All I Want For Christmas Is You」だ。クリスマス・ソングにインスパイアされフィル・スペクターが生んだウォール・オブ・サウンド。それを、コンスタントなライヴ活動でも再現し続ける、ザ・ペンフレンドクラブ。中でも、最もそのサウンドを象徴する、中川のグロッケンシュピール。その煌びやかな音色に導かれ、冒頭最初の歌詞、「I」を歌う藤本のヴォーカルが、全ての理屈を吹き飛ばす。これだけで、アルバムへの期待感は一瞬で最大限に高まり、新たな名作との出会いの、この上ない喜びを確信できる。そしてこのサウンド。先述の通り、原曲は、フィル・スペクターのクリスマス・アルバムのウォール・オブ・サウンドに、大きく影響を受けたとされるが、このザ・ペンフレンドクラブのヴァージョンこそが、そのサウンドの核心を、より再現していることは明らかだ。シンプルなフレーズを、絶妙なタイム感で奏でる、西岡のベースの「鳴り」も特筆すべき点だ。世界各国の過去の全てのカヴァーの中でも、最も原曲の当初のコンセプトに肉迫したものだろう。マライアの原曲では、バンド・サウンドでの録音がうまくいかず、それらはボツされ、全て打ち込みに差し替えられたのだが(それでもマライアの声と楽曲の良さで、大ヒットとなったが)、ザ・ペンフレンドクラブは、原曲の本当のコンセプトを世界で初めて、真正面から達成したと言える。同じく、がっぷり四つに真正面から、ソウルフルなマライアの歌唱に迫る藤本は、そのマライア以上に、理知的かつ内省的な雰囲気をこの楽曲に付与した。それは、ブライアン・ウィルソンを信奉する、平川とグループが生み出した、これまでの作品群のイメージとも連動する。フィル・スペクターの作品の30年後に生まれた、マライヤの作品のコンセプトの、更に24年後に生まれた、ザ・ペンフレンドクラブによるヴァージョン。これを金字塔と言わずして、他に適切な言葉は思いつかない。


2.Christmas (Baby Please Come Home)

 フィル・スペクターのクリスマス・アルバム、『A Christmas Gift for You』中、唯一のオリジナル曲('63年)のカヴァー。ザ・ロネッツの「Be My Baby」('63年8月)をはじめ、フィレス・レコードに於いて、最もたくさんのヒット・シングルを手掛けた、ジェフ・バリー&エリー・グリーンウィッチ作。原曲の歌は、フィル・スペクターが(当時はロニー以上に)絶対の信頼を寄せていただろう、ダーレン・ラヴによる。何しろ、『A Christmas Gift for You』のアルバム・ジャケットに唯一、わざわざ一人二役(本人およびボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズのメンバーとして)で登場していたり。ダーレン・ラヴは、ザ・クリスタルズのメンバーではないが、同グループの初の全米ナンバーワン・ヒット、「He's A Rebel」('62年9月)、続く、先述したフィレス初のクリスマス・アプローチのシングル・ヒット、「He's Sure The Boy I Love」(同12月)で、影武者シンガーとして起用された(無断で差し替えられたオリジナル・メンバーらは、たまったもんじゃない)。
 元々、ザ・ロネッツのために用意された、この「Christmas (Baby Please Come Home)」だが、スペクターの厳密な判断は、この曲でも例外ではなく、「この曲を歌うには、ロニーにはエモーションが足りない」と、急遽、ダーレン・ラヴに充てがわれたという経緯を持つ。まぁその後、スペクターはロニーに惚れ込み、二人は結婚するに至るわけだが、スペクターにとって、それとこれとは話は別だったようだ。
 さておき、この曲でスペクターが必要としたエモーション(情緒、きわめて強い感情)。ザ・ペンフレンドクラブ・ヴァージョンでの、藤本の圧倒的な歌唱はどうだ。スペクターの思いを重々承知したかの如き、これまでのザ・ペンフレンドクラブの作品での藤本のヴォーカルの中でも、最も強い感情がぶつけられた熱唱は、曲の意義を正確に理解し、射抜いている。そして、原曲でのスペクターお抱えの楽団、「レッキング・クルー」随一のサックス奏者、スティーヴ・ダグラスによる音数を丁寧に選んだ、必要十分なエモーションが込められた間奏のソロ・パートも、この曲の肝となる箇所だが、このザ・ペンフレンドクラブ版も、グループ随一のアカデミックな音楽研究者でもある、サクソフォーンの大谷(長らく一貫して音楽を学術・専門的に学び続け、現在もグループの活動と併行して、その真っ只中に身を置く)が、原曲でのソロ・パートのロックのダイナミズム、息づかいまでも忠実に再現している。また、終盤の藤本のヴォーカルと、リカと平川による多重録音コーラスの、さながらゴスペル的な圧巻の大コール&レスポンスの背後に轟く、画竜点睛たるヨーコのピアノの旋律が、この文字通り真正面からのカヴァーを、またもザ・ペンフレンドクラブにしか成しえない、決定版としている。
 本作で、初めてザ・ペンフレンドクラブのレコーディングに参加したリカ(アコースティック・ギター、コーラス/'18年3月加入)は、アルバムの全曲で平川とコーラス・パートを分け合い、殆どの曲で、これまで平川が構築・担当してきた、多重録音コーラスの最高音部を担当している。新たな血となるリカの声が、平川の声と混じりあう時、その、高域に余裕のある声質が、ザ・ペンフレンドクラブのサウンドに、一層の知性と慈しみを加えている。
 「Christmas (Baby Please Come Home)」の最初のカヴァーは、'68年のカナダ、トロントのガレージ・サイケ・グループ、ザ・クワイエット・ジャングルのクリスマス・アルバム『The Story of Snoopy's Christmas And Other Favourite Children's Songs』に収録のものとされる。これ自体は、特筆すべきカヴァーではないが、ヴォーカルは、後年のラモーンズのジョーイ・ラモーンの歌い方の雰囲気に、どこか似ている。ニューヨークのパンク・グループ、ラモーンズの、特にヴォーカルのジョーイは、熱心なフィル・スペクターのファンであり、彼らの'77年の4thアルバム、『End of The Century』のプロデュースを、フィル・スペクターに依頼している。ラモーンズの『End of The Century』でのジョーイの名唱に、ザ・ロネッツの「Baby, I Love You」のカヴァーがあるが、フィル・スペクターの目にも敵う、ジョーイ・ラモーンの歌唱力の底力に気付かないミュージシャン/リスナーは、ある意味で節穴だ。加えて、アルバム冒頭のシングル曲、「Do You Remember Rock 'n' Roll Radio?」などを引き合いに、パンク・ロックとスペクターのミスマッチを嫌うパンクス供の思考は、同じく、スペクター・プロデュースのザ・ビートルズの「The Long and Winding Road」を、プロデュース過剰としぶとく嫌う分からずや(ああ、ポール・・・)と同質だ。因みに、このラモーンズのアルバムが、事実上フィル・スペクターがアルバム全体をプロデュースした最後の作品である。なお、'10年、当時のスペクターの3人目の配偶者、レイチェル・スペクター(既に離婚)の、とんでもない駄作のプロデュースは、獄中のスペクターの状況からして眉唾であり、プロデューサーとしてのスペクターの晩節をも汚すため、断じてカウントしない。
 '01年4月に、49歳の若さでこの世を去ったジョーイ・ラモーンは、キャリア最晩年の仕事で、ロニー・スペクターをプロデュースしている。ラモーンズのカヴァー曲をタイトルに冠したジョーイ・プロデュースのロニーのEP、『She Talks To Rainbows』では、ブライアン・ウィルソンがザ・ロネッツの「Be My Baby」に衝撃を受け、ロニー・スペクターのことを想い、彼女に歌ってもらうべく作った、あの「Don't Worry Baby」を、遂にロニーの歌でリリースするという偉業も成しえている。また、ジョーイ自身の遺作の一つにあたるEP、『Christmas Spirit... In My House』(死没翌年'02年リリース)の冒頭に、この「Christmas (Baby Please Come Home)」のカヴァーが収録されており、ジョーイらしい男声版ロニー・スペクターとも言える、味のある節回しの、良い意味でとてもいなたい歌唱を残している。また、先述のとおりこの曲に因縁のある、ロニー・スペクターもコーラスで参加している。
 もう少し続けよう。この「Christmas (Baby Please Come Home)」との因縁と言えば、フィル・スペクターの『A Christmas Gift for You』のレコーディング・セッション時も、バック・コーラスやスタッフとして仕事をしていたシェールだ。当時スタジオで自身のデビューのチャンスを伺っていたシェールだが、結局、フィレス・レコードからのリリースは実現しなかった。しかし、当時のフィル・スペクターの配偶者の名を冠した、税金対策のサブ・レーベル、「アネット・レコーズ」から、ボニー・ジョー・メイソン名義で、ザ・ビートルズのリンゴ・スター賛歌、「Ringo, I Love You」を、フィル・スペクターのプロデュースでリリースしている。傍系レーベルからの気軽なリリースらしく、スペクターのウォール・オブ・サウンドを完全に封印して、あえて、ビートルズ・スタイルのアレンジを、実直に試しているこの曲は、しかし今の耳なら、なかなかのキラー・ガレージ・チューン。まず最初に、何より腕の立つギタリストとして、根底にリズム・アンド・ブルースや、ジャズ・ギターのメソッドが染みついているスペクターにとって、こうした、ストーンズやビートルズに影響を受けた、いわゆるB級な、しかし、ヒップな曲を手掛けることは造作なかったようで、同じくアネット・レコーズからの、やはり、その場のノリで作ったであろうフラットロック・チューン、Harvey & Doc With The Dwellersの「Oh,Baby!!」('64年作)など、フィレス・レコード以外のサブ・レーベルのリリースに、むしろ、こうした別の意味で超一流のクールな曲が散見される。
 話をシェールに戻す。この、「Ringo, I Love You」をリリースした頃、同じくスペクターのスタッフだったソングライター、ソニー・ボノ(当時のヒット作に、'63年のジャック・ニッチェとの共作である、ジャッキー・デシャノンの「Needles And Pins」などがある)と結婚し、'65年に夫婦のデュオ、ソニー&シェールとして「I Got You Babe」を大ヒットさせ、ここから「シェール」としてのサクセス・ストーリーが始まる。その後のシェールの活躍一つ一つは割愛するが、何より、ソニー・ボノ死没と同年、'98年末にリリースされた「Believe」は、全米1位、グラミー賞獲得、どころか、世界中のヒット曲の総合ランキングで、現在も歴代1位という、とんでもない特大ヒットを獲得した。この曲でのシェールの特徴的な使用で、アンタレス・オーディオ・テクノロジーズ製造の音程補正ソフト、「オートチューン」は、別名、「シェール・エフェクト」と呼ばれ定番化し、良くも悪くも、世界中にその名を馳せることとなった。そして、この「Believe」の大ヒットの翌年('98年)に、Rosie O'Donnellのクリスマス・アルバムに、このシェールの代名詞となった「シェール・エフェクト」を多用した、印象的なバックコーラスとして参加し、オリジナルから36年の時を経て、「Christmas(Baby Please Come Home)」のカヴァー・ヴァージョンをリリースした。女優としても、例えば、後の「バーレスク」のテス役など、たくさんの映画に出演・主演、数々の賞を受賞するなど活躍し、考え得る最大級の成功を手にしたシェールは、どんな思いでこの曲をカヴァーしたのだろうか。
 このボニー・ジョー・メイソン(シェール)の、フィル・スペクターが手掛けた「Ringo, I Love You」の作者が、ピーター・アンダースとヴィニ・ポンシア、つまりアンダース&ポンシアであることも、ザ・ペンフレンドクラブのファンであれば見逃せない点だ。ザ・ペンフレンドクラブはその誕生から、アンダース&ポンシアの楽曲と縁が深い。平川がこの曲をカヴァーすべくグループを結成したと言う、ザ・トレイドウインズの'65年作「New York's A Lonely Town」に始まり、加えて'64年のザ・ロネッツの「Do I Love You」は、共にザ・ペンフレンドクラブの1stアルバム『Sound Of The Pen Friend Club』('14年作)に、同じく、ザ・ロネッツのアルバム『Presenting the Fabulous Ronettes featuring Veronica』('64年)からの「How Does It Feel?」は、同じく2nd『Spirit Of The Pen Friend Club』('15年)に、またザ・トレイドウインズの「Summertime Girl」('65年)は、同じく3rd『Season Of The Pen Friend Club』('16年)に、それぞれ原曲へのリスペクトに満ちた、直球、かつ今の時代を生きる瑞々しさを併せ持つカヴァーが、収録されている。
 オリジナルの「Christmas (Baby Please Come Home)」を歌ったダーレン・ラヴは、「All I Want For Christmas Is You」のマライア・キャリーと同じく、この曲でクリスマス・シンガーとしてのイメージが広く定着し、この曲こそが、影武者ではないシンガー「ダーレン・ラヴ」の、正真正銘の一番の代表曲となった。その後、ダーレン・ラヴは、映画『ホーム・アローン2』のテーマ・ソング、「All Alone on Christmas」('92年)をブルース・スプリングスティーン(彼もまた、フィル・スペクターを信奉するシンガーの一人だ)のバック・バンド、Eストリート・バンドの演奏で、また、'07年には初のクリスマス・アルバム『It's Christmas, Of Course』を、それぞれリリースしている。このアルバム『It's Christmas, Of Course』は、トム・ペティ「Christmas All Over Again」('92年)、NRBQの「Christmas Wish」(このグループの、'86年の同タイトルのクリスマス・アルバムは、ブライアン・ウィルソン・ファンも必聴の佳作)や、他にもイーグルス、ザ・バンド、ジェイムス・ブラウン、スティーヴィー・ワンダー、ザ・プリテンダーズ、スリー・ワイズ・メン(XTC変名)、ザ・ステイプル・シンガーズ、ビリー・スクワイア、そしてジョン・レノンと、実に幅広く、それぞれの代表的クリスマス・ソングを採り上げカヴァーした、痒いところに手が届きまくる選曲の意欲作だ。
 「Christmas (Baby Please Come Home)」のカヴァーと言えば、先述のマライア・キャリーも、「All I Want For Christmas Is You」収録のクリスマス・アルバム『Merry Christmas』('94年)で、フィル・スペクターの『A Christmas Gift for You』への敬意を裏付けるようにカヴァーし、やはり抜群の歌唱を披露しているが、その完成度とカヴァー意義は、明らかに、この最新型のザ・ペンフレンドクラブ・ヴァージョンの方が、間違いなく共に上だ。ザ・ペンフレンドクラブは、このアルバムで、それだけのことをやってのけた。


3.Frosty The Snowman

 リーダー平川は、グループ結成当初から、以下4枚のアルバムようなクリスマス・アルバムを作ることが、悲願だったという。

V.A.『A Christmas Gift for You from Phil Spector』('63年)
ザ・ビーチ・ボーイズ『The Beach Boys' Christmas Album』('64年)
ザ・ベンチャーズ『The Ventures' Christmas Album』('65年)
ラバー・バンド『The Beatmas』('94年)

 

 フィル・スペクターとザ・ビーチ・ボーイズのアルバムは、ザ・ペンフレンドクラブの存在そのものに関わるほどの作品であることは明らかだ。
ザ・ベンチャーズも、もちろんギターを中心としたインスト・アルバムでありながら、ザ・ビートルズやゾンビーズなどの当時のヒット曲とクリスマス・ソングを次々とトリッキーに掛け合わせていく、文句なしに楽しいアルバム。上記4枚中、最も、グロッケンがアレンジの中で欠かせない重要な役割を果たしており、スレイベルの多用とも相まって、これでもかと言うほどクリスマス・ムードを盛り上げていく。
 ザ・ペンフレンドクラブのライヴに於いて、他のロック・グループとの違いが最もはっきりしているのが、中川が愛しむように音の一つ一つを奏でるグロッケンと、微笑みながら遠くを見つめ打ち鳴らす、スレイベルやウインドチャイムだ。そう考えれば、中川はザ・ペンフレンドクラブに於いて唯一、常にクリスマスの使者のイメージのような役割を果たしているメンバーであり、本作『Merry Christmas From The Pen Friend Club』に於ける、主役であると言ってもいいだろう。
 その点、ザ・ベンチャーズのクリスマス・アルバムもまた、ザ・ペンフレンドクラブの在り方に、大きく影響を与えたアルバムであることは間違いない。平川が傾倒する、山下達郎の選ぶクリスマス・アルバムの3位(1、2位はもちろん先述の2枚)でもある(ザ・ペンフレンドクラブの3rdアルバム『Season Of The Pen Friend Club』('16年)には、山下の「土曜日の恋人」の名カヴァーが収録されている)。
 また、平川自身が、ザ・ペンフレンドクラブでの八面六臂の様々な役割を担う以上に、「player」誌'18年4月号で、機材と活動が特集されたほどのヴィンテージ・ギター・マニア、生粋のプレイヤー気質であることも、この、極めて優れたギター・インスト・バンドのアルバムを、贔屓にする理由の一つだろう。
 なお、このザ・ベンチャーズのアルバムに収録される唯一のオリジナル曲、「Scrooge(スクルージおじさん)」は、イギリスのチャールズ・ディケンズの小説、「クリスマス・キャロル」(1834年作)の、ケチで偏屈で意地の悪い初老の主人公の名に因んだものだ。曲のちょっと不気味な雰囲気は、小説に登場する3つのクリスマスの亡霊をイメージさせる。そこから、孤独なスクルージの心情を表すかのメロディーを、爽やかなアレンジに乗せた「Blue Christmas」、さらに、さながら、ストーリーの終盤に改心したスクルージを祝福するかの、16世紀に生まれたとされる、イングランドの伝統的なクリスマス・キャロル、「We Wish You a Merry Christmas」に続く流れには、どこか暖かい気持ちにさせられる。
 4枚目の『The Beatmas』は、上述の3枚に比べ、遥かに、知名度、スタンダード性は低い。このアルバムは、デンマークの非常にハイレベルなザ・ビートルズのコピー・グループによるクリスマス・アルバムで、その内容はザ・ベンチャーズのそれと同じく、有名なクリスマス・ソングを、ザ・ビートルズそっくりなイントロやアレンジに掛け合わせた作品集だ。平川は、ザ・ビーチ・ボーイズ、フィル・スペクターの音楽そのものに向き合う、極めて実践的なマニアでもある以上に、かなりのビートルマニアである。ザ・ペンフレンドクラブの音楽に、ザ・ビートルズからの直接の影響がほぼ見えない(実際は、密かにアレンジの随所に散りばめられている)ことから、ファンでもそのことを知らない人は多いかもしれない。ところで、ザ・ビートルズ名義の正式なクリスマス作品と言えば・・・'63年~'69年の7年間、ファンクラブ会員に配布されたソノシートだけである。その内容も、あくまでノベルティで、クリスマス・ソングに真面目に向き合った楽曲は存在しない。これらは、ザ・ビートルズが、その短く濃密なキャリアの中で、ザ・ビーチ・ボーイズのアルバム『Beach Boys' Party!』('65年)のようなカジュアルな作品を、一枚でも作る余裕があれば、それはそれでとんでもない傑作だったのでは、と推測させられる内容でもあるのだが。ともあれ、ザ・ビートルズも、ザ・ビーチ・ボーイズ、フィル・スペクターらの手掛けたクリスマス・ソングも大好きな平川にとっては、この『The Beatmas』こそ、「こんなクリスマス・アルバムがあれば」という願いを叶えてくれた作品なのだろう。このアルバムに出会えた感激こそが、平川がクリスマス・アルバム制作を決意した、理由の一つとなったのかもしれない。結果、平川自身がグループとともに自らサンタクロースとなり、「こんなクリスマス・アルバムがあれば」と夢見た作品を、我々に届けてくれたことを考えれば、この他の3作に比べていささか知名度の低い、『The Beatmas』の貢献は大きい。なお、『The Beatmas』全12曲のクリスマス・スタンダードのうち、実に7曲が、本作『Merry Christmas From The Pen Friend Club』で採り上げられている。
 「Frosty The Snowman」は、ウォルター・ロリンズとスティーヴ・ロリンズによって書かれ、カントリー歌手のジーン・オートリーが'50年に初録音/リリースし、全米7位のヒットとなったポピュラー・クリスマス・ソング。ナット・キング・コール('50年)、ペリー・コモ('57年)、エラ・フィッツジェラルド('60年)、ジャクソン・ファイヴ('70年)などのカヴァーがある。
 ジャン&ディーンのヴァージョンがリリース('62年11月22日)された年のクリスマス・シーズンは、ザ・ビーチ・ボーイズが「Ten Little Indians/Country Fair(「I Do」のメロディのひな形となった曲)」(同11月26日)を、スペクターがフィレス初のクリスマス・アプローチたる「He's Sure The Boy I Love」(同12月3日)をリリースした頃。それぞれの音楽性が交錯し合い始める、まさに直前の時期。とは言え、3者の中では後進のザ・ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴは、グループの最初のシングル「Surfin'」から、既にジャン&ディーンの影響たる、ノベルティ・ドゥーワップ調のベース・ライン的歌唱を取り入れているのだが、ジャン&ディーンの方は、この時点では、まだザ・ビーチ・ボーイズをたいして意識しておらず、改めてジャン&ディーンが、正真正銘ザ・ビーチ・ボーイズの発明(デニスの思いつきをブライアンが形にした)である、「サーフィン+ヴォーカル/ハーモニー+ロックンロール」のスタイルをはっきりと取り入れ始めるのは、この3ヶ月後にザ・ビーチ・ボーイズが、その決定版たる「Surfin' U.S.A.」を大ヒットさせてからのこと。一方、フィル・スペクターの音楽には、キャリアを通じ、ザ・ビーチ・ボーイズ、ジャン&ディーンからの影響は見受けられない。
 フィル・スペクター('63年)も、ザ・ビーチ・ボーイズ('64年)も、それぞれのクリスマス・アルバムで、「Frosty The Snowman」を採り上げている。フィル・スペクター版はザ・ロネッツの歌唱で、同年8月の大ヒット「Be My Baby」のアレンジを変形させたアプローチ。そして、本作でのザ・ペンフレンドクラブは、同じザ・ロネッツの曲ではあるが、スペクターの『A Christmas Gift for You』リリース時点('63年11月)では、まだこの世に存在していなかった「Do I Love You」('64年)との、さらに、ザ・ペンフレンドクラブの1stアルバムに収録された、彼らがこの曲をストレート・カヴァーしたヴァージョンを踏まえたマッシュアップで、「Frosty The Snowman」をカヴァーしている。
 このヴァージョンが特別であるのは、ザ・ペンフレンドクラブの「Do I Love You」のカヴァー録音は、彼らの「第1期」メンバーに依るものであり、メンバー加入が4thアルバムからの藤本と大谷、本作からのリカは勿論だが、ドラムの祥雲、グロッケンの中川にとっても、マッシュアップ・カヴァーであるとは言え、初の「Do I Love You」のレコーディングだということ。'14年1月に、「第2期」の始まりと共に加入した両名だが、彼らがライヴで「Do I Love You」を演じ続けて既に4年、この曲は彼らの血肉となり、もはや彼ら以外の演奏は考えられない現在、幸運にも本ヴァージョンは録音の機会を得た。イントロの貫禄、安定感に嬉しくなり、つい「Do I Love You」としての続きも聴きたくなってしまうが、本作ではあくまでも「Frosty The Snowman」。ここでは'63年のスペクターにとっての、「1年後、2作目のクリスマス・アルバム」を想像し、このマッシュアップを存分に楽しみたい。
平川がその演奏技術に全幅の信頼を寄せる、ドラマーの祥雲は、リーダーである平川を除くメンバーの中で、楽曲全てのアレンジ構築に於いて、最も貢献している。数多の絶妙なフィル・インは、基本的にほぼ全て彼のアイデアによる。ザ・ペンフレンドクラブのレコーディングは、鍵盤・弦・管楽器、さらに、歌やコーラスのガイドラインがほぼ録音された後で、ドラム録りを行う。メンバーの演奏のプレイバックを隅々まで聴きながら、最も曲想に沿う、フィルやリズム感の調整を事前に模索、あるいはその場で瞬時に判断し、さながら作曲者のように積み上げていく。アップテンポ曲の熱演であっても例外ではない。ドラマーとしてこれを受け入れ、違和感なく対応することは極めて困難、かつ相当な技術・精神力を要するに違いない。まるで都市伝説、少し盛ってるでしょ、って思いたくもなる話だが、ほんの少しだけレコーディングの現場を覗かせてもらった筆者は、幸運にもその証拠たる、祥雲の実演を目撃し、仰天させられた。もしや証人となるよう、敢えてドラム録りの工程のタイミングを狙って、平川は筆者をスタジオに招聘したのではなかろうか。100%事実であった。祥雲は、天才だ。
 本作の「Frosty The Snowman」のマッシュアップ元である「Do I Love You」の、ベースラインなどのリズム・パターンは、「Do I Love You」から少し間を置き、フィレス・レコード末期、スペクター・プロデュースのアイク&ティナ・ターナーの諸作に頻繁に現れる。'66年制作の「River Deep - Mountain High」「Save the Last Dance for Me」「I'll Never Need More Than This」がそうだ。また、同時期の'66年10月から'67年7月にかけて録音・編集された、ザ・ビーチ・ボーイズの「Heroes And Villains(英雄と悪漢)」('67年7月リリース/その直前の5月に『Smile』プロジェクトは頓挫した)には、スペクターのこれら系列曲のリズム・パターンの影響が窺われる。加えて、ヴァン・ダイク・パークスによる歌詞の、スパニッシュ・ストーリーな意匠にも、スペクターの影が。また、「Heroes And Villains」の本来あるべきだった形とされる、'11年の『Smile』「公式版」ではこの曲の冒頭(直前)に、ドゥーワップ風ハーモニー・スタイルでの、「Gee」の短いカヴァー(オリジナルは'53年のザ・クロウズ)が挿入されるが、ブライアンが取り入れたのは、恐らく、ジャン&ディーン版('60年10月)への郷愁を込めてではなかろうかと思う。なお、この時期('59-'60年)のジャン&ディーンは、フィル・スペクターの最初のグループであり、スペクターの亡父に捧げられたゴスペル・ドゥーワップ・バラードたるデビュー作、「To Know Him, Is To Love Him(会ったとたんに一目ぼれ)」('58年9月)が、全米1位の大ヒットを記録した、ザ・テディ・ベアーズとほぼ入れ違う形、1年遅れで、同じハリウッドのDore Recordsに所属していた。
 そんなブライアン・ウィルソンが、『Smile』で成し遂げたかったことは、アメリカの歴史と、それまでの人生で自身が受けた影響の全てを総括し、アルバムとしてまとめ上げることだったのではなかろうか。プロジェクトの頓挫は、断じてブライアンの楽才の行き詰まりが原因ではなく、締め切りを設け、納得がいくまで取り組むには、そもそもコンセプト自体に無理があったのでは、と思われる。一方、共同制作者だったヴァン・ダイク・パークスは、その後、本来『Smile』が成すべきであった一つの側面である、ポピュラー・ミュージックを含むアメリカ史を俯瞰し、コンパクトに総括するスタイルのアルバムを、コンスタントにリリースし続けることとなる。('67年12月『Song Cycle』、'72年『Discover America』、'75年『Clang Of The Yankee Reaper』など)


4.Santa Claus Is Comin' To Town

 '34年に、エディー・カーターのラジオ番組で初めて放送、公開された、邦題「サンタが街にやってくる」で知られる、このポピュラー・ソングを作詞したのは、ヘヴン・ギレスピー。その代表曲として見逃せないのが、'49年8月に、フランキー・レインのヴァージョンが全米1位(22週間チャートイン)を獲得した、「That Lucky Old Sun (Just Rolls around Heaven All Day)」。そう、ブライアン・ウィルソンが、'08年にリリースしたソロ・アルバム、『That Lucky Old Sun』のタイトルとなり、同アルバムでカヴァーされた曲である。ブライアンは、ヴァン・ダイク・パークスの助力も得て作られた本作で、先述した『Smile』での実現を熱望した、アメリカ史回顧のコンセプトを、リラックスできる制作環境を通じ、そのごく一部かもしれないが成就することができた。
 「Santa Claus Is Comin' To Town」のカヴァーの中でも、現在までに最も大きい影響を与え、決定版となったのは、フィル・スペクターのクリスマス・アルバム、『A Christmas Gift for You』に収録の、ザ・クリスタルズのラ・ラ・ブルックスが歌うヴァージョンだ。先述の、マライアの「All I Want For Christmas Is You」の曲想の元でもあり、同発のクリスマス・アルバムに収録されたこの曲も、ザ・クリスタルズ・ヴァージョンを下敷きにしている。ジャクソン・ファイヴ('70年)やブルース・スプリングスティーン('81年)もそうだ。
 ザ・クリスタルズ・ヴァージョンに触発されて作られた、オリジナル・クリスマス・ソングとして、ロイ・ウッドとELOの初期メンバーによるグラム・ロック・バンド、ザ・ウィザードの「I Wish It Could Be Christmas Everyday」('73年/全英4位)が挙げられるが、ブライアン&マリリン・ウィルソンの2人の娘(カーニー、ウェンディ)と、ジョン&ミシェル・フィリップスの娘(チャイナ)によるトリオ、ウィルソン・フィリップスによるクリスマス・アルバム、『Chiristmas in Harmony』('10年)に収録の、この曲のカヴァーは、ザ・ウィザード版以上に、曲想自体のコンセプトが、しっかり引き出されている。この『Chiristmas in Harmony』に収録される「Santa Claus Is Comin' To Town」のカヴァーも、やはり、ザ・クリスタルズ・ヴァージョンを下敷きとしたもの。このクリスマス・アルバムは、数々のクリスマス・ソングのカヴァーの最後に、ア・カペラでの、ザ・ビーチ・ボーイズの「Our Prayer」で締め括られていることも意義深い。ウィルソン・フィリップスの中でも、特に'94年~'97年頃の時期に、ブライアンの完全復活に大きく貢献したと思われるカーニー・ウィルソンは、これまでのキャリアに於いて、カーニー&ウェンディの『Hey Santa』('93年)、ソロ『Christmas With Carnie』('07年)、上記'10年のウィルソン・フィリップスの『Chiristmas in Harmony』と、3枚のクリスマス・アルバムを発表している。特に、ソロ・アルバム『Christmas With Carnie』は、ミニマムで暖かい佳作。カーペンターズの「Merry Christmas Darling」のカヴァーや、夫のロブ・ボンフィグリオが作ったオリジナルの、「Warm Lovin' Christmastime」など、静かに注目すべき曲が、たくさん収録されている。
 また、クリスマス・ソングではないが、ザ・クリスタルズの「Santa Claus Is Comin' To Town」の影響が窺えるブライアン・ウィルソンの曲として、1stソロ『Brian Wilson』('88年)収録の、「Meet Me In My Dreams Tonight」を挙げたい。アンディ・ペイリーとの共作であるこの曲が、果たして本当にそうであるのかは、アレンジや展開を聴き比べてご判断頂く(神のみぞ知る)として。
 さておき、そのアンディ・ペイリーは、ボストンに拠点を置くプロデューサー、ソングライター、マルチ・プレイヤーで、'72年にレニー・ケイ(パティ・スミス・グループのギタリスト、ガレージ・コンピレーション『Nuggets』の監修者)のプロデュースで、ザ・サイドワインダーズのヴォーカル/ソングライター/パーカッションとして、アルバム『The Sidewinders』(ブリル・ビルディング調ポップ名曲「Rendezvous」「Slip Away」収録)をリリースしたところから、公式キャリアが始まる。その後、弟のジョナサンと共に、ペイリー・ブラザースを結成、'78年にパワーポップの名盤たるアルバム、『The Paley Brothers』をリリース(スペクター風名曲「Turn The Tide」収録)。当時は未発表に終わるが、フィル・スペクターのプロデュースで、ディオンの'76年のシングル曲(こちらもスペクター・プロデュース)「Baby,Let's Stick Together」のカヴァーを録音した。解散後、弟のジョナサンは、ボストン・パンク/パワーポップ・グループのナーヴァス・イーターズに加入(アンディもしばしばサポート・メンバーとして加わる)。アンディはここから、サイアー・レコードの社員として、本格的にプロデュース業、および、数多のミュージシャンとのサポート・コラボレーションに専念していく。ザ・リアル・キッズ、モダン・ラヴァーズ(ジョナサン・リッチマン)、NRBQ、ボーダー・ボーイズ(=ルイ・フィリップ ⇒ '88年に「Guess I'm Dumb」をカヴァー)などをプロデュース。そして'87年、その翌年にサイアー・レコードからファースト・ソロ・アルバムをリリースすることとなる、ブライアン・ウィルソンのレコーディングに関わることとなり、ブライアン、ラス・タイトルマン、ジェフ・リン、レニー・ワロンカーと共に、同アルバムの共同プロデューサーの一人としてクレジットされる。アルバム中、アンディの担当したうちの一曲が、上述したスペクター的アプローチの名曲、「Meet Me In My Dreams Tonight」だ。
 その後、ブライアンとアンディは個人的な親睦を深めていき、2ndソロ・アルバム『Sweet Insanity』を共同制作、そのお蔵入り後も、'98年頃までたくさんのレコーディングを行った。様々な障害のもと、当時ブライアンの生活全てを管理していたユージン・ランディや、ザ・ビーチ・ボーイズの他のメンバー、レコード会社等との折り合いがつかず、オリジナル音源を使用した公式リリースは、未だにごく数曲('95年の「In My Moondreams」「This Song Wants to Sleep with You Tonight」は特に素晴らしい)。今やアルバム『Brian Wilson』から2nd『Imagination』までの時期の、ブライアンとアンディのコラボの記録こそ、最も謎の多い音源で、その発掘と正式なリリースこそ、ブライアンのファンが一番求めているものかもしれない。が、共同制作がストップした後もアンディ・ペイリーは、ブライアン・ウィルソンの'02年の「Pet Sounds Tour」(ペット・サウンズ再現ツアー)に、バンド・メンバーとしてパーカッション担当で参加、来日公演でも演奏しており、恐らく現在のブライアンの前向きで充実した生活と、信頼の置けるバンド・メンバーに恵まれた状況を鑑み、付かず離れずの関係を保ち、あえてそっとしているのではないかと思う。近年も小出しに、当時のオリジナル・レコーディング音源が、公式リリースされている(13年「Soul Searchin」、'17年「Some Sweet Day」)ことからもそう思う。
 アンディ・ペイリーのクリスマス・アルバムと言えば、'12年にアメリカの子供向け(だが大人にも人気の)テレビアニメ「スポンジ・ボブ」のエピソード、『It's a SpongeBob Christmas!(スポンジ・ボブのクリスマス)』の音楽をプロデュースし、サウンドトラック・アルバム『It's a SpongeBob Christmas! Album』をリリースしている。これが全くあなどれない内容で、参加クレジットが凄い。ギター:アル・アンダーソン(NRBQ)、サックス:ニノ・テンポ(ニノ&エイプリール/スペクターのレッキング・クルーのメンバー)、ハーモニカ:トミー・モーガン(レッキング・クルー/『Pet Sounds』などで活躍)、ギター:ジョナサン・リッチマン(モダン・ラヴァーズ)、ベース:レイ・フォックス(ブロンディ、ペイリー・ブラザース)など。特にアンディ・ペイリーも作曲者としてクレジットされる「Snowflakes」は、アンディ流のペット・サウンズ・アプローチの美しい曲で、ザ・ビーチ・ボーイズのファンは必聴だ。
 アンディ・ペイリーについて、もう一つ。マサチューセッツ州ボストンを拠点とするアンディは、当然界隈に幅広い人脈を持つ。同州で'65年から不定期に活動を継続するガレージ・パンク・バンド、ザ・ライジング・ストームもその一つだ。儚げながら、どっこいなかなか力強い、さすがニューイングランドのバンドとも言うべき、絶妙なさじ加減のサウンドを、筆者は長らく蜃気楼系ガレージなどと呼んできたが「トワイライト・ガレージ」という識別呼称があるようだ。アンディは同グループの、'82年の再結成ライヴに際し、サポート・ベーシストとして参加した。そのライヴの音源は、'83年にArf! Arf!レーベルより、『Alive Again At Andover』としてリリースされている。アンディとバンドとは、これだけではない長い付き合いがあるようで、'99年の同レーベルからの再結成新録アルバム『Second Wind』でも、レーベル情報によれば、クレジットこそないもののアンディはプロデューサーの一人であるとのことだ。アルバムでは、アンディが'72年に書いた「Love Starvation」(ザ・サイドワインダーズの未発表曲かどうかは不明)をレコーディングしており、『Second Wind』には、'81年にアンディがベースを弾いたライヴ音源も収録されている。いかにも普通のオッサン6人が、楽器持って突っ立ってるだけの、全くそそらないジャケながら、アレックス・チルトンやジョナサン・リッチマンのソロ諸作をも想起させる、独特なセンスのガレージ・チューンが詰まった好盤だ。
 この、ザ・ライジング・ストームについては、ザ・ペンフレンドクラブのベーシスト、西岡がとても詳しい。そのプレイ・スタイルを、スペクターやブライアン御用達のレッキング・クルーのベーシスト、キャロル・ケイにしばしば喩えられる西岡だが、そのキャロル・ケイと同じく、元々はギターの名手でもある。西岡は、ザ・ペンフレンドクラブでの活動とは別に、このザ・ライジング・ストームからの影響も色濃く、これまた他にない絶妙なガレージ・サウンドを聞かせる、「Schultz(シュルツ)」というバンドに於いて、ヴォーカル・ギターを担当し、ライヴ活動を行っている。なお、西岡によるザ・ライジング・ストームについての解説記事は、ポップ&ロックミュージック音楽研究誌「VANDA」の公式サイト「WebVANDA」でご覧頂ける。
 本作での、ザ・ペンフレンドクラブの「Santa Claus Is Comin' To Town」は、彼ら自身のオリジナル曲であり、彼らの「第4期」の旗揚げを象徴するシングル、「ふたりの夕日ライン」('17年1月)とのマッシュアップだ。4thアルバム、『Wonderful World Of The Pen Friend Club』('17年)にも収録され冒頭を飾る「ふたりの夕日ライン」は、'16年3月加入の藤本と大谷にとっての、記念すべき初めてのレコーディング・リリース作品でもある。音符が四方八方に賑やかに飛び回るかのイントロのリフとアレンジ、曲が展開するごとに目まぐるしく変わるムードは、ザ・ビーチ・ボーイズとフィル・スペクターの影響は踏襲しつつも、そのどちらの作風とも違う、等身大で親しみやすい、文字通りの優れたポップ・ソングだ。むしろ、ザ・ビートルズの影響が、ザ・ペンフレンドクラブの活動を通じて、出るべくして平川の内から浮かび上がってきた曲、という方が適切かもしれない。
 そして、この曲でのザ・ペンフレンドクラブのアプローチは、予想に反し、先述の通り圧倒的なスタンダードとなった、スペクターのダーレン・ラヴ版を敢えて踏襲していない。ここで思い浮かぶのが、先に紹介した、ザ・ビートルズの曲とのマッシュアップ・クリスマス・アルバム『The Beatmas』だ。『The Beatmas』で採り上げられる「Santa Claus Is Comin' To Town」は、ザ・ビートルズの「Eight Days A Week」との掛け合わせだ。'64年12月4日、クリスマス・シーズン(ザ・ビーチ・ボーイズのクリスマス・アルバムと同年)に発売された、ザ・ビートルズの英国4枚目のアルバム『Beatles for Sale』に収録されているこの曲は、ザ・ビートルズの楽曲の中でも、特にブリル・ビルディング・サウンドの雰囲気を感じさせる作風で、アコースティック・ギターが効いた、バンド・サウンドのアレンジながら、同時に、最もフィル・スペクター作品のそれに近い曲の一つだ。同時に、最もクリスマス感、年末感を感じさせる曲とも言えるのではなかろうか。『The Beatmas』アルバムの中でも、この「Santa Claus Is Comin' To Town」は、最も自然にマッシュアップされており、そのためか歌メロも変えられることなく、素直に歌われている。
 この、ザ・ペンフレンドクラブの「Santa Claus Is Comin' To Town」と「ふたりの夕日ライン」のマッシュアップは、そんな『The Beatmas』のそれにも近い雰囲気だ。期せずして、印象の全く異なる、ザ・ペンフレンドクラブの「ふたりの夕日ライン」と「Eight Days A Week」が、実は根っこで繋がっていることに、初めて気付かされる。「ふたりの夕日ライン」の楽曲そのものの意義と、ザ・ビーチ・ボーイズとフィル・スペクターのみならず、ザ・ビートルズのイメージまでもがクリスマスと交差するこの曲こそ、最もこのアルバムのコンセプトの、的を射ているのではと思う。
 「Santa Claus Is Comin' To Town」には、もちろん数多くのカヴァー版が存在する。ザ・ビーチ・ボーイズの、『The Beach Boys' Christmas Album』でも採り上げられている。が、特に注目すべきはザ・フォー・シーズンズ('62年)とカーペンターズ('74年)のヴァージョンだろう。カーペンターズの方は、この一般的には子供向けで陽気な印象の曲を、しっとりとした美しいバラードに仕立てている。イントロ、間奏で現れるトランペットのアレンジが白眉。B面のオリジナル曲「Merry Christmas Darling」('70年リリースのシングルの再カップリング)もまた、A面に勝るとも劣らない、予想を心地良く裏切る素晴らしいコード展開の美しいバラード。まさにカーペンターズ・サウンドな、必聴の2曲だ(ともにリアレンジされ、'78年のクリスマス・アルバム、『Christmas Portrait』にも収録)。兼ねてより思うが、ザ・ペンフレンドクラブにも、是非カーペンターズのカヴァーをレパートリーに採り上げてもらいたいものだ。
 ザ・フォー・シーズンズの方は、先述の、ジャン&ディーンの「Frosty The Snowman」('62年)と同時期のリリース。「シェリー」のイメージそのままの、ノベルティ調の溌剌とした陽気なカヴァーで、カーペンターズのそれと並べると、とても原曲が同じと思えないアプローチ。ザ・フォー・シーズンズは、よくザ・ビーチ・ボーイズと比較されるが、実は両者は、ルーツも目指す方向も活動状況もかなり異なり、ヒットチャートのライバルではあれど(ザ・ビーチ・ボーイズが'63年の「Surfer's Rule」で、ザ・フォー・シーズンズを揶揄してみたり、などはあるが)、音楽的接点はあまりない。共演作として、'84年のシングル「East Meets West」もあるが、これは特筆すべき内容ではない。が、もちろんリスナーの立場から見れば、共に極めて優れたハーモニーを用いたポップ・ミュージックを作るグループであることに違いなく、ザ・ローリング・ストーンズのプロデューサーであり、熱烈なスペクター・ファンでもあるアンドリュー・オールダムは、彼のオーケストラ名義で、ザ・ビーチ・ボーイズとザ・フォー・シーズンズの楽曲だけを集めた、スペクターと言うより、ジャック・ニッチェのアルバム『The Lonely Surfer』('63年)のイメージすら飛び越し、ジョー・ミークの諸作を思わせるような、インスト・カヴァー集の迷作(かつ名作)アルバム、『East Meets West』('65年、期せずして先述のシングル曲と同タイトルである)を残している。ザ・ペンフレンドクラブも、ザ・フォー・シーズンズのボブ・ゴーディオの作曲パートナーであり、グループのプロデューサーでもあるボブ・クリューが、女性版ザ・フォー・シーズンズを意図して手掛けた、ザ・ラグ・ドールズの「Dusty」('64年)を、2ndアルバム、『Spirit Of The Pen Friend Club』に於いて採り上げ、見事なカヴァーを残している。
 ちなみに、スペクターやジャン&ディーンやブライアンよりも先輩格にあたる(そのキャリアは、国内ではむしろ"タモリ倶楽部"の曲として有名な、'57年作、翌年全米3位を記録した、ザ・ロイヤル・ティーンズの「Short Shorts」まで遡る)、ザ・フォー・シーズンズは、'62年末(『A Christmas Gift for You』の前年)に、グループの2枚目して、早々に「Santa Claus Is Comin' To Town」のシングルを含むクリスマス・アルバム、『The 4 Seasons Greetings』を、ボブ・クリューのプロデュースでリリースしている。ボブ・クリューとフィル・スペクターの接点も、僅かだがある。ボブ・クリューのペンによる、録音当時('65年)未発表に終わった、ザ・ロネッツの「Everything Under the Sun」('65年録音)や、プロデュースごとフィル・スペクターより委譲された、アイク&ティナ・ターナーのシングル、「Two To Tango/A Man Is A Man Is A Man」('66年)、そして、こちらも未発表に終わったアイク&ティナ版の「Everything Under the Sun」が確認できる。


5.I Saw Mommy Kissing Santa Claus

 ザ・フォー・シーズンズは、ザ・ビーチ・ボーイズとの接点はあまりないかもしれないが、フィル・スペクターについては早くから意識していたかもしれない。上述のボブ・クリューが手掛けた、『The 4 Seasons Greetings』に収録の「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」のカヴァーに、幾らかの影響が窺われる。このクリスマス・アルバムがリリースされる少し前に、フィル・スペクターは、後のフィレス・サウンドのアレンジ・パターンの原型がぎっしり詰まった意欲作、ザ・クリスタルズの1stアルバム『Twist Uptown』をリリースしているが、このザ・フォー・シーズンズの「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」は、ザ・クリスタルズの『Twist Uptown』収録の、「Uptown」「Oh Yeah, Maybe Baby」「On Broadway(ザ・ドリフターズも後にカヴァー)」やシングル「He Hit Me (It Felt Like A Kiss)」「He's A Rebel」などに、その萌芽が見受けられる、後にザ・ロネッツの「Be My Baby」で開花するカスタネットの効いたスパニッシュ・テイストなアレンジを、早々に取り入れ、ザ・フォーシーズンズのイメージと掛け合わせたようなカヴァーだ。このヴァージョンは、'64年のクリスマス・シーズンにシングルカットもされている。
 ザ・ペンフレンドクラブは、本作『Merry Christmas From The Pen Friend Club』において、先述した、アンダース&ポンシアの作のザ・ロネッツの「How Does It Feel?」と、「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」とを組み合わせている。この、『Merry Christmas From The Pen Friend Club』でのマッシュアップに於いては、あくまでザ・ペンフレンドクラブのディスコグラフィー/レパートリーを中心軸として、クリスマス・ソングと掛け合わせ、その伝統的なメロディの、美しさや楽しさを最大に引き出すアレンジを施していく、という自らに課したルールがあるようだ。そして、先の「Frosty The Snowman + Do I Love You」と同じく、フィル・スペクターの『A Christmas Gift for You』の収録版通り、「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」は、ザ・ロネッツの歌唱によるレコーディングであり、さらに、このザ・ペンフレンドクラブによる、『A Christmas Gift for You』発売時点ではまだ存在しない「How Does It Feel?」との、マッシュアップ・カヴァーは、フィル・スペクター視点から見た少しだけ未来の、もしも2枚目の『A Christmas Gift for You』があったならばと、思いを馳せることができるコンセプトに、統一しているあたりが心憎い。
この、ザ・ペンフレンドクラブ版の「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」も、「Do I Love You」と同じく、中川のグロッケンの節目節目のオブリガードが、アレンジの一つの肝となっているが、さらに心憎いのは、「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」については、オリジナルたる、フィル・スペクターの『A Christmas Gift for You』版の、同曲のオブリガードのフレーズを挿入している点だ。グロッケンとマンドリンとがユニゾンのメロディを奏でる間奏もとても美しい。先ほど述べたように、『Merry Christmas From The Pen Friend Club』はそのアルバムのコンセプトからも、クリスマスを象徴する、中川のグロッケンシュピールこそが主役であると言っても過言ではないが、「Frosty The Snowman」「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」同様に、収録された「Santa Claus Is Comin' To Town」「Last Christmas」「Winter Wonderland」「White Christmas」「Let It Snow」のカヴァーでも、他のメンバーの奏でる楽器とも混じり合いながら、藤本の歌と歌との間の間奏に於いて、中川のグロッケンは、煌びやかなメロディを打ち鳴らしている。
 また、『A Christmas Gift for You』での「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」のアレンジは、同じザ・ロネッツの「How Does It Feel?」と「I Wonder」と同系列のリズム・パターンの、初めての試みとも言える。その点でも、「How Does It Feel?」と「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」とを掛け合わせた平川の直観は、やはり冴え渡っている。なお、ザ・ロネッツの「Do I Love You」「How Does It Feel?」の作者、アンダース&ポンシアのピート・アンダースは、「ザ・トレジャーズ」名義で、フィル・スペクターの姉の名を冠した、やはりスペクターの税金対策と考えられる、傍系レーベル「シャーリー」より、ザ・ビートルズの「Hold Me Tight」のカヴァー・シングルを、リリースしている。本作のプロデュースはスペクターではなく、後のザ・パレードでの活動('67~'68年)で、ソフト・ロック・ファンにも人気を博す、ジェリー・リオペル。『A Christmas Gift for You』と同年同日('64年11月22日)にリリースされた、ザ・ビートルズの『With The Beatles』収録の「Hold Me Tight」を、スペクターが自身のレーベルからリリースしたということに、どこか因縁めいたものを感じる。
 「I Saw Mommy Kissing Santa Claus(邦題:ママがサンタにキッスした)」は、アイルランド系イギリス人のソングライター、トミー・コナーが'52年に書き、オリジナル録音であるジミー・ボイド版が、同年全米1位の大ヒットとなった、ポピュラー・クリスマス・ソング。発売当初はその歌詞について、敬虔なカトリック信者からのバッシングもあったとか。この曲が初めて世に出た'52年から遡ること15年前、同じくトミー・コナーが'37年に書いた、「The Little Boy that Santa Claus Forgot」は、後のイギリス人作家のポピュラー・クリスマス・ソングに散見される、クリスマスに浮かれ楽しむムードの裏で、そうではないクリスマスを過ごす者もいる、という20世紀以降の「クリスマス」の、一つの普遍的な現実をテーマとした曲のなかでも、初期の作品と思われる。ヴェラ・リン('37年/2018年10月現在、101歳で存命)、ナット・キング・コール('53年)、アレックス・ハーヴェイ('64年)のヴァージョンなどが知られる。後のザ・キンクス「Father Christmas」('77年、パワーポップ名曲)や、言わずと知れた、バンド・エイドのチャリティー・シングル「Do They Know It's Christmas」('84年)の源流とも言える。
 ザ・ビーチ・ボーイズ関連では、ブライアン・ウィルソンの二人の娘、カーニー&ウェンディの'93年のクリスマス・アルバム、『Hey Santa!』の最後に収録されたヴァージョンを忘れてはならない。アル・ジャーディン、カール・ウィルソン、マイク・ラヴそれぞれの子供たちの歌、及びザ・ビーチ・ボーイズのコーラスとともに8歳と7歳頃のカーニーとウェンディがレコーディングした物だ。'76年、ザ・ビーチ・ボーイズの未発表アルバムの一つ、『Merry Christmas from the Beach Boys』レコーディング期間中のことである。先述のマイク・ラヴの名曲、「Alone on Christmas Day」なども収録されるはずだった、この'77年にお蔵入りとなった、ザ・ビーチ・ボーイズ2作目のクリスマス・アルバムだが、予定されていた上記のタイトルを見てお気付きだろうか。奇しくもザ・ペンフレンドクラブの本作のタイトルと、一致していることに。


6.Rockin' Around The Christmas Tree

 '58年当時、13歳のブレンダ・リーがレコーディングしたオリジナル・ヴァージョンは、彼女の2年後のシングル「I'm Sorry」の大ブレイク後に、広く知られていくこととなる。演奏は、後に'60年代を通じエルヴィス・プレスリーを支えることとなる、カントリー界のレッキング・クルー「ナッシュビルAチーム」の面々。ビルボードの古今東西のクリスマス・ソングを集めた総合チャートの最新集計に於いても、先述のマライアの「All I Want For Christmas Is You」に次ぐ第2位、マライアと同じく、集計開始以来35週のランクインを維持している。
 ブレンダ・リーは'60年代のUSチャートに於いて、最も多くの曲をランクインさせた女性歌手でもある(エルヴィス・プレスリー、ビートルズ、レイ・チャールズに次ぐ、第4位)。小柄な少女が爆発的にシャウトする、元祖ロック・シンガー「リトル・ミス・ダイナマイト」として名を馳せていった彼女にとって、この曲は、'56年11歳の時にレコーディングされた愛くるしい歌唱の「I'm Gonna Lasso Santa Claus/Christy Christmas」に次ぐ、2枚目のクリスマス・シングルである。
 「Rockin' Around The Christmas Tree」は、ユダヤ系アメリカ人のソングライター、ジョニー・マークスによって書き下ろされた。ジョニー・マークスは、誰もが知る定番クリスマス・ソング「Rudolph the Red-Nosed Reindeer(赤鼻のトナカイ)」('48年)や、チャック・ベリーの「Run, Rudolph, Run」('58年)など、多数のポピュラー・クリスマス・ソングを生み出した人物でもある。
 チャック・ベリーの名が出てきたところで、『Merry Christmas From The Pen Friend Club』に影響を与えた4枚のアルバムのうちのひとつ、『The Beatmas』に収録された「Rockin' Around The Christmas Tree」と、ザ・ビートルズの「I Saw Her Standing There」のマッシュアップ・コンセプトに注目したい。「I Saw Her Standing There」の印象的なベース・ラインは、チャック・ベリーの「Talkin' About You」('61年)からの引用である。つまり、『The Beatmas』の「Rockin' Around The Christmas Tree」は、オリジナルのブレンダ・リー版のシャッフル・ビートを、ジョニー・マークス(「Run, Rudolph, Run」)経由でチャック・ベリー(「Talkin' About You」)を介し、「I Saw Her Standing There」の突っ走るエイト・ビートに、変換したとも言える。意図の有無はさておき、結果的に、このマッシュアップのコンセプトは見事だ。そして、チャック・ベリーとクリスマスと言えば、チャック・ベリーの「Too Much Monkey Business」('56年)の歌詞を書き換えたクリスマス・ソングとして、ノースウエスト・ガレージパンクの王者、ザ・ソニックスによる「Don't Believe In Christmas」('65年)がある。では「Monkey」と言えば。
『Merry Christmas From The Pen Friend Club』での「Rockin' Around The Christmas Tree」は、ザ・ペンフレンドクラブの2ndアルバム、『Spirit Of The Pen Friend Club』('15年)に収録の「The Monkey's Uncle」とのマッシュアップだ。
 「Rockin' Around The Christmas Tree」「Run, Rudolph, Run」「Talkin' About You」「I Saw Her Standing There」「Too Much Monkey Business」「Don't Believe In Christmas」「The Monkey's Uncle」。こんな、言葉遊びのようなイメージの連結はさておき、何より『The Beatmas』アルバムのファンである平川の直観が、ザ・ペンフレンドクラブのレパートリーの中でも、最もガレージ・パンクなエイト・ビートのドライヴ感を携える「The Monkey's Uncle」と、「Rockin' Around The Christmas Tree」とを、必然的に結びつけたのだろう。
 ザ・ビーチ・ボーイズのハーモニーとレッキング・クルーの演奏に乗り、アネット・ファニセロが歌う、'65年の同名ディズニー映画のタイトル曲、「The Monkey's Uncle」は、ディズニー音楽御用達のシャーマン兄弟の作品だが、ブライアンの突き抜けるファルセットが加わるだけで、ザ・ビーチ・ボーイズのオリジナル曲かのように思えてしまう。2ndアルバム『Spirit Of The Pen Friend Club』に収録のザ・ペンフレンドクラブ版は、ロックンロールの基本3点楽器(平川のギター、西岡のベース、祥雲のドラム)が成す、技術に裏打ちされた鉄壁のドライヴ感が、このカヴァーを、一流のガレージ・チューンに仕立て上げている。グループのコンセプトとして、こうした側面は本流としては封じられているが、ライヴでシンプルなガレージ・ビートを演じている時の3人は、まさに水を得た魚。グループの特性上か、3人ともライヴではあまり感情を表に出す演奏は行わないが、これを演じる彼らは、よく見るととても楽しそうなのだ。そしてザ・ペンフレンドクラブはこの「Rockin' Around The Christmas Tree」に於いて、ギター・ソロやその箇所に挿入されたファルセット、そしてベース・ラインなど、ザ・ペンフレンドクラブ版の「The Monkey's Uncle」の意匠を残しつつ、グループ初期からの数々のライヴでも演じられてきたこの曲と「Rockin' Around The Christmas Tree」とのマッシュアップ・レコーディングを、余裕と貫禄を以って、クリスマス・パーティの光景そのままに、とことん楽しんでいるようだ。  ・・・ 実際には、真夏の暑い盛りのレコーディングだったのだが。
 なお「Rockin' Around The Christmas Tree」には、ロニー・スペクターとダーレン・ラヴがデュエットで歌うカヴァーもある('92年のクリスマス・コンピレーション・アルバム『A Very Special Christmas 2』に収録)。これまたとことん楽しい仕上がりだ。


7.Last Christmas

 イギリスのグループ、ワム!人気絶頂期の'84年作。同年12月の全英チャートは、クリスマス・ソングが競い合い、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの「The Power of Love」と、ワム!のジョージ・マイケル自身も参加した、エチオピア飢餓へのチャリティ・ソングであるバンド・エイドの「Do They Know It's Christmas?」に阻まれ、1位は逃したが、以降のクリスマス・シーズンはコンスタントに、そして'07年以降は、これまで毎年チャートインしており、昨年は最高位(2位)を記録している。また「All I Want For Christmas Is You」「Rockin' Around The Christmas Tree」の項でも採り上げた、最新のビルボード・ホリデー・シングル・チャートでも6位となっている。日本のオリコン洋楽シングルチャートでも、通算30週1位を獲得、国内最長記録となっており「All I Want For Christmas Is You(恋人たちのクリスマス)」と同じく、誰もが知る洋楽曲の一つだろう。'84年は、他にもゲイリー・グリッターの「Another Rock and Roll Christmas」やプリンスの「Another Lonely Christmas」もリリースされており、名クリスマス・ソング豊作の年でもある。
 キャロル・キングも、'11年リリースのキャリア初のクリスマス・アルバム、『A Holiday Carole』(イギリスやオーストラリア等でのタイトルは『A Christmas Carole』、2018年現在までの、最新スタジオ録音アルバムでもある)のデラックス・エディションに、ボーナス・トラックとして、この曲の、シンプルなアレンジの好カヴァーを収録している。キャロル・キング自身のオリジナル曲はないものの、娘のルイーズとジョディ・マーの共作「Christmas In The Air」など、ささやかな名曲や名ヴァージョンが、多数収録されている。
 アメリカの音楽界(のみならず、映画などエンタテイメント業界や、財界などもそうなのだが)に於いて、大きな影響力を持つユダヤ系アメリカ人はとても多い。ウラディミール・アシュケナージ、レナード・バーンスタイン、ジョージ・ガーシュウィン、ベニー・グッドマン、アーヴィング・バーリン、ボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクル、バート・バカラック、ビリー・ジョエル、ルー・リード、ジョーイ・ラモーン、セルジュ・ゲンスブール、そして、このキャロル・キングやフィル・スペクター、ハル・ブレイン、先述の「The Monkey's Uncle」を書いたシャーマン兄弟もそうだ。挙げればキリがない。
 一般に、ユダヤ教徒にはキリスト教の行事であるクリスマスを祝う習慣はなく、同じ時期に、古代のユダヤ人の戦勝を祝う「ハヌカ」を行い、クリスマス・ツリーではなくハヌカ・キャンドルを飾る。挨拶には「メリー・クリスマス」ではなく「ハッピー・ハヌカ」を用いる。敬虔なそれぞれの教徒の間で、これらを誤って使うとトラブルの元となるため「ハッピー・ホリデーズ」「シーズンズ・グリーティングス」と、宗教的に公平とされる言葉を使う場面も多い。
 こうした前提は知ってはおくべきだが、一般には20世紀以降、現在のクリスマスには宗教的意義は極めて薄く、どんな信仰の人も、日本人にも多い無信仰の人も、クリスマス・シーズンの喧騒を「メリー・クリスマス」気分で楽しく過ごしたい、と思う人が大半である(もちろん、それが叶わない環境に身を置く人もいる)のが実情ではなかろうか。
 先述のインタビュー通り、クリスマス・ソングの美しさに心酔しアルバムを作ったフィル・スペクターだが、ヒット性を狙ったという、執拗に躁的なアップテンポ・アレンジで固めたその作品群には、「祈り」の要素は極めて薄い。アメリカのマジョリティである、クリスチャン家庭で育ったザ・ビーチ・ボーイズのクリスマス・アルバムと比べれば、少なくともそれらアルバムの全体的な雰囲気の、明らかな違いに気付く。
 ユダヤ教徒ながら、'70年代末からの数年間だけキリスト教福音派に改宗した(が、3年ほどでユダヤ教徒に戻った)経歴のあるボブ・ディランは、'09年にキャリア初のクリスマス・アルバムである『Christmas in the Heart』をリリースした折に「自分も幼い頃からクリスマスを楽しんでいたし、ポピュラーなクリスマス音楽は、どんな人でも自分自身と関連付けて楽しめる」と、あえてエクスキューズ的な発言をしている。
 ユダヤをルーツに持つキャロル・キングも、先述した'11年のキャリア初のクリスマス・アルバムの、本国での正式タイトルが『A Holiday Carole』であったり、トラディショナル・ソング「Chanukah Prayer(ハヌカ・プレイヤー)」を収録したりと、ユダヤ教徒に対する、小さな配慮を込めている。
 民族・宗教の歴史、その是非を、ざっくり簡単になど語るべきではないが、我々が親しんでいる音楽の、音楽以外の背景に興味を持つことも、この世界を少しでも知る、一つのきっかけになるかもしれない。
 キャロル・キングはザ・クリスタルズの「He Hit Me (It Felt Like A Kiss)」「No One Ever Tells You」「Please Hurt Me」('62年)や、アーレン・スミス('61年)、パリス・シスターズ('62年)の「He Knows I Love Him Too Much」など、早くからフィル・スペクターのプロダクションにソングライターとして関わっていたが、意外にもスペクター関連のトップ40ヒットは、ライチャス・ブラザースの「Just Once in My Life」('65年全米9位)だけである。彼女のザ・ビーチ・ボーイズ関連の仕事として、ブライアン・ウィルソンもレコーディング及びプロモ・ビデオに参加した、ブライアンの娘達のグループ、ザ・ウィルソンズへ曲提供した、今の耳でも全く古さを感じさせない軽快なポップ・チューン「Monday Without You」('97年)は必聴だ。因みにザ・ペンフレンドクラブは、そんなキャロル・キングが書いたスペクター関連作の隠れた名曲、ダーレン・ラヴの「Long Way To Be Happy」('65年録音、当時未発表)を、3rdアルバム『Season Of The Pen Friend Club』('16年)に於いて、男声コーラスが際立つ原曲の構造を活かし、ザ・ペンフレンドクラブ版「Newyork's A Lonely Town」カヴァーの続編といった趣の、爽やかなタッチ、かつ原曲に忠実なアレンジでカヴァーしている。
 「Last Christmas」に戻る。この曲も、マライヤの「All I Want For Christmas Is You」や、ポール・マッカートニーの「Wonderful Christmastime」('79年)と同じく、ジョージ・マイケルが一人で全ての打ち込みトラックを制作した、パーソナルな録音のクリスマス・ソングだ。ワム!の相方であるアンドリュー・リッジリーすら、全く参加していない。
 ワム!がこの曲をリリースするより前に存在していた、よく似たメロディ、アレンジ、展開を持った曲として「Last Christmas」の前年のクリスマス・シーズンに発売された、クール&ザ・ギャングの「Joanna」('83年、全米・全英ともにチャート最高位2位)と、カーペンターズの「I Can't Smile Without You(涙色の微笑)」('76年、バリー・マニロウのカヴァー版は'78年に全米3位)がある。これらを比べれば、確かに言い逃れできないほど似ているところもあるが、だからと言って盗作と指摘するのは、無意識の影響が歴史を紡いでいくポピュラー音楽のシーンに於いて、野暮とも思える。が、カーペンターズのこの曲を管理する音楽出版社は、作者のジョージ・マイケルに対し訴訟を起こしている(後に示談で決着)。
 さておき、先ほどザ・ペンフレンドクラブによるカーペンターズの曲のカヴァーを聴いてみたいと書いたが、こうした経緯を踏まえれば、ザ・ペンフレンドクラブの「Last Christmas」のカヴァーは、間接的にそれを叶えてくれたと言えるかもしれない。
 この「Last Christmas」のカヴァーとマッシュアップされた曲は、2ndアルバム『Spirit Of The Pen Friend Club』の冒頭を飾るオリジナル曲「Tell Me (Do You Really Love Me?)」だ。イントロのドラムの「ドン・ドドン・パン」のブレイクや、曲中のカスタネットの入り方などから、真っ先にザ・ロネッツの「Be My Baby」の影響を感じさせる「Tell Me~」だが、ギターのカッティングを主体としたリズムやアレンジ構成を鑑みれば、全体的にはむしろ、「Be My Baby」に影響を受けて作られた、ザ・ビーチ・ボーイズの「Don't Worry Baby」の印象の方がより近く、かと言って、この2曲を引き合いに出すだけでは語れない、多面的な魅力を持つファン必聴の1曲だ。
 本作での、ザ・ペンフレンドクラブ版「Last Christmas」は、「Tell Me~」よりもテンポを落とし「ウォール・オブ・サウンド」的な残響のイメージは、じつはより控えめに、一方で、それぞれの楽器の音色やタッチがより生々しく浮き彫りにされた、ミックスが施されている。イントロで旋律を取る西岡のベース・ラインをはじめとした、それぞれの楽器、演奏の持つ色気が、最大限に引き出されたミキシングである。また、弦楽器が止む歌の冒頭箇所で、はっきりと聴こえる、ヨーコの奏でるオルガンの複雑に調整された音色が、サウンド的にカジュアルな印象の原曲に対し、カーペンターズやザ・ビーチ・ボーイズが資質としてナチュラルに持つ、「祈り」のエレメントを導いている。2度目の間奏の最後に挿入されるコーラスのフィルも、そんな「祈り」の気分を高めるための、時計職人による小さく精密な仕掛けのようだ。そして藤本の歌唱は、そんな「祈り」のサウンド・ムードの全てを、さながらカレン・カーペンターのごとく切実に代弁している。


8.Winter Wonderland

 '34年に書かれたこの曲の、作曲者、フェリックス・バーナードもまた、ユダヤ系アメリカ人である。共作者リチャード・スミスの歌詞に、クリスマス(ホリデー)への直接の言及はないが、美しいメロディーと、楽しい冬の日のイメージの歌詞により、誰もが知るクリスマス・スタンダードとなった。フィル・スペクターのクリスマス・アルバムでも採り上げられ、歌っているのはダーレン・ラヴだ。
 ザ・ペンフレンドクラブはこの曲を、3rdアルバム、『Season Of The Pen Friend Club』を象徴し、冒頭を飾る、「街のアンサンブル」と掛け合わせカヴァー。このアルバムには、初の日本人アーティストのカヴァー(山下達郎「土曜日の恋人」)と、グループ史上初の、平川による初の日本語詞のオリジナル曲である、この「街のアンサンブル」が収録されている。「ネオン」「通り」そして「すてきなメロディ」というキーワードと併せて、山下達郎率いるシュガー・ベイブからの影響を感じさせる曲想が、グループのポピュラリティを大きく高めた。その後ザ・ペンフレンドクラブは、現在も活躍中の本家シュガー・ベイブのリード・ギタリスト、村松邦男と出会い親睦を深め、ライヴでの共演も果たしている。
 歌の部分が短いシンプルな構成で、この楽しいカヴァー曲はあっという間に終わってしまう印象だが、やはり、一番の聴きどころはエンディング・パート。「街のアンサンブル」ではこの箇所で、平川のギタリストとしての腕前を存分に堪能できるが、この「Winter Wonderland」のカヴァーでのエンディングのギター・ソロでは、ライヴでの演奏実績の積み上げと、本作のミキシングの特徴、両方の成果か、より一つ一つのピッキングの息吹、ニュアンスに血の通った余裕が感じられる。そして、ソロ回しの最後の箇所を受け、せり上がってくる、大谷のサックスとの掛け合いが、現在のザ・ペンフレンドクラブのライヴ・バンド感を注入し、このカヴァー・ヴァージョンを特別な物としている。
 山下達郎のクリスマス・ソングと言えば、今年で発売35周年を迎える、誰もが知る不朽のロング・セラー「クリスマス・イブ」('83年)だが、近年の名カヴァーとして、アメリカはテキサス州の5人組ア・カペラ・グループ、ペンタトニックスのヴァージョンを採り上げたい。'14年リリースのクリスマス・アルバム、『That's Christmas to Me』の日本盤にて、ビートボクサーとヴォーカル・ベースを擁する最新型の、この曲のア・カペラ・カヴァーが収録された。このアルバム『That's Christmas to Me』は、全米でも大ヒットとなり、同年と翌'15年のビルボードのクリスマス・アルバム・チャートで1位となった。その翌年の'16年に、この記録を塗り替えたのは、同じペンタトニックスの同年リリースの2枚目のクリスマス・アルバム『A Pentatonix Christmas』。昨年'17年も、このアルバムは同チャートで首位を維持(1枚目の『That's Christmas to Me』も3位)し、ペンタトニックス名義のクリスマス・アルバムは最新集計である昨年まで、4年連続で1位を獲得している。
 '18年9月現在、全米で最も人気のあるグループのひとつであるペンタトニックスは、'11年の結成以来、長らくザ・ビーチ・ボーイズともフィル・スペクターとも音楽的な繋がりはなかったが、'18年、まさに今年の7月4日、アメリカの国民的な番組「A Capitol Fourth 2018」(米国独立記念日特番)にて、マイク・ラヴのザ・ビーチ・ボーイズとペンタトニックスは、共にこの大舞台に初出演し、共演の機会を得た。その際、マイク・ラヴが、SNSでペンタトニックスのメンバーとのバックステージ写真をアップしたりと、両者はいくらか親密になったようだ。先述したとおり、今年は夏、冬共にマイク・ラヴはハンソンと共演リリースし、今後の両者の新たなコラボ展開に期待感が高まるが、この若きペンタトニックスとザ・ビーチ・ボーイズとの今後の関係にも注目したい。
 また、この番組「A Capitol Fourth 2018」の総合司会を務め、更にこの日のザ・ビーチ・ボーイズのライヴにゲスト参加したのがジョン・ステイモスであったことも、熱心なザ・ビーチ・ボーイズのファンの間では話題となった。「フルハウス」や「ER緊急救命室」での演技が広く知られる俳優、ジョン・ステイモスは、ザ・ビーチ・ボーイズのツアー・ドラマーだった時期もあり、同じくザ・ビーチ・ボーイズのアルバム『Summer in Paradise』('92年)に収録の「Forever」のセルフ・カヴァーに於いて、リード・ヴォーカルを取った人物だ。

 

9.Christmas Delights

 この、クリスマス・ソングのカヴァー作品集、『Merry Christmas From The Pen Friend Club』のために、平川が新たに書き下ろしたオリジナル曲。印象的なベース・ラインがまず思い起こさせるのが、ザ・シュープリームスの「You Can't Hurry Love(恋はあせらず)」('66年)だ。イントロもさることながら、「真っ白な雪に/さあ 足跡つけたら」のAメロからBメロに切り替わる箇所の、ハッとさせられるコード・チェンジなど、そもそもダイアナ・ロスを引き合いに出されることの多い藤本の歌唱と相まって、とことん「You Can't Hurry Love(恋はあせらず)」と同質の、気持ちの高揚を与えてくれる。
 「You Can't Hurry Love(恋はあせらず)」型のリズムを持つクリスマス・ソングは、ザ・シュープリームスを含め、探してもありそうで案外ないが、一つだけ、イギリスのソングライター/ロックンロール・ヴォーカリスト、シェイキン・スティーヴンスの「Merry Christmas Everyone」を挙げたい。この曲は'85年に、ザ・ペンフレンドクラブのファンであれば「Newyork's A Lonely Town」の改作「London's a Lonely Town('76年、イクイノックス・セッション音源 / ブライアン・ウィルソン、ブルース・ジョンストン、テリー・メルチャー、ゲイリー・アッシャー、カート・ベッチャーが参加 / ガレージ・コンピ・シリーズ「Pebbles」の4番に収録)」で馴染み深い、パブ・ロック・ギタリスト/シンガーのデイヴ・エドモンズのプロデュースでリリースされた。同年のクリスマス・シーズンの全英チャートで首位を記録、'07年以降は現在まで毎年、年末に全英チャートにランクインする、イギリスでは誰もが知るクリスマス・ソングだ('17年の最高位は10位)。
 ザ・シュープリームスと言えば、ブライアン・ウィルソンがフィル・スペクターに採り上げてもらうべく作曲したが、結局プロモ盤の配布のみに終わった、公民権運動のキャンペーン・ソング「Things Are Changing」('65年、ザ・ビーチ・ボーイズの「Don't Hurt My Little Sister」の元曲でもある)の録音がある。見事なウォール・オブ・サウンドのバッキング・トラックながら、この曲のプロデュースはフィル・スペクター自身ではなく、先にも述べた、後のザ・パレードでの活動でソフトロック・ファンにも知られる、ジェリー・リオペル。同じトラックを用いた、ザ・ブロッサムズやジェイ&ジ・アメリカンズのヴァージョンも存在する。
 また、ザ・シュープリームスの「You Can't Hurry Love」と言えば、先述の通り、イントロのベース・ラインがこの曲の印象を決定付けているが、これを弾いたのは、実はモータウンのレッキング・クルーたる「ファンク・ブラザーズ」のベーシスト(ジェームス・ジェマーソンなど)ではなく、本家レッキング・クルーのキャロル・ケイである。そのため、この「Christmas Delights」での西岡の見事なベース・プレイは、フィル・スペクター/ブライアン・ウィルソンとモータウン・サウンドの僅かな接点を、がっちり繋いでいると言える。
 もちろんこの曲は「You Can't Hurry Love」との縁に留まらない。この「Christmas Delights」に、緻密なアレンジを施した編曲者、カンケが、さらにたくさんの縁を呼び込んでいる。膨大かつ幅広い活動実績と、「謎の音楽家」として、たくさんの変名、肩書を持つカンケを、大瀧詠一やフィル・スペクターをどうしても連想してしまうそのイメージを含め、きちんと紹介する言葉を筆者はまだ持たない。が、この「Christmas Delights」との繋がりを深く感じる、最新の仕事の一つである、女性シンガー「MIKKO」の新作アルバム『ANYTHING GOES - MIKKO COVERS -』('18年10月24日発売)について、少しだけ述べたい。
 カンケがプロデュース、全曲のアレンジとプログラミングを手掛けたこの作品は、コロンビア社の'60年代のサウンド・トラック・アルバム風なレトロさを醸し出す、オマージュの効いたジャケット、さらに、コール・ポーターの'34年作のジャズ/ミュージカル・スタンダードの曲名を冠したタイトルは、「バーバンク・サウンド」を代表するグループ、ハーパース・ビザールの、同じタイトルを冠する、'67年の2ndアルバム『Anything Goes』を思い起こさせる。'67年と言えば、ブライアン・ウィルソンの「ディスカバー・アメリカ」アルバムたる『Smile』プロジェクトが5月に頓挫した年。同年末に、どこか『Smile』との縁を感じる2作品、ヴァン・ダイク・パークスの1stアルバム『Song Cycle』と、彼の作品「High Coin」も収録された、ハーパース・ビザールのアルバム『Anything Goes』はリリースされた。
 『ANYTHING GOES - MIKKO COVERS -』に収録の、ザ・ビーチ・ボーイズの「Aren’t You Glad」も、やはり'67年12月に発売されたアルバム『Wild Honey』からのカヴァー。こうしたコンセプチュアルな連続性、一貫性を、ジャケットやクレジットから確認できるだけで、思わず笑みがこぼれるが、冒頭にブライアン・フェリーの大ヒット・カヴァー('76年)で広く知られる、ウィルバート・ハリソン('62年作)の「Let's Stick Together」の、グラム・オリエンテッドなカヴァーを配す、レンジの広さも痛快だ。本解説ではこれ以上は触れないが、他にも様々な仕掛けが満載、かつ極上のポピュラー・ソングがぎっしり詰まった濃密な名作であり、ザ・ペンフレンドクラブのファン必聴の一枚であることは間違いない。
 それを踏まえ、この『ANYTHING GOES - MIKKO COVERS -』にも収録された、ザ・ペンフレンドクラブの平川もギターで参加した、既に先行リリースされているMIKKOのシングル曲「色・ホワイトブレンド」(竹内まりや作/中山美穂'86年のヒット曲)の、カンケ・プロダクションによるカヴァー・ヴァージョンにも注目したい。
 職業作曲家時代のハリー・ニルソンが、ブライアン・ウィルソンに捧げるべく'65年に書き、フィル・スペクターに制作委託し、モダン・フォーク・カルテットによりレコーディングされた、「This Could Be the Night」という(当時レコード未発売となった)曲がある。
 この曲のカヴァーとしては、ブライアン・ウィルソンによる、先述のサイアーのプロデューサー、アンディ・ペイリーとのセッションから生まれたヴァージョン('95年)や、デヴィッド・キャシディ('75年)、フレイミン・グルーヴィーズ('92年)、ザ・ペンフレンドクラブの平川とも親交のある、ザ・ビーチ・ボーイズ/ブライアン・ウィルソン・バンドのギター/ヴォーカリストのジェフリー・フォスケット('96年)等の物がある。そして、山下達郎も、この曲の素晴らしいカヴァーを発表している('78年、'84年)。
 カンケが手掛けたMIKKOの「色・ホワイトブレンド」は、特に間奏のサックス・ソロでのメロディなど、山下達郎による「This Could Be the Night」のカヴァーとの繋がりを感じさせるアプローチだ。また、山下達郎のパートナーでもある、「色・ホワイトブレンド」の作者、竹内まりやが'97年に手掛けた、広末涼子のシングル「MajiでKoiする5秒前」は、このザ・ペンフレンドクラブの「Christmas Delights」と同じく、「You Can't Hurry Love(恋はあせらず)」型のリズム・パターンを持つ曲だ。カンケはザ・ペンフレンドクラブの「Christmas Delights」の編曲にあたり、平川が作った「恋はあせらず」ビートのクリスマス・ソングに、意識的な狙いの有無は分からないが、自身が手掛けたMIKKOの「色・ホワイトブレンド」のカヴァーと、「山下達郎/竹内まりや」というキーワードとの、潜在的な地続き感を見出したのではなかろうか。
 カンケは平川にとって数少ない音楽面、技術面、そして精神面に於ける、具体的な先導者、理解者でもある。そんなカンケの百戦錬磨の実績と、楽理に裏付けされた洗練されたアレンジに、平川は全幅の信頼と敬意を寄せる。さながらブライアン・ウィルソンがザ・ビーチ・ボーイズのクリスマス・アルバムに於いて、ブライアンの心の師である、ディック・レイノルズの編曲に身を委ねたように。
 その名が出たところで、ディック・レイノルズについて。ブライアン・ウィルソンがザ・ビーチ・ボーイズの特徴的な「オープン・ハーモニー」を生み出す上で、最も影響を受けたグループ、ザ・フォー・フレッシュメン。中でもブライアンが最も親しんだであろう、同グループの'56年~'61年のアルバム、シングル殆どの作品のコーラス、オーケストラ・アレンジを、ディック・レイノルズは手掛けており、ザ・ビーチ・ボーイズが採り上げた「Graduation Day」('56年)、「Their Hearts Were Full Of Spring」('61年)、そして影響を与えたに違いない「Route 66」('60年)、何れにも関わっている。作曲家としても、やはりブライアンが大きく影響を受けたシンガー、フランク・シナトラ等によってレコーディングされた、ハーモニーが肝になる美しいバラード、「If I Ever Love Again」('49年)や、ジーン・ヴィンセントの「Woman Love」、ワンダ・ジャクソンの「Threads and Golden Needles」(共に'56年作)などの、カントリー・ロッキンな曲を残している。
 ザ・ビーチ・ボーイズは、その名を名乗る以前の結成時段階で、デビュー作「Surfin'」('62年1月)等での演奏のおぼつかなさとは裏腹に、既にハーモニー・グループとして、充分な実力を持っていた。メンバーや家族と、ザ・フォー・フレッシュメンのコーラス等を、日常的に楽しく繰り返し歌ってきたのであろう。'61年9月のデモ・レコーディング音源、通称「モーガン・テープス」に収録された「Lavender」(ドリンダ・モーガン作)でも、後年に勝るとも劣らない見事なコーラスが聴ける(ゆえに、演奏抜きのテイクこそが素晴らしいのだが)。同時に、ブライアンはこの素晴らしいコーラスのアレンジを、グループ結成時点で、自在に作ることができたとも言える。ザ・ビーチ・ボーイズは、サーフィンよりも車よりも、まず最初に、ハーモニーありきの5人組、なのだ。
 ザ・ビーチ・ボーイズは、'64年に、クリスマス・アルバム『The Beach Boys' Christmas Album』をリリースする一年前に、初のクリスマス・シングル「Little Saint Nick」('63年12月)をリリースしており、そのB面には、クリスマスをキリスト教義的に全面的に裏付けるかの、祈祷文「主の祈り」を歌に乗せた「Lord's Prayer」のア・カペラ・カヴァーを、後年の彼らの作品を含めても、最も長く複雑なオープン・ハーモニーのアレンジを加え、リリースしている。後の『Smile』の「Our Prayer」は、この「Lord's Prayer」のコンパクト版とも言える。なお、ザ・ペンフレンドクラブには、ザ・ビーチ・ボーイズのこの「Our Prayer」に肉薄する祈りを込めた、ア・カペラ・ハーモニーの「Our Place」というオリジナル曲がある(5thアルバム『Garden Of The Pen Friend Club』に収録)。
 ザ・ビーチ・ボーイズは、予め備えていたハーモニー・グループとしての資質を、初期に於いては小出しにしてきた。最初にリリースされたア・カペラ・カヴァーは、ザ・フォー・フレッシュメン版を下敷きにした「Their Hearts Were Full Of Spring」だが、このカヴァーをアルバム『Little Deuce Coupe』('63年10月)に収録するにあたり、グループおよびアルバムのコンセプト・イメージたるホット・ロッドに沿うよう、事故死したジェームス・ディーンに捧ぐ歌詞に書き換えた。
 また、ザ・ビーチ・ボーイズが扱ったクリスマス・ソングも厳密には「Little Saint Nick」が最初ではない。アルバム『Little Deuce Coupe』リリースの半年前、全米に「Surfin' USA」の大ヒット旋風が吹き荒れる'63年4月に「Red Skelton Show」のために録音、撮影され、同年9月に放映された「Things We Did Last Summer」のカヴァーだ。この、冬の日に楽しかった夏を懐かしむ、といった歌詞のクリスマス・スタンダード曲(オリジナルは'46年のフランク・シナトラ版)を、ザ・ビーチ・ボーイズはコーラスのみならず、オーケストレーションのアレンジまで、モロにザ・フォー・フレッシュメンのスタイルでカヴァーしている。前後のディスコグラフィーから鑑みても、明らかに異質なこのカヴァーは、一方で、翌年の『The Beach Boys' Christmas Album』に於いて、ディック・レイノルズがアレンジを手掛けたアルバムの半数の曲の雰囲気と、酷似している。この音源が収録されたボックス・セット『Good Vibrations: Thirty Years Of The Beach Boys』('93年)には、アレンジャーのクレジットはないが、この'63年4月までに、ザ・フォー・フォレッシュメンを始め、キャピトル・レコードのアーティストを多数手掛けていたディック・レイノルズが、ザ・ビーチ・ボーイズの「Things We Did Last Summer」の録音に関わり、ここでブライアン・ウィルソンとディック・レイノルズの出会いがあり、翌年の『The Beach Boys' Christmas Album』でのアレンジの委託に繋がったのでは、と全くの推論ながら、そんなストーリーを想像してしまう。
 少なくとも、'64年6月に『The Beach Boys' Christmas Album』をレコーディングしていた頃のブライアンは、ザ・ビーチ・ボーイズのハーモニー、歌唱力に対し、自身の作曲・アレンジ能力を含む、全てを差し置く程の自信を持っていたのだろう。そのため『The Beach Boys' Christmas Album』に収録された、A面のオリジナル曲群のバッキング・トラックは、その時点での最新作『All Summer Long』('64年5月にレコーディング完了)よりも、簡素なアレンジに後退し、より歌が目立つ構成となった。クリスマス・アルバムであるにも拘わらず、1年前にリリースされた「Little Saint Nick」のアルバム用のリミックスでは、クリスマスを象徴するグロッケンやスレイベルすら、わざわざ省いてしまうほどに。そしてブライアンは、アルバムの半数を占める、カヴァー・クリスマス・ソングのアレンジを、全てディック・レイノルズに任せ、ザ・ビーチ・ボーイズが優れたシンガー、かつハーモニーを有するヴォーカル・グループであることを誇示すべく、グループ史上最もゴージャス、かつクリスマス感溢れるバック・トラックに身を委ね、さらに敢えてスタンダード、かつジェントルなヴォーカリストとしてのブライアン自身を、看板として打ち出した。心酔するアレンジャーに参加してもらい、同じく心酔するシナトラやプレスリーの如く歌う、このレコーディングはブライアンにとって、とても楽しい機会であったに違いない。
 前年'63年に、フィル・スペクターのクリスマス・アルバムの制作に立ち会ったにも関わらず、その影響を全く受けていないどころか、むしろ、逆張りであるかのようなプロダクションは、それ自体がブライアンにとっての、グループとクリスマスに対する、誠実な思いであったのかもしれない。ザ・ロネッツの「Be My Baby」に惚れ込んだブライアンだが、それに影響を受けて書いた「Don't Worry Baby」の段階からして、既に、決してフィル・スペクターのレコーディング手法や、フィレス・サウンドのアレンジそのものからは、ダイレクトな影響は受けていない、或いは敢えて差別化を計り続けていたように思える。ザ・ビーチ・ボーイズのディスコグラフィーには「Why Do Fools Fall in Love(恋は曲者)」('64年2月)のカヴァー等、ほんの数えるほどしか、所謂「ウォール・オブ・サウンド」に対する直球アプローチの曲は存在しない。このカヴァーのバック・トラックにしても「ヴォーカル・グループのためのクールなオケ」くらいにしか、考えていなかったように思える。むしろ、ブライアンの手掛けたガールズ・グループ、ザ・ハニーズの方に、フィル・スペクター作品のようなアレンジの曲は多い。
 このように『The Beach Boys' Christmas Album』の制作を企画、レコーディング('64年6月)した時点では、ブライアンとメンバーのザ・ビーチ・ボーイズについてのセルフ・イメージは、「最強のヴォーカル・バンド」として一致していた。修正やオーバーダビングを重ねた「疑似」とは言え、初のライヴ盤『Beach Boys Concert』を前年'63年の12月にレコーディングし、この頃('64年10月)にリリースしていることも、ブライアンのグループに対する自身、信頼を裏付ける。
 一方で『The Beach Boys' Christmas Album』のレコーディング、リリースで、ひとまずヴォーカル・グループとしての夢を成就させたブライアンは、クリスマス・アルバムを起点に、次第にその興味と自己評価に基づく野望が、グループのそれまでの在り方から離れていき、楽曲のアレンジとレコーディングやミキシング、ひいては楽曲自体への意味付け(トータル・コンセプト作り)に重きを置くようになる。その芽はもしかすると『The Beach Boys' Christmas Album』で、ジャズ要素を多分に踏まえたオーケストレーションを自在に操る、ディック・レイノルズの起用からの、屈曲した影響もあったのではなかろうか。
 '64年6月の、クリスマス・アルバムのレコーディング・セッション以降に作られた『The Beach Boys Today!』('65年3月)、『Summer Days (And Summer Nights!!)』(同7月)でのサウンド面の劇的な変化の後にリリースされた、いわゆる「アンプラグド」作品である『Beach Boys' Party!』(同11月)は、ヴォーカル・グループとしてのザ・ビーチ・ボーイズに拘るブライアンの、最も振り幅の大きな最後の迷いだったのかもしれない。そして迷いを振り切った、悪く言えば創作意欲の「エゴにしがみつく(「Hang On To Your Ego」)」ことを決めたブライアンは、まっしぐらに『Pet Sounds』『Smile』の制作に向かっていく。
 ブライアンにとってのディック・レイノルズの存在は、知られるより大きいと思う。混迷期のザ・ビーチ・ボーイズの未発表アルバムの一つに、'77年にリリースされるはずであった『Adult/Child』がある。このアルバムで、少なくともブライアン・ウィルソンは『The Beach Boys' Christmas Album』でシナトラのように歌った、楽しかった経験をもう一度、と願うかのように、書き下ろしたシナトラ風バラードの名曲「Still I Dream Of It」、妻のマリリンと弟カールが書いた「It's Over Now」、カールとブライアンの共作「Life Is for the Living」、'23年にピーター・デローズが書いたポピュラー・スタンダードであり、レッキング・クルーのサックス奏者、ニノ・テンポが姉のエイプリール・スティーヴンスとのデュオでカヴァー・ヒットさせた('63年/全米1位)「Deep Purple」の4曲のビッグ・バンド風オーケストレーション・アレンジを、13年ぶりにディック・レイノルズに依頼していることからも、『The Beach Boys' Christmas Album』は、ブライアン、グループにとって大切な、トータルでの成功体験だったに違いない。この時期に併行して、2枚目のクリスマス・アルバム『Merry Christmas from the Beach Boys』の制作を試みていたことからも、グループの起死回生を、クリスマス・アルバムとディック・レイノルズの起用に、賭けてみたのかもしれない。しかし、当時所属していたワーナー・ブラザース・レコードに発売を拒否され、両アルバムともお蔵入りとなってしまった。
 先述の通り、ディック・レイノルズは、ザ・フォー・フレッシュメンの「Route 66」のカヴァー('60年)でもアレンジを担当している。この曲を書いたジャズ・ピアニスト/シンガーのボビー・トゥループは、後にザ・ビーチ・ボーイズが、同じくディック・レイノルズが手掛けたザ・フォー・フレッシュメン版を下敷きに、歌詞を変えてア・カペラ・カヴァーした、「Their Hearts Were Full of Spring(心には春がいっぱい)」の作者でもある。ブライアンは時系列的に、「Route 66」については、ナット・キング・コール、ビング・クロスビー、ペリー・コモのヴァージョンも聴いていたかもしれないが、ブライアンにとってのこの曲は、やはりブライアンのアイドル、ザ・フォー・フレッシュメンによる、オープン・ハーモニー・アレンジで歌われるヴァージョンだろう。
 ところで、'46年に書かれた「Route 66」の歌詞は、国道66号線での車での旅を誘う内容で、沿線の地名が多数登場する。また、チャック・ベリーの'58年の全米2位の大ヒット「Sweet Little Sixteen」も、主題こそ16歳の素敵な女の子と踊りたいという内容だが、全米各地に彼女のファンがいることを示すべく、やはり地名が羅列される。そして66と16という、何かありそうな数字の繋がり。
 この「Sweet Little Sixteen」に、より類似した曲に、テキサスのブルース/ケイジャンのシンガー/ギタリストであるクラレンス・ガーロウが、'53年にリリースした「Route 90」('53年作)がある。明らかに'46年の「Route 66」に酷似した歌詞は、ほぼ国道66線を90号線に変えただけの内容だが、この「Route 90」は曲調まで「Sweet Little Sixteen」とそっくりだ。さらに言えば「Sweet Little Sixteen」「Route 90」と歌メロが似ている曲として、さらに遡りCleoma & Joe Falconの「Ils La Volet Mon Tranca」('34年)やLeo Soileauの「Hackberry Hop」('35年)がある。
 ザ・ビーチ・ボーイズの'63年の全米ナンバーワン・ヒット、「Surfin' U.S.A.」は、チャック・ベリーの「Sweet Little Sixteen」のアイデアの盗用とされ、彼の弁護士に訴えられ、'66年以降は、作者クレジットに、チャック・ベリーの名も加えられることとなった。が、口承文芸の要素が多分にあるポピュラー音楽に於いて、意識的であろうとなかろうと、アイデアが連鎖していくのは、全くよくあることだと思う。よほどでない限り、目くじらを立てる方が野暮だ。比較してもそこまで露骨に両曲は似ていない。「Surfin' U.S.A.」が訴えられるなら、その誕生の経緯を鑑みれば「Sweet Little Sixteen」の方がよほど・・・と思うが、いかがだろうか。なお、チャック・ベリー本人とザ・ビーチ・ボーイズの関係は一貫して良好だったようである。その後も、ザ・ビーチ・ボーイズは、ベリーの「Johnny B. Goode」('58年)のイントロを変換した、ご存知「Fun, Fun, Fun」('64年)を屈託なく作ったり。お金が絡むと外野がうるさい、ということだろう。
 ともあれ、ロックン・ロール曲「Sweet Little Sixteen」にも影響を与えたはずの「Route 66」に、ザ・フォー・フレッシュメンが、オープン・ハーモニーを加えたカヴァーを聴いたブライアンは、これこそが彼にとっての新しいロックン・ロールだと、目からウロコが落ちる思いだったのではなかろうか。ダメ押しに、チャック・ベリー自身も'61年に、得意のギターではなく、ナット・キングコール版準拠のピアノ・イントロで、この曲を明確な「ロックン・ロール・ソング」としてカヴァーしたことで、ブライアンにとってこの時点で、後に「Surfin' U.S.A.」を生み出すための、基本アイデアが出揃ったのではないだろうか。あとは「自家製」の「サーフィン」を加えることを思いつけば出来上がり、だったわけだ。ブライアンにとっては、ギターだけでなくピアノもオープン・ハーモニーも、等しくロックン・ロールなのだ。当時のみならず、キャリアを通じ一貫して、きっと今でもそう思っているに違いない。ブライアンはよく「ロックン・ロール・ソングを作りたい」という発言をするが、ピアノやハーモニーを前提としたそれとして、理解すべきだろう。ブライアンにとっての、一番のロックン・ロールの神様は、きっとザ・フォー・フレッシュメンやディック・レイノルズであるに違いない。
 ところで、ザ・フォー・フレッシュメンの初めてのクリスマス・アルバムは、結成から随分経った'92年の『Freshmas!』である。このアルバムでは、ディック・レイノルズも3曲でアレンジを担当、プロデューサーの一人としても名を連ねている。2枚目のクリスマス・アルバム『Snowfall』('07年)では、'96年~'14年まで、グループのファースト・テノール/ギタリスト、ベーシストとして活躍した、ブライアン・アイケンバーガーの、カール・ウィルソンの繊細なタッチと、ブライアンのようなパワーを併せ持つ美声が、存分に堪能できる。アイケンバーガーはザ・フォー・フレッシュメン脱退後、'14年にブライアン・ウィルソン・バンドに参加、'15年にマイク・ラヴ主導の「ザ・ビーチ・ボーイズ」へ加入し、'16年には、その「ザ・ビーチ・ボーイズ」として来日も果たした。今年'18年に、第一子の誕生を理由にグループを円満脱退したので、ジェフリー・フォスケットとブライアン・アイケンバーガーが並び立った、'16年の来日公演での名演は、ファンにとっては思いがけず、貴重な体験となったことだろう。アイケンバーガーはマイクのお気に入りでもあるので、子育てが落ち着いたら、是非復帰してほしいものだ。なお、アイケンバーガーは「アイク」名義で、'09年にソロ・アルバム『One』を発表している。
 ザ・ペンフレンドクラブのリーダー平川の、ザ・ビーチ・ボーイズ、フィル・スペクターを軸とする、'60年代中期ウエストコースト・ロック・サウンドの21世紀的再現への、飽くなき努力、野望に対するエネルギーは計り知れないが、少なくとも'64年時点でのブライアンと同じく、その制作姿勢はあくまで柔軟だ。前作『Garden Of The Pen Friend Club』('18年、まだこのアルバムの発売から半年しか経っていないという事実!)では、全編の生ストリングス・アレンジと演奏を「夜長オーケストラ」に委譲し、ロジャー・ニコルスやバート・バカラックの「A&Mサウンド」に肉薄する作品を作り上げ、グループとしての新境地を拓いた。本作では、アルバム唯一のオリジナル曲「Christmas Delights」の編曲の全てを、プロデュース的な側面でも気持ちを分かち合える、同志たるカンケに委ね、カンケ直伝のミキシング・セオリーを平川はしっかりと踏襲し、グループのディスコグラフィーに、これまでとは違う種類の、しかし同じく確実に新しい色彩の洗練を加えた。
 すっかりグループに定着した、平川による日本語詞は、「Christmas Delights」に於いても、心情の機微と連動した、風景および体温・気温の描写の巧みさが際立つ。曲そのものの隅々まで行き届いた、めくるめく展開は、「恋はあせらず」を引き合いに出すまでもなく、それ以上の、とびきりのポップ・チューンと言える。そして、ザ・ペンフレンドクラブのメンバーのうち、そのレコーディング楽曲の複雑なサウンド・アレンジに於いて、時にその構築から平川のオブザーバー的に関わる、大谷と同じくアカデミックな出自でもある、オルガンのヨーコは、この曲に於いても、オルガン、ピアノ、フルートのパートを担い、カラフルな彩りのこのクリスマス・ソングを煌びやかに輝かせるための、最大の貢献者となっている。
 なお、ザ・ペンフレンドクラブ・サウンドの動脈を流れる血液のような、全ての演奏を包み込むトレードマークの一つたる、ヨーコのオルガン・パートと、クリスマスの躁状態を演出するかの、高揚感溢れるギター・ソロのみ、平川の意向で、カンケによる当初のアレンジ・スコアに対し、最後に付け加えられた。
 また、この「Christmas Delights」は、これまで平川とカンケも数々の名曲を提供してきた、新潟のアイドル・グループ、RYUTistが、ほぼ同時リリースと言えるタイミングで、カヴァー・リリースする。RYUTistのメンバーの声域に合わせたキーでの、本家ザ・ペンフレンドクラブによる演奏を、このヴァージョンではアレンジのみならず、ミキシングも全てカンケが行っている。カンケによる、オリジナル・アレンジャー視点でのミキシングは、同じくオリジナル・ソングライターである平川のそれとは異なる、サウンド・メイキングの、もう一つの具体的な正解を提示している。「魅せ方」に特化したヴォーカル・グループでもある、RYUTist版ならではのアレンジも仕掛けられており、この完璧なクリスマス・ソングたるザ・ペンフレンドクラブ版と並べても、文字通り「甲乙つけ難い」素晴らしい完成度だ。発売日などのアナウンスは、'18年10月の現時点ではまだだが、イラストによる『A Christmas Gift for You』と『The Beach Boys' Christmas Album』へのオマージュ・ジャケットもクールな、ザ・ペンフレンドクラブとの、スプリット・7インチ・レコード(ザ・ペンフレンドクラブ側は「Auld Lang Syne」の別ヴァージョンを収録)となる予定だ。この『Merry Christmas From The Pen Friend Club』が発売される頃には、詳細が明らかになっていることだろう。
 この、とことん楽しく美しい、'18年の新たなクリスマス・スタンダードの誕生を、心から祝したい。


10.White Christmas

 1888年にベラルーシの敬虔なユダヤ教徒の一家に生まれ、5歳の時にアメリカ、ニューヨークに移住したアーヴィング・バーリンが、この曲を書いたのは1940年前後、既に30年近いキャリアを持つソングライターとして、多数のヒット曲と名声を獲得した後、52歳頃とされる。貧しい家庭に育ち、学歴も、まして音楽教育など全く受けたことがなく、ソングライターとしての名声を受けた後も、楽譜の読み書きはできなかったという。ゆえに書くことができた、シンプルで親しみやすい作風が、広く支持されたようだ。この、ザ・ペンフレンドクラブの『Merry Christmas From The Pen Friend Club』に影響を与えた、4枚のクリスマス・アルバム(フィル・スペクター、ザ・ビーチ・ボーイズ、ザ・ベンチャーズ、ラバー・バンド/The Beatmas)全てに於いて、カヴァーされた曲でもある。
'42年、この曲を映画「スイング・ホテル」のために最初にリリースしたのは、'40年代から'50年代初頭まで、クリスマス・ヒット・チャートをほぼ独占するほどの人気を誇っていた、「クリスマスソングの王様」ビング・クロスビーだ。「クルーナー・スタイル」(以降一般的となる、マイクロフォンの増幅機能を活かした、肉声を張り上げない歌唱法)を、最初に確立した歌手としても知られる、ビング・クロスビーの「White Christmas」は、発売以降ビルボード・チャートで14週間1位を、後のフランク・シナトラ版('44年)も、ビルボード・ポップ・チャートで最高5位を記録している。
楽しかった雪の日の、クリスマスの思い出を懐かしむという、後に定番となる歌詞の設定は、第二次世界大戦戦時下の米国、とりわけ米兵たちの間で特に人気となった。ザ・ドリフターズ版('54年)が、フィル・スペクター少年に多大な影響を与えたことは、「All I Want For Christmas Is You」の項で述べた通り。
山下達郎の、多重録音によるア・カペラでのカヴァーは、ロング・セラー大ヒット作となった「クリスマス・イブ」のB面曲として、カップリングされ続けていることも相まって、最も広く知られる、日本人によるカヴァー・ヴァージョンになった。このヴァージョンは、山下達郎のア・カペラ・アルバム『ON THE STREET CORNER 2』('86年)や、アカペラ+フル・オーケストラのクリスマス・アルバム『SEASON'S GREETINGS』('93年)にも収録されている。
本作『Merry Christmas From The Pen Friend Club』で、ザ・ペンフレンドクラブがマッシュアップ元として選んだレパートリーは、2ndアルバム『Spirit Of The Pen Friend Club』に収録されている、グレン・キャンベルの「Guess I'm Dumb」('65年)。
「Guess I'm Dumb」には山下達郎('83年)や、ザ・ペンフレンドクラブの理解者の一人として平川とも親交のある、ブライアン・ウィルソン・バンドのダリアン・サハナジャを擁する、ワンダーミンツ('96年)のカヴァーも存在する。
 「Guess I'm Dumb」は、ブライアン・ウィルソンとラス・タイトルマン(職業作曲家兼セッション・ギタリスト、後にワーナー・ブラザーズのA&Rマン、名プロデューサーとなり、ブライアン・ウィルソンの'88年の1stソロ・アルバムの完成にも、大きく貢献することになる)による共作だが、ザ・ペンフレンドクラブは4thアルバム『Wonderful World Of The Pen Friend Club』('17年)でも、「Guess I'm Dumb」の双子の姉妹と言えるもう一つの共作曲である、ザ・ビーチ・ボーイズの未完成曲「Sherry She Needs Me」('65年)を取り上げ、アレンジの落としどころを完璧に補完した、正に決定版たるカヴァーを発表した。更に、今年'18年の5thアルバム『Garden Of The Pen Friend Club』には、ブライアン・ウィルソンの1stソロ・アルバム『Brian Wilson』に収録の、ブライアン作、ラス・タイトルマン・プロデュースで制作された「Melt Away」の、原曲に対しこれ以上ないリスペクトを捧げ、ブライアンの心情にしっかりと寄り添う藤本の名唱による、とびきりのカヴァーが収録された。
 グレン・キャンベルの「Guess I'm Dumb」のレコーディング・セッションは、'64年10月からウエスタン・スタジオで行われた。この'64年10月には、フィル・スペクター渾身のプロデュース作である、ライチャス・ブラザーズの「You've Lost That Lovin' Feelin'(ふられた気持)」のレコーディング・セッションも、同じくハリウッドのゴールド・スター・スタジオで行われた。手際よくレコーディングが完了した「ふられた気持」は翌月11月にリリースされ、その後全米、全英チャートで、共に首位を獲得する大ヒットとなる。
一方で、「Guess I'm Dumb」のレコーディング・セッションは'65年の3月まで続き、この曲は同年6月にようやくリリースされた。共に、いわゆるブルー・アイド・ソウル(白人によるソウル・ミュージック)の先駆けと言える作風で、壮大かつ、どこか重く不穏なムードを併せ持つ。
 フィル・スペクターが「ふられた気持」での成功を収めるに至るまでの、道のりは長い。その原型は、ザ・クリスタルズの'62年の作品群(「Uptown」「On Broadway」「Another Country Another World」「He Hit Me (It Felt Like A Kiss)」)まで遡る。「Uptown」「On Broadway」はバリー・マン/シンシア・ウェイル、「Another Country Another World」「He Hit Me (It Felt Like A Kiss)」はキャロル・キング/ジェリー・ゴフィンが書いたが、うち「Uptown」のみ、全米13位のヒットとなっている。間奏の唸るファズ・ギターが印象的なボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズの「Zip-a-Dee-Doo-Dah」('62年10月/全米8位)も、同スタイルの曲の一つだ。が、'62年12月リリースの、スペクター初のクリスマス・ソング的アプローチ作である、ザ・クリスタルズの「He's Sure the Boy I Love」(マン/ウェイル作)以降、一旦この作風は影を潜める。
 上記のうち、マン/ウェイルと共に、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーも作者として名を連ねる「On Broadway」は、当初曲提供されたザ・クッキーズ版ではなく、明らかに、スペクターがプロデュースした、'62年のザ・クリスタルズのヴァージョンを下敷きにしたアレンジで、フィル・スペクターが愛してやまない、アトランティック・レコードの看板グループの一つ、ザ・ドリフターズによって'63年にリリースされ、全米9位の大ヒットとなった。なお、この最も広く知られるザ・ドリフターズ版では、フィル・スペクター自身が、リード・ギターで参加している。間奏の最後やアウトロで、ザ・テディ・ベアーズでも聴けるパターンの、ギターのオブリガードが確認できる。フィル・スペクターにとって、さぞかし心躍るレコーディングであったに違いない。
 そして'64年秋、ザ・ロネッツのプロデュースでできることを、概ねやり尽くしたスペクターは、ブルー・アイド・ソウル・デュオ、ライチャス・ブラザースを起用し、この'62年のザ・クリスタルズで用いた作風を大きく発展させた、マン/ウェイル作の「You've Lost That Lovin' Feelin'(ふられた気持)」を制作、リリース、ヒットさせた。続く、同スタイルのヒット「Just Once in My Life」('65年4月/全米9位)は、先述の「Another Country Another World」「He Hit Me」を書いた、ゴフィン/キング作である。
 なお、このライチャスの「You've Lost That Lovin' Feelin'」「Just Once in My Life」のリリースに挟まれる'65年2月に、同じくバリー・マン/シンシア・ウェイル作の、ザ・ロネッツの「Born to Be Together」(全米52位)がリリースされている。このザ・ロネッツ/フィレス・サウンド円熟期の名曲は、ザ・ペンフレンドクラブが4thアルバム『Wonderful World Of The Pen Friend Club』に於いて採り上げ、サックス、グロッケン、フルートの重奏アレンジが印象的な、美しいカヴァーを残している。
 奇しくも、ブライアン・ウィルソンも、'64年夏のクリスマス・アルバムのレコーディング・セッションの完了を境に、同じくフィル・スペクターのブルー・アイド・ソウル的アプローチに似た、重厚かつ、加えて内省的な作風、アレンジの曲を制作していくこととなる。ブライアンのそれは、スペクターの影響もさることながら、それ以上に、グループ結成当初の「モーガン・テープス」でも聴かれる、「Surfer Girl」「Barbie」からその内省の萌芽が窺える、3連ロッカ・バラードの発展の系譜上にある。順に公式リリースをざっと挙げれば「Lonely Sea」「Surfer Girl」「The Surfer Moon」「In My Room」「Your Summer Dream」「Ballad of Ole' Betsy」「Spirit of America」「The Warmth of the Sun」「Keep an Eye on Summer」「We'll Run Away」「Girls on the Beach」と来て、'64年の夏を迎えるわけだ。順に聴けば、サウンドの変遷がよく分かる。そんなブライアンの、最初のブルー・アイド・ソウル的アプローチ(敢えてここではそう喩える)は、クリスマス・アルバム・セッションの2ヶ月後、'64年8月の「She Knows Me Too Well」に始まる。3連ロッカ・バラードの系譜の流れからすら脱却した、グループのこれ以前の楽曲にはなかったタイプの空間的アプローチは、2年後の『Pet Sounds』に向かって、どんどん発展を重ねていくこととなる。「Guess I'm Dumb」のレコーディング・セッション期間中に作られた、 「Please Let Me Wonder」('65年2月)も、そのうちの一つだ。
 また、クリスマス・アルバムに続く、'65年3月にリリースされたアルバム、『The Beach Boys Today!』には、3連ロッカ・バラードの系譜がブルー・アイド・ソウル的陰りを携え、サウンド面で格段に発展した曲が、一気に3曲(「I'm So Young」「Kiss Me, Baby」「In the Back of My Mind」)収録された。更にこの「Guess I'm Dumb」の翌月にリリースされた、続くアルバム『Summer Days (And Summer Nights!!)』('65年7月)は、ブルー・アイド・ソウル的アプローチこそ一旦影を潜めるが、従来のザ・ビーチ・ボーイズの曲想イメージそのままに、アレンジ、サウンド・プロダクションのみ格段に進化した、重厚さと瑞々しさが高いレベルで拮抗した、この時期でしか聴けない、これもまた唯一の傑作となる。このアルバム以降、ブライアンの作風、グループの資質が、このレベルでここに戻ってくることは、二度となかった。
 なお、『Summer Days (And Summer Nights!!)』収録の3連ロッカ・バラードの系譜の名曲に、インスト作の「Summer Means New Love(恋の夏)」がある。この曲には、前作『The Beach Boys Today!』の「In the Back of My Mind」同様、ストリングスが配されている。ブライアン・ウィルソンの作品、例えばアルバム『Pet Sounds』での、荘厳で緻密なアレンジのイメージ等から気付きにくいが、実は、ディック・レイノルズによる豪華なオーケストレーションを配した『The Beach Boys' Christmas Album』を除けば、その『Pet Sounds』前後までの、発展期のザ・ビーチ・ボーイズの楽曲で、ストリングス・アレンジが施されている曲は、ほんの僅かしか存在しない。'63年の「The Surfer Moon」(ジャン&ディーンのジャン・ベリーが、ザ・ビーチ・ボーイズにとって、初めてのストリングス導入曲であるこの曲の、ストリングス・アレンジを行った)以降は、上述した'65年の「In The Back Of My Mind」と「Summer Means New Love(恋の夏)」まで、ストリングスを配した曲は一つもない。が、「In The Back Of My Mind」も「恋の夏」も、既に『Pet Sounds』の息吹が聞こえてくるムードの曲だ。
 フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドの諸作に於いては、ほぼ全てと言ってもいいほど、ストリングスがアレンジの不可欠な要素となっている。が、フィル・スペクターの信奉者とされるブライアンは、ストリングスをアレンジに組み込むことを避けてきた。ブライアンは、グループのハーモニーに確信的、絶対的なプライドを持っていたので、コーラスの壁とアレンジ上ぶつかるストリングスを、ザ・ビーチ・ボーイズの従前の作品では、敢えて配さなかったのだろう。そんなブライアンの(敢えて軽々しく書くが)「気分」を変えたのは、案外『The Beach Boys' Christmas Album』での、ディック・レイノルズの起用と、レコーディング・セッションの経験も、一つの要因かもしれない。あ、これもアリか、というレベルでの判断で。そして、ストリングスの導入は『Pet Sounds』に於いて解禁される。「Don't Talk (Put Your Head On My Shoulder) 」「I'm Waiting For The Day」「Let's Go Away For Awhile」「God Only Knows」の4曲がそうなのだが、とは言え、曲をゴージャスにするだけの目的でのありがちな導入ではなく、あくまで必要な箇所にのみ、斬新に切り込む形で、慎重に使うように努めている印象だ。
 なお、ザ・ペンフレンドクラブは、「Guess I'm Dumb」のカヴァーを含む『Spirit Of The Pen Friend Club』に於いて、こうした経緯を本能的に踏まえるかのごとく、「Guess I'm Dumb」と同時期のレコーディング作である、上述の「Please Let Me Wonder」を採り上げている。ザ・ペンフレンドクラブらしい、ストレートなアプローチの好カヴァーだが、女性の声で唄われる「This beautiful image I have of you」の歌詞の下りなど、原曲とはまた違った意味合い、魅力を持つ。さらに、このアルバムにはこうした繋がりのダメ押しとして、このグレン・キャンベルの'68年の大ヒット、「Wichita Lineman」(全米3位、同タイトルのアルバムは全米1位)も採り上げている。この素晴らしいカヴァーの間奏で聴かれる、ピッキング・ハーモニクスが印象的な平川のギター・ソロは、彼らのライヴに於いてもクライマックスの一つである。また、ザ・ペンフレンドクラブは、3rdアルバム『Season Of The Pen Friend Club』でも、グレン・キャンベルが'67年にカヴァー・ヒットさせた「By the Time I Get to Phoenix(恋はフェニックス)」を採り上げ、「Wichita Lineman」と双璧を成す、特にヨーコによるフルートの、美しいオブリガードが印象的な、しっとりとした名演を残している。
 この「Wichita Lineman」と「By the Time I Get to Phoenix」の作者は、共にジミー・ウェッブ。ジミー・ウェッブとクリスマスと言えば、ブライアン・ウィルソンの'05年の、ソロとして初のクリスマス・アルバム、『What I Really Want For Christmas』に収録された、アルバムのためにブライアンが書き下ろしたオリジナル名曲「Christmasey」の共作者として、クレジットされていることが挙げられる。
また、グレン・キャンベル自身も'68年にクリスマス・アルバム『That Christmas Feeling』をリリースしており、同年のクリスマス・アルバム・チャートで堂々1位を記録している。
 この、ザ・ペンフレンドクラブのグレン・キャンベル経由の「White Christmas」のカヴァーは、その組み合わせの根拠ある着想それ自体、こんなことを成しえるグループは、世界中でまさに、ザ・ペンフレンドクラブだけだろう。「Guess I'm Dumb」との極めてストレートな掛け合わせながら、同曲の持つ陰りのイメージは、目の前に存在しないクリスマスの日を夢見て祈る心情と、ぴったり合致している。"Just like the ones I used to know"と"Where the treetops gliste"を繋ぐコード等に残された「Guess I'm Dumb」の意匠は、この美しいカヴァーの隠し味だ。


11.Let It Snow

 先述した、ザ・ビーチ・ボーイズが公式に扱った初めてのクリスマス・ソング、「Things We Did Last Summer」の作者でもある、サミー・カーン作詞/ジュール・スタイン作曲のコンビによる、ポピュラー・クリスマス・ソング('45年)。第二次世界大戦終結後の最初のクリスマス・シーズンに、オリジナルのヴォーン・モンロー版('46年1月に入って全米1位を獲得)がリリースされた。サミー・カーン、ジュール・スタイン共に、繰り返しになるが、ユダヤ系アメリカ人作家(ジュール・スタインはイギリス生まれで、8歳の頃に家族でアメリカのシカゴに移住)である。雪の日をひたすら楽しむ内容の歌詞には、クリスマスについての言及は一切ない。ジョー・スタッフォード('55年)、エラ・フィッツジェラルド('60年)など、数多のカヴァー・ヒットが存在する。'12年のロッド・スチュワート版は、同年のビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートで、1位を獲得する大ヒットとなった。デヴィッド・フォスターが1曲を除く全曲のプロデュースを手掛けた、このカヴァーを含む、ロッド・スチュワートの同年発売のクリスマス・アルバム、『Merry Christmas, Baby』も、同年のビルボード・ホリデイ・アルバム・チャートで1位を獲得、総合チャートでも全英2位、全米3位を記録した。
 カナダ人のキーボーディスト、プロデューサー、ソングライター、アレンジャーであるこのデヴィッド・フォスターは、AORブームに乗って頭角を現した大物プロデューサーであり、プレイヤーとしても、同じくスティーリー・ダンの『Aja:彩(エイジャ)』('77年)収録の、ユニットの代表曲「Peg」でのギター・ソロ・パートに起用されたことで頭角を現した、セッション・ギタリスト、ジェイ・グレイドンとのAORユニット「エアプレイ」の、同名アルバムでの名演でも知られる。数えきれない程たくさんの、大ヒット・アルバムのプロデュースを手掛けたデヴィッド・フォスターは、このロッド・スチュワート('12年)以外にも、セリーヌ・ディオン('88年)、ジョシュ・グローバン('07年)、マイケル・ブーブレ('11年)、メアリー・J. ブライジ('13年)、ジョーダン・スミス('16年)など、近年の大ヒット・クリスマス・アルバムも多数手掛けている。ソングライターとしても'90年に、ナタリー・コールに書いたクリスマス・ソング「Grown-Up Christmas List」が、後に多数のカヴァーを生む、クリスマス・スタンダードとなっている。
 ザ・ペンフレンドクラブは、この寒い季節の陽気なクリスマス・ソングを、彼らのオリジナル曲「I Like You」(2ndアルバム『Spirit Of The Pen Friend Club』に収録)と掛け合わせる。『A LONG VACATION』期の大瀧詠一をイメージさせる、清涼感溢れる名曲「I Like You」も、この『Merry Christmas From The Pen Friend Club』で採り上げられた他のオリジナル(「ふたりの夕日ライン」「街のアンサンブル」)と同じく、ミドルテンポのシャッフルビート・ナンバーだ。イントロでしっかりとリズムを刻む大谷のサックス、曲中の中川のグロッケンのフィル、そして間奏での両者のユニゾンのメロディが特に印象的なトラックに、藤本の、どこかはしゃぎすぎの狂騒をたしなめ、諭すような、優しい歌が乗る、心暖まるカヴァーだ。
 ザ・ペンフレンドクラブがカヴァーした大瀧詠一作品は2曲。この曲でのサックス・ソロを依頼したことが、大谷加入のきっかけとなった、「夏のペーパーバック」(4thアルバム『Wonderful World Of The Pen Friend Club』に収録)と、「夜長オーケストラ」のストリングスがサイケデリックに絡み、原曲を超えるスケール感を醸し出す、「水彩画の街」(5thアルバム『Garden Of The Pen Friend Club』に収録)だ。
 ザ・ビーチ・ボーイズのクリスマス・アルバム『The Beach Boys' Christmas Album』に収録された、ザ・ビーチ・ボーイズの演奏、歌唱による冒頭5曲のオリジナル曲のうち、「The Man with All the Toys」を除く4曲は、全てシャッフル・ビート・ナンバーで固められている。先述の通り、一年前にリリース済の「Little Saint Nick」の再ミックス収録にあたり、わざわざクリスマス感を醸し出す象徴的な楽器である、グロッケンとスレイベルを外し、新規録音のオリジナル曲にも、それらを敢えて加えていない。クリスマス・アルバムであるにも関わらず、である。
 ブライアンは、シャッフルビートと自慢のハーモニーとキャッチーな楽曲さえあれば、グループの陽気なキャラクターと併せて、充分にクリスマス感を演出できると考えたのだろう。前年の'63年10月にレコーディングされた「Little Saint Nick」は、明らかに同年7月にヒットしたばかりの「Little Deuce Coupe」のクリスマス版であるが、その初稿は、翌'64年のアルバム『All Summer Long』に収録された「Drive-In」のバック・トラックに、「Little Saint Nick」で使った歌詞を乗せた物だった。これら2ヴァージョンは、共に'63年10月の録音で、どちらが先か、と考えどころだが、「Drive-In」オケの「Little Saint Nick」には、後の「Drive-In」の間奏となる箇所を大サビとして、採用されたシャッフルビートの「Little Saint Nick」には存在しない歌詞が歌われており、「Drive-In」オケ版が先行していたと考える方が自然だ。疾走感あるアップテンポのエイトビート曲である、ホットロッド・ソングとして完成し、『All Summer Long』に収録された「Drive-In」には、曲想に合わない(が、しかし気分を高揚させてくれる)煌びやかなスレイベルが、当初「Little Saint Nick」のオケとして録音されたアレンジのまま、残されている。
 もしも、この「Little Saint Nick」に、ホットロッドな疾走感のある「Drive-In」のオケが採用されていたら、翌年の『The Beach Boys' Christmas Album』用の曲も、例えば「Shut Down」や「Fun, Fun, Fun」などに寄せた、アップテンポのエイトビート・ソングばかりが書かれていたかもしれないし、いやはや結果的に同じで、シャッフルビートへの執着を改めて選択していたかもしれないが、もちろんそんなことはブライアン本人に聞かなきゃ分からない。
 『The Beach Boys' Christmas Album』のA面、冒頭5曲のオリジナル曲は、バンド自身の演奏ということも相まって、何れも小品ではあるが、とても興味深い。「Little Saint Nick」については後述する。まず2曲目の「The Man with All the Toys」は、直ぐに分かりにくいが、'64年6月の、この曲のレコーディングの2ヶ月後にレコーディング、リリースされる「When I Grow Up (To Be a Man)、邦題:パンチで行こう」の原型であると言える程、構成が似通っていることに気付く。ブライアンの弾くハープシコードが印象的な「When I Grow Up (To Be a Man)」だが、そのイメージは「The Man with All the Toys」では、まだギターとピアノで代用されている。またAメロ、Bメロの構成、旋律やブレイクの扱い方、アウトロでの年齢を数えるコーラスが入るタイミング、等々、とても近しい曲想だ。なお、ザ・ペンフレンドクラブは1stアルバム『Sound Of The Pen Friend Club』('14年)に於いて、同アルバム収録の「Newyork's A Lonely Town」と同じく、男女ヴォーカルのスイッチが斬新なアプローチ、かつ、今だからこそ顧みて言えるのだが、活動初期の初々しさもまだまだ垣間見れる、とてもかわいらしい印象の好カヴァーを残している。
 『The Beach Boys' Christmas Album』の残る3曲のオリジナル曲(「Santa's Beard」「Merry Christmas, Baby」「Christmas Day」)は、何れもミドルテンポのシャッフルビートの曲だ。先述した、3連ロッカ・バラード曲の発展の系譜と同じく、シャフルビート曲の発展と共に、『Pet Sounds』前後までのザ・ビーチ・ボーイズの歴史はある。この路線のひとまずの完成形である、「All Summer Long」(『The Beach Boys' Christmas Album』のレコーディング直前の'64年5月録音)までには、'62年の8月に、ゲイリー・アッシャーと共に曲提供した、レイチェル・アンド・ザ・リヴォルヴァーズの「Number One」を起点に、ざっくりと以下のような発展を辿ってきた。概ね順に挙げると「Finders Keepers」「South Bay Surfer」「Little Deuce Coupe」「Car Crazy Cutie」「Little Saint Nick」「This Car Of Mine」そして、「All Summer Long」に至る(ザ・ビーチ・ボーイズ名義の公式レコーディングのみ)。
 その「All Summer Long」を経て、クリスマス・アルバム用に新録した、簡素なアレンジの「Santa's Beard」「Merry Christmas, Baby」「Christmas Day」で、ひとまずヴォーカル・バンド・サウンドに回帰する。そして、このクリスマス・アルバム・セッションで、ディック・レイノルズから何らかの刺激を受けたと思われるブライアンが手掛けた、これ以降のシャッフルビート曲は、明らかに「All Summer Long」から一変する。クリスマス・アルバム以後に作った、初のシャッフルビート曲であり、しかし、まだ模索中である印象の、アルバム・ヴァージョンの「Help Me, Ronda」('65年1月録音、アルバム『Today!』収録)、その完成形の、シングル・ヴァージョンの「Help Me, Rhonda」(同2月録音、同4月リリース)と、クリスマス・アルバム直前の「All Summer Long」との違いは歴然だ。この流れは「Let Him Run Wild」('65年3~5月録音)、「California Girls」(同4月~6月録音)、「Little Girl I Once Knew(知ってるあの娘)」(同10月録音)と続き『Pet Sounds』収録曲の「Wouldn't It Be Nice(素敵じゃないか)」('66年1~4月録音)、「God Only Knows(神のみぞ知る)」(同3月~4月録音)、そして「Good Vibrations」(同2月~9月録音)へと至るのである。こうして順序立てて考えると、『The Beach Boys' Christmas Album』の制作は、ブライアン・ウィルソンにとって、大きな大きな分岐点であったと、断言したくもなる。
 加えて、その『Pet Sounds』にも収録された「Sloop John B」のグロッケンや、「God Only Knows」のスレイベルやテンプルブロック(フィル・スペクターの『A Christmas Gift For You』収録の、ザ・ロネッツの「Sleigh Ride」でも効果的に使用)などにも、どこかクリスマス・アルバム・セッションからの影響というか、気分を感じてしまう。


12.Jingle Bell Rock 
13.Little Saint Nick

 この項では2曲一緒に紹介したい。
 「Jingle Bell Rock」は、'57年に、ジョー・ビールとジム・ブースによって書かれたポピュラー・クリスマス・ソングで、カントリー・シンガーのボビー・ヘルムズが、同年にリリースした、オリジナル・ヴァージョンの人気は現在も衰えず、ビルボードの最新('17年)ホリデイ・チャートでも、このボビー・ヘルムズ版が総合8位にランクインしている。この、カントリー・テイストのヴァージョンで広く知られる「Jingle Bell Rock」は、そのタイトルが示す、2つの曲に着想を得て書かれた。一つは、「Jingle Bell Rock」から遡ることちょうど100年前の1857年に、ジェームズ・ロード・ピアポントが教会の感謝祭のために書いた「Jingle Bells」。もう一つは、ロックン・ロール隆盛の象徴的な曲、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」('55年)。まず、このことから「Jingle Bell Rock」は、マッシュアップ的コンセプトを持つ、最初期の「ロックン・ロール」クリスマス・ソングと言える。
 平川が本作『Merry Christmas From The Pen Friend Club』を制作する上で、影響を受けたアルバムのうち、ザ・ビーチ・ボーイズの『The Beach Boys' Christmas Album』、フィル・スペクターの『A Christmas Gift For You』以外の、ロッキンな2作(ザ・ベンチャーズ『The Ventures' Christmas Album』、ラバー・バンド『The Beatmas』)では「Jingle Bell Rock」は採り上げられている。フィル・スペクターの方はさておき、ザ・ビーチ・ボーイズのクリスマス・アルバムでは、そのコンセプトが少し違えば、「Jingle Bell Rock」は何らかの形で、採り上げられる可能性もあったのではと思う。この曲は、初期のザ・ビーチ・ボーイズのグループ・コンセプト自体に、潜在的に携わる曲なのだ。
一つずつ検証したい。まず、我々にとって「ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る♪」で馴染み深い、前者の「Jingle Bells」だが、牧師が教会のため書いた曲でありながら、その歌詞では、クリスマスにもキリスト教義にも触れていない。意訳だが、概ねこんな内容だ。

 

1番
雪の中を大笑いで、一頭馬のそりで突き進む
尻尾に付いた鐘の音が、明るい晴れやかな気持ちにさせる
そりに乗ってそりの歌を歌う、なんて楽しい夜なんだ
※ 鈴を鳴らせ、鈴を鳴らせ、ずっと鈴を鳴らせ
屋根なし一頭馬のそりに乗るのは、なんて楽しいんだ

2番
昨日だったか一昨日か
あの娘(ファニー・ブライト)と一緒にそりに乗ってたら
馬の調子が悪く、雪の塊に突っ込んで、ひっくり返っちゃったよ
※ くりかえし

3番
白状するけど、昨日だったか一昨日か
そりがひっくり返った時
一頭馬のそりに乗って通りがかった野郎、
俺を見て笑いやがったから、すぐ追っ払ってやったよ
※ くりかえし

4番
一面の銀世界
若いんだから、あの娘を連れて
そりの歌を歌いながら、さあドライヴだ
時速22.5マイルで突っ走る、切り尾の鹿毛の馬を手に入れた
屋根なしのそりにそいつを繋いで
行くぜ!俺がトップだ

 日本語で歌われる「ジングルベル」とは随分違う内容だが、繰り返すがこの詞は1857年に書かれた物である。にも関わらず、ロックン・ロールが生まれ、「Jingle Bell Rock」が書かれた100年後(1957年)も、そして現在(2018年)にさえ通じる、若者の気分が描かれた歌詞だ。馬とそりを車に変換すれば、これはまるでホットロッド・ソングではないか。そして、「Jingle Bell Rock」の歌詞は、この「Jingle Bells」の歌詞のイメージを、拡張させた物だという。大意はこんな感じだ。

” 凍える寒さの雪の日
けど、なんて楽しいジングルベル・ダンスパーティ!
一晩中ロックしようぜ
一頭馬のそりで滑って行くぜ
鈴を鳴らして、馬よ走れ!
お前の足を奮い立たせて(Giddy-up jingle horse, pick up your feet)
夜通し鈴を鳴らせ(Jingle around the clock)  ”

 また、'50年にユダヤ系アメリカ人ミッチェル・パリッシュが詞を書いた、「Sleigh Ride(そりすべり)」というクリスマス・スタンダード(ザ・ロネッツも『A Christmas Gift For You』でカヴァーした)も、「Jingle Bells」と同じく概ね「そり滑りってなんて楽しいんだ」という内容の歌詞だが、その中に、馬を進ませる時の掛け声である「Giddy-yap giddy-yap giddy-yap(Giddy up, giddy up, giddy up)」が、挿入されている。
 この2曲に含まれる「Giddy up」という掛け声に、聞き覚えはないだろうか。そう。ブライアンとゲイリー・アッシャー(とマイク・ラヴ)によって書かれた、ザ・ビーチ・ボーイズのセカンド・シングルにして、最初のホットロッド・ソング、「409」('62年6月)で繰り返される歌詞(「Giddy up giddy up 409」)である。「409」では、車を馬に喩えて、愛車「409」を奮い立たせる歌詞に仕立て上げている。19世紀の若者が、そりでのドライヴに好きな女の子を誘ったり、速さを競い合ったり、というクリスマス・ソング(「Jingle Bells」)は、ロックン・ロールの誕生(「Rock Around The Clock」)の前後に生まれたクリスマス・ソング(「Sleigh Ride」「Jingle Bell Rock」)と掛け合わされ、さらにザ・ビーチ・ボーイズが、それらをホットロッド・ソング(「409」)に変換した、というわけだ。

 続いて、ザ・ビーチ・ボーイズの初めてのクリスマス・シングル、「Little Saint Nick」('63年)の歌詞について。その内容は、概ね次のとおり。

 ”サンタクロースの起源としての説もある、3世紀末~4世紀始めのキリスト教の大主教、聖ニコラオス(Saint Nicholas)を意味する「Saint Nick」は、ここでは、真っ赤に着飾った自慢の愛車を意味する。また、愛車と言っても「そり」のことのようである。さらに、そりと言ってもトボガンぞり、というか、ボブスレーのことのようだ(なのに、4速のシフトギア・スティックや、スキーを履かせた車輪が付いている。やっぱり車?)。そんなセイント・ニック号は、ゴーグルを掛けた6頭の赤鼻のトナカイにひかれ、雪をかきわけ猛スピードで、道行く道を爆走する。その美しさに見とれて、サンタクロースはガソリンスタンドの店員さんにぶつかってしまった・・・ ”

 このような、曖昧な暗喩に満ちた、シュールな内容の歌詞からは、美しき愛車、セイント・ニック号が、そもそも車なのか、魔改造した「そり」なのかすら、はっきり読み取れないのだが、その正体はさておき明らかなのは、「Little Saint Nick」は、(「409」とは逆方向に)ホットロッド・ソングを、クリスマス・ソングに変換、かつ返還した曲、ということだ。

 そして、ザ・ペンフレンドクラブは、この最初期の「ロックン・ロール」クリスマス・ソング「Jingle Bell Rock」を、ザ・ビーチ・ボーイズのホットロッド・ソング「Fun, Fun, Fun」('64年2月/全米5位)と掛け合わせ、カヴァーしている。ザ・ビートルズが、フィル・スペクターと同じ飛行機で、初めてニューヨークにやってくる、ほんの4日前にリリースされた「Fun, Fun, Fun」は、ブライアンにとっても、グループにとっても、快心の自信作であったに違いない。全米のトップ・ロック・バンドとしての自覚が出てきた矢先に、あまりにも強力なライバルが、イギリスから攻めてきた。そして、ここからブライアンは、次第に自身の限界を超えた創作活動に、没入していく。
 ザ・ペンフレンドクラブによる、「Jingle Bell Rock」の「Fun, Fun, Fun」とのマッシュアップ・カヴァーは、この『Merry Christmas From The Pen Friend Club』の中でも、最もコンセプチュアルな物だ。最初期のロックン・ロール・クリスマス・ソング「Jingle Bell Rock」と、「Surfin' USA」よりもダイレクトに、チャック・ベリーを想起させるギターのイントロから始まり、「409」よりも明らかに完成度の高いロックン・ロール・チューンである、ザ・ビーチ・ボーイズ屈指のホットロッド・ソング「Fun, Fun, Fun」とを、ザ・ペンフレンドクラブが掛け合わせたことの意義は、とても大きい。初期のザ・ビーチ・ボーイズが、ポピュラー・クリスマス・ソングのイメージ(「Sleigh Ride」「Jingle Bell Rock」)を「409」に導入し、ヴォーカル・バンドとしてのコンセプトの一つ(ホットロッド)を初めて打ち出した、という経緯を、ザ・ペンフレンドクラブはトレースし、「Sleigh Ride」「Jingle Bell Rock」「409」を介して鑑みれば同じく、実は「Fun, Fun, Fun」にも込められ、受け継がれていることが分かる、ロックン・ロールの誕生よりも約100年前(1857年)に書かれた、「Jingle Bells」から変わらない、遠い遠い昔からのエヴァーグリーンな若者の気分までをも、浮き彫りにした。さらに、角度を変え、先に述べたことをもう一度なぞるなら、「Little Saint Nick」と同じく、ホットロッド・ソング(「Fun, Fun, Fun」)をクリスマス・ソング(「Jingle Bell Rock」)に変換、かつ返還したカヴァー、とも言える。また、先に書いた、もし「Little Saint Nick」に「Drive-In」のオケが採用されていれば、ザ・ビーチ・ボーイズのクリスマス・アルバムはきっと・・・という「もし」も、併せてこのカヴァーが実現していることを、付け加えたい。
もちろん、コンセプトの素晴らしさだけではない。マッシュアップ元の曲としては、『Merry Christmas From The Pen Friend Club』で唯一の、初レコーディング曲である「Fun, Fun, Fun」は、ザ・ペンフレンドクラブのライヴでも、本家ザ・ビーチ・ボーイズと同じく、トリを飾る曲として、グループ結成以来、ほぼ必ずと言っていいほど、繰り返し繰り返し演奏されてきた。ライヴでは唯一この曲だけ、ギターのみならず、リード・ヴォーカルを取る平川は  ”「Fun, Fun, Fun」だけはレコーディングしない ” と言っていたが、実のところ、レコーディング・ヴァージョンを聴きたいと思っていたのは、筆者だけではないだろう。そして、彼らのレパートリーの中で、恐らく最多のライヴ演奏回数を誇るはずの「Fun, Fun, Fun」を土台とした「Jingle Bell Rock」は、実のところ「Fun, Fun, Fun」そのものと錯覚してしまうほどの、パーフェクトなカヴァーだ。
 スタッカートの効きまくった、平川のリズム・ギターを軸とした、西岡と祥雲のタイト極まりないリズム・セクション、スティーヴ・ダグラスよろしく、レッキング・クルーによる演奏イメージの再現を牽引する、大谷のロックン・ロール感溢れる、サックス・プレイ。そして何より、「Fun, Fun, Fun」を象徴する間奏などでの、ヨーコのオルガンはどうだ。音色やタッチの細部までが、「Fun, Fun, Fun」そのものズバリではないか。'18年の意識をもって、本家を超える演奏、のみならず世界中数多存在する「Fun, Fun, Fun」の中でも、最高のクォリティであることは間違いない。とまで書いたが、これはあくまで「Jingle Bell Rock」のカヴァーなのだ。ついそのことを忘れさせるほどの、快心の名演だ。是非ともいつの日か、「Fun, Fun, Fun」そのもののレコーディングも、実現して欲しい。
その「Jingle Bell Rock」と、ホットロッド・ソングとの、結びつきを裏付けるかのごとく続く、ミドルテンポ・シャッフルビートのザ・ビーチ・ボーイズのホットロッド・クリスマス・ソング、「Little Saint Nick」のカヴァーも、実はクリスマス・シーズン限定で、これまでも幾度かライヴ演奏を披露してきた、ザ・ペンフレンドクラブのレパートリーの一つだ。そのことを知るファンにとっては、このカヴァーは、『Merry Christmas From The Pen Friend Club』で、必ず採り上げて欲しかった曲だろう。この、正真正銘の見事なストレート・カヴァーは、シングル・ヴァージョンに準拠し、中川のグロッケンや、スレイベルもしっかりと鳴っている。『The Beach Boys' Christmas Album』収録のヴァージョンでそれらをカットした、ザ・ビーチ・ボーイズには申し訳ないが、やはりクリスマス・ソングはこうじゃなきゃ。
 「Little Saint Nick」の印象的なカヴァーとして、キャプテン&テニールのトニ・テニールと彼女の三姉妹が、'76年に「ザ・キャプテン&テニール・ショウ・クリスマス・スペシャル」で披露した、素晴らしいハーモニーによるものを挙げたい。その音源は、キャプテン&テニールの'07年のクリスマス・アルバム、『The Secret of Christmas』に、収録されている。ザ・ペンフレンドクラブは、そのキャプテン&テニールの「Love Will Keep Us Together」を、2ndアルバム『Spirit Of The Pen Friend Club』で採り上げ、平川のルーツの一つでもある、'70年代の10ccを始めとする、カジュアルかつ、さりげなく良質な、あの時代のポップ・ミュージックの雰囲気の再現を果たしている。このカヴァーは、彼らのライヴでもお馴染みのレパートリーでもあるが、同じ時代の雰囲気を持つ、やはり彼らのライヴで演じられることの多い、エルトン・ジョンの「Crocodile Rock」のカヴァーも、いつかレコーディングされますように。
 その他にも、「Little Saint Nick」には、飯島真理(ヴァン・ダイク・パークスの'89年のアルバム『Tokyo Rose』にも参加)や、ブライアン・ウィルソンの'15年のアルバム、『No Pier Pressure』にも参加した、シー&ヒムのカヴァーがあり、また作者のブライアン・ウィルソン自身も、'05年のソロ・クリスマス・アルバム、『What I Really Want For Christmas』にて、セルフ・カヴァーを残している。
 なお、'83年に、ザ・ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴは、ジャン&ディーンのディーン・トーレンスと共に、「Jingle Bell Rock」をカヴァーしている。更に、先述した、まもなく発売される、マイク・ラヴ初のソロ・クリスマス・アルバム、『Reason For The Season』にも、恐らく新録ヴァージョンでのこの曲と、さらに、「Little Saint Nick」のセルフ・カヴァーも、収録される予定だ。


14.Amazing Grace

 讃美歌である「Amazing Grace(アメイジング・グレイス)」は、1772年に、イギリスの牧師ジョン・ニュートンが、40代後半の頃に作詞したとされる。作曲者は不明だが、そのメロディから、スコットランド民謡が源流とも言われる。この歌詞を書くよりずっと以前の青年時代、船乗りだったニュートンは、奴隷貿易にも携わっていた。ある航海中に船が嵐に遭遇し、死を覚悟するほどの状況の中、必死に神に祈り、運よく生き延びた。この経験以降、それまでの不謹慎な態度を改め、信仰を深め、勉学を重ね、その後、牧師となった。「Amazing Grace」は、奴隷貿易に携わっていたことへの悔恨と、それでも赦しを与えた、神の慈悲への感謝を歌った曲だ。
 この曲の最初のレコーディングは、'22年、ニューイングランドの聖歌隊、Sacred Harpによるものとされる。'47年の、マヘリア・ジャクソンの録音のヒットにより、この曲はゴスペル・ソングとしても、広く人気を博す。カヴァー・ヴァージョンとしては、ジュディ・コリンズ、ジョーン・バエズ、サム・クック、ジョニー・キャッシュ、ザ・バーズ等がある。エルヴィス・プレスリーは、ゴスペル・ソングだけを集めたアルバム、『He Touched Me』('72年)で採り上げている。
 この曲が、クリスマス・ソングとして扱われる機会は少ないが、エルヴィス・プレスリーが'57年にリリースし、後年まで定番化する大ヒット作となった、彼の最初のクリスマス・アルバム、『Elvis' Christmas Album』では、全12曲中4曲のゴスペル・ソングが、収録されている。プロテスタント系の宗教音楽でもあるゴスペルそのものは、クリスマスの祈りとの親和性は高い。グレン・キャンベルも、'73年のゴスペル・アルバム『I Knew Jesus (Before He Was a Star)』(ベースはキャロル・ケイ、ドラムはハル・ブレイン)で採り上げ、バグパイプの印象的なイントロに始まる、素晴らしいバック・トラックと、荘厳なゴスペル・クワイアに乗せた名唱を残している。
 だが、一番の決定版は、今年'18年8月に逝去した、アレサ・フランクリンの'72年のライヴ・アルバム、そのタイトルも『Amazing Grace(至上の愛)』に収録された歌唱だろう。このアルバムは、アレサ・フランクリンの作品中、最も売れたアルバムであり、ゴスペル・ライヴ・アルバムとしても、現在も最多売上記録を持つ作品だ。なお、アレサ・フランクリンは、10年前の'08年、生涯唯一のクリスマス・アルバム、『This Christmas, Aretha』をリリースした。この、ダニー・ハサウェイが書いたクリスマス・ソングの名曲、「This Christmas」('70年)をタイトルに冠した(同曲のカヴァーも収録されている)アルバムには、先述のカナダ人プロデューサー、デヴィッド・フォスターが書いた「My Grown-Up Christmas List」のカヴァーも、収録されている。
 フィル・スペクターのゴスペル・ソングと言えば、ジェリー・リーバーとの共作で、ザ・ドリフターズを脱退し、ソロになったベン・E・キングの為に書いた、「Spanish Harlem」('60年/全米10位)がある。ヒスパニック系のハーレム(貧民街)に咲く、一輪のバラ(黒い瞳の女性)を摘んで持ち帰り、独り占めにしてしまうことへの赦しを請う歌で、フィル・スペクターのキャリアにとっても重要な作品だ。リーバー&ストーラーにとっては、さらにゴスペル色の濃い、全米4位を記録する次作、「Stand by Me」の原型とも言える作風で、スペクターにとっては、後のザ・ロネッツの「Be My Baby」に繋がる、一連の作風の源流となった作品でもある。スペクター自身も、後にチェックメイツ・リミッテッドのアルバム、『Love Is All We Have to Give(黒い涙)』に於いて再び採り上げ、壮大なスケール感のある、セルフ・カヴァーを残している。
 この、ザ・ペンフレンドクラブの「Amazing Grace」のカヴァーは、藤本の歌唱とヨーコのオルガン、そして平川の多重録音によるコーラス、および、マンドリンとスレイベルのみの演奏である。これまでのザ・ペンフレンドクラブのレコーディングでも多用されてきた、平川によるマンドリンのトレモロ奏法は、彼らのレコーディング作品を象徴するパートの一つである。一般にイメージされる、オーケストレーションのストリングス・パートは、通常ヴァイオリン属の弦楽器で演奏される。アレンジの中に、ストリングス・パートのようなエレメントが必要と判断した際、平川が代用するのが、このマンドリンだ。実際に、マンドリン属の楽器で編成される、マンドリン・オーケストラのトレモロ奏法での演奏は、音域こそ違うものの、ヴァイオリン属のそれと似た、持続音を奏でる。そういった特性を活かし、マンドリンの多重録音をアレンジの中に落とし込む、平川の手法は、楽理的にも適うものだ。
 フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドには、ヴァイオリン属の弦楽器による、小編成のオーケストレーションが、殆どの曲に組み込まれているのが特徴だが、マンドリンの有無は、聴く限り定かではない('91年のボックス・セット『Back To Mono』のクレジットには、マンドリン奏者として、ライル・リッツの名が記されている)。が、はっきりと聴こえる曲もある。先述のチェックメイツ・リミッテッドのアルバム・タイトル曲でもある、「Love Is All We Have to Give」('69年)だ。スペクターの、いわゆるウォール・オブ・サウンドが聴ける、最後にして最も壮大で豪奢な、アレンジ、ミキシングが施された、このアルバムで聴くことができる、マンドリンによるオーケストレーションの手法は、その後、スペクターが関わった、(ザ・ビートルズの)アップル・レコードの諸作で、効果的に用いられることとなる。
 その最大の成果が、ジョン・レノン&オノ・ヨーコの、'71年のクリスマス・ソング、「Happy Xmas (War Is Over):ハッピー・クリスマス (戦争は終った)」だ。アップル・レコードでのフィル・スペクターのレコーディングのうち、最もフィレス・レコード時代のフィル・スペクターをイメージさせるサウンドを聴かせる、この曲に於いて、トレモロ奏法で印象的な持続音を奏でるのは、マンドリンではなく、アコースティック・ギターである。この曲がレコーディングされる半年前、同年4月に、同じくアップル・レコードからリリースされた、ジョージ・ハリスンが書き、フィル・スペクターがプロデュースを手掛けた、ロニー・スペクターの「Try Some, Buy Some」では、同様のアレンジがマンドリンのトレモロにより行われている。この「Try Some, Buy Some」のプロダクションの延長線上に、ジョン&ヨーコの「Happy Xmas」は生まれた。因みに、マンドリンのトレモロがクリスマス感を演出する曲として、ザ・ポーグスとカースティ・マッコールによる、イギリスの定番クリスマス・ソング「Fairytale Of New York」('87年)が挙げられる。
 ジョン&ヨーコの「Happy Xmas」の歌い出しのメロディは、フィル・スペクターが'61年にプロデュースした、ザ・パリス・シスターズの「I Love How You Love Me」のそれと似ているという指摘もある。フィル・スペクターのファンであり、当時親密でもあったジョンなので、無意識に似てしまった可能性もある。さらに、「Happy Xmas」のコーラス・パート(「War is over, if you want it / War is over now」)の、隣り合わせのメロディが上下しながら、徐々にコードが「上昇していく」ように感じられる構成には、フィル・スペクターの『A Christmas Gift for You』に収録の、ダーレン・ラヴによる「Marshmallow World」のカヴァーの「Oh, the world is your snowball~」からのBメロ箇所に於ける、「Happy Xmas」と同じく上下に動きながら徐々に「上昇していく」ように感じられる、ストリングスやグロッケン等のメロディからの、サブリミナルな影響もあったかもしれない。なお、このメロディは、それまでの他の「Marshmallow World」のカヴァーには、見受けられないアレンジだ。また、このタイプのメロディは、「祈り」を伴う他の幾つかの、ゴスペル・ソングやクリスマス・ソングにも登場する。例えば、マーヴィン・ゲイの『What's Going On』('71年、ジョン&ヨーコの「Happy Xmas」の半年前に発売)に収録の「Wholy Holy」(上述したアレサ・フランクリンのライヴ盤『Amazing Grace』にもカヴァーが収録)のサビの伴奏のリフレインや、ザ・ビーチ・ボーイズの未発表クリスマス・アルバム『Merry Christmas from the Beach Boys』('77年)のために、デニス・ウィルソンが書いた、「Morning Christmas」の歌メロもそうだ。加えて、ジョン・レノン生前最後のクリスマス・シーズン('79年)に、ポール・マッカートニーが書いた、現在も人気のクリスマス・スタンダード、「Wonderful Christmas Time」で繰り返される、「Simply having a wonderful christmas time」のメロディなども、そう言えるかもしれない。聴いてみて欲しい。
 ジョン&ヨーコの「Happy Xmas」は、明らかな反戦ソングだが、他にも、平和を祈るクリスマス・ソングは多い。例えば、スティーヴィー・ワンダーの「Someday at Christmas」('67年)、ジェイムス・ブラウンの「Hey America (it's Christmas Time)」('70年)、ジョナ・ルイの「Stop The Cavalry」('80年)、ポール・マッカートニーの「Pipes of Peace」('83年)など。クリスマス・ソングには、こうした側面の祈りもある。

 「Amazing Grace」の、全ての伴奏が消え、本作『Merry Christmas From The Pen Friend Club』の全編で、どれだけ称賛してもしきれない程の、エモーショナルかつ精緻極まりない、見事な歌唱を聴かせてくれたヴォーカリスト、藤本の歌だけが残るエンディングは、本盤のクライマックスだ。このアルバムがここで終わったとしても、我々聴き手のクリスマス・ムードは、十二分に満たされたことだろう。
 
 しかし、まだまだ、ゆっくりと、静かに、クリスマスの夜は更けてゆく。


15.Auld Lang Syne

 日本では「蛍の光」として広く知られる「Auld Lang Syne」は、18世紀に、スコットランドの詩人、ロバート・バーンズが、伝統的なメロディーに詞を付けたスコットランド民謡で、大晦日から新年が明けた瞬間に歌われる、スコットランドの準国歌(スコットランドでは、公式の国歌は定められていない)の一つである。その詞は、懐かしい友と再会し、思い出を語り合いながら酒を酌み交わす、という内容だ。
 同じく、スコットランド民謡がメロディの源流と推定される、前曲の「Amazing Grace」と、この「Auld Lang Syne」は、共に「ヨナ抜き音階(4度、7度抜き:Cメジャー・キーの場合、FとBが省かれる音階)」のメロディの曲でもあり、このアルバムでの「Amazing Grace」から「Auld Lang Syne」への流れは、その点でも自然だ。
 ザ・ビーチ・ボーイズの『The Beach Boys' Christmas Album』でも、ブライアン・ウィルソンのソロ・クリスマス・アルバム、『What I Really Want for Christmas』でも、アルバムの最後を飾る曲として、この曲のア・カペラ・カヴァーが収録されている(ソロ版は、2番の歌詞も歌われている)。
 この、ザ・ペンフレンドクラブ版は、ザ・ビーチ・ボーイズ版準拠での、ア・カペラ・カヴァーだ。ザ・ビーチ・ボーイズ版では、語りを担当するデニス以外の、四声のオープン・ハーモニーだが、ザ・ペンフレンドクラブも同じく、上のパートから、藤本/大谷/リカ/平川による、4パートのオープン・ハーモニーとなっている。
 なお、オープン・ハーモニーとは、ザ・ビーチ・ボーイズのファンの間では、ザ・ビーチ・ボーイズがそのスタイルからハーモニーを学んだ、ザ・フォー・フレッシュメンのような、ざっくり言えば、基本的に、一番上のパートが主旋律を取り、時に主旋律より上のハモりに移行したり、構成音に、6度や9度といったテンション音を多用したり、というハーモニーのことを指す(単純にオクターブ以上の開きがあるハーモニーのこと、とも言われる)。
 去年'17年の暮れだったか、今年の始め頃だったか、平川が突然SNS上で、この「Auld Lang Syne」のザ・ビーチ・ボーイズ版準拠である、一人ア・カペラ・カヴァーをアップした。その時点で、このアルバム、『Merry Christmas From The Pen Friend Club』は、具体的な制作レベルで、計画されていたのだろう。前作(と言っても、今年3月にリリースされたばかりの作品だが)、『Garden Of The Pen Friend Club』がリリースされるよりも前の話だ。その段階で、既に、複雑なハーモニーを細部までコピーした、見事な宅録カヴァーに仕上がっていたのだが、やはりメンバー4人の声で、藤本たちの歌で、本気で取り組んだカヴァーは、当然ながら、より格段に素晴らしい作品として完成された。
 何より、4人4様の声の響きそのものの美しさ。リード・ヴォーカルであるトップ・パートの藤本と、原曲からの採音から携わったレコーディング・マスターの平川の、それは当然として、セカンド・パートの大谷の艶やかで真っ直ぐなトーンと、サード・パートのリカの諭すように理知的なトーンの、内声の動きに注目しつつ、リピートして何度でも聴いてしまう。
 冒頭、オクターブ・ユニゾン2パートのハーモニーに始まり、「brought to mind♪ 」の「mind」から4パート・ハーモニーに分かれる。まずはとにかく、圧倒的に美しい響きで最高音部を主旋律として独走する、藤本の声を追うことになる。下に連なる他の3パートだが、平川の最低部ももちろんルート音ではなく、バス・パートでありながら、複雑な動きで上下する。大谷とリカのパートはもっと複雑で、一聴ではとても追いきれない。言い換えれば、それほど二人の声は、素晴らしい相性でしっかりと混ざり合う。
 途中挿入される、藤本の、ネイティブさながらの流暢な英語のモノローグは、いよいよお別れの時を迎える、このクリスマス・アルバムの締め括りの、名残惜しさを掻き立てる。
このモノローグは、ザ・ビーチ・ボーイズの『The Beach Boys' Christmas Album』の「Auld Lang Syne」での、デニスのそれに準拠するため、意訳ではあるが、ここではデニスのモノローグの内容を紹介する。ザ・ビーチ・ボーイズのメンバーの名前を、ザ・ペンフレンドクラブのメンバーに置き換えて、もちろん藤本の語り口を想定して、イメージしてみてほしい。

”やあ、デニスだよ。メンバーを代表して、僕から。
僕らは、クリスマス・アルバムを君に届けることができて、とても嬉しい。
僕たちがそうするように、このアルバムが君の宝物になりますように。
そして君が、今これを聴いてるなら、
マイク、ブライアン、カール、アル、そして僕から
クリスマスおめでとう!楽しいクリスマスを!
って、君たちひとりひとりに言いたい。
今年が僕たちにそうしてくれたように、
来年が君にたくさんの幸せをもたらしてくれますように。
ありがとう。”

 このモノローグの背後の、特に、どこまでもどこまでも飛翔する藤本のリード・ヴォーカルに気付いてしまうと、是非、モノローグ抜きのヴァージョンも聴きたいと思うことだろう。その願いはすぐに叶う。先に「Christmas Delights」の項で述べた、間もなくリリースされる、RYUTistとのスプリット7インチ・レコードに於ける、ザ・ペンフレンドクラブ側の収録曲、「Auld Lang Syne」の別ヴァージョンこそが、まさに、全編のコーラスが余すところなく聴ける、モノローグ抜きのヴァージョンであるからだ。ゆえに、こちらも必聴だ。
 モノローグを背にどんどん飛翔する、藤本の最高音部は、終盤には、遂に主旋律を飛び越え、さらに高いハーモニー・パートの彼方まで飛んで行く。ここで主旋律のバトンをまっすぐ受け継ぐのが、セカンド・パートの大谷だ。そして、平川のバス・パートを終始包み込むかのように音符を紡いできた、リカのサード・パートは、最後には、彼方の藤本にも寄り添い、和声全体の中枢となり、この美しい、美しいハーモニーは収束する。ザ・ペンフレンドクラブの、鉄壁の現ラインナップたる第4期('16年3月~)から加入の、藤本と大谷に、'18年、今年3月のリカ加入が決め手になり生まれた、この4声ハーモニー。いつの日か、是非とも、こうしたア・カペラ・ハーモニーを、ライヴでも実演してほしいものだ。

 斯くして、ザ・ビーチ・ボーイズの『The Beach Boys' Christmas Album』と同じく、この「Auld Lang Syne」の祈りのハーモニーによって、『Merry Christmas From The Pen Friend Club』は、大団円を迎えた。


16.Silent Night

 そして、カーテンコールか、エンドロールか、「Auld Lang Syne」で捧げられた祈りのハーモニーを、静かに、太古の生命の神々(何かしら特定の現代宗教に携わる神ではない)の元に返還、送り出す曲として、また『Merry Christmas From The Pen Friend Club』そのものの誕生を、静かに祝うかのように、内省的で美しく煌めく、サクソフォーン四重奏が最後に加えられた。
 1818年のクリスマス・イヴ前日、オーストリアの聖ニコラ教会のヨゼフ・モール神父は、オルガン奏者フランツ・クサーヴァー・グルーバーに、突然音が出なくなってしまった教会のオルガンの代わりに、ギターで伴奏できる曲を作るよう依頼した。その際に神父が書いた詞「Stille Nacht(シュティーレ・ナハト)」に、グルーバーがメロディと伴奏を付けたクリスマス・キャロルが、「Silent Night」(英詞はジョン・フリーマン・ヤング作)である。日本では、「きよしこの夜」として知られるこの曲の詞は、「静かな、聖なる夜に誕生した、キリストを祝う」という、キリスト教会により広められた「クリスマス」のコンセプトに、ぴったり合致する讃美歌だ。
演奏は、ザ・ペンフレンドクラブのサックス奏者の大谷が率いるサクソフォーン四重奏団によるもの。
 メンバーおよびパートは、以下の通り。

 

◆ 飯塚恭平(ソプラノ)
◆ 大谷英紗子(アルト)  
◆ 上原雅史(テナー)  
◆ 湊谷采加(バリトン) 

 このカルテットによる「Silent Night」の、編曲アレンジ・スコアは、大谷が手掛けた。終始、ソプラノが主旋律を奏で、以下3管がハーモニーを織りなすオープン・ハーモニーの手法は、前の「Auld Lang Syne」のカヴァーと同じ基本構成であり、大谷が属するザ・ペンフレンドクラブ本体のハーモニー・コンセプトに、しっかりと沿わせたアレンジが施されている。先述したとおり、長年に亘り、そして今も正式な音楽教育を受け続け、研究を重ねる、大谷の持つアカデミックな楽才があればこその、小さく精密な音楽作品だ。
 ソプラノの主旋律は必要十分な情緒を携え、扇情的に楽曲をリードしていく。また、「Auld Lang Syne」と同じく、バリトンは低音部ながら広い音域を、テナーはバリトンとアルトの動きに、あえて自らカモフラージュされに向かうかのごとく、それぞれが聴き手の予測を痛快にはぐらかしつつ、往き来する。
 スコアを手掛け、このレコーディングのためにメンバーを招いた大谷自身は、やはり「Auld Lang Syne」と同じく、上から2番目のパートを奏でる。序盤のうちは、ハーモニーのための最もスタンダードなメロディーを、控えめに奏でているかと思いきや、曲が展開するにつれ、テナーの動きと連動し、思わぬ位置に、さらにその身を隠し始める。
 1番のパートを終え、完全に混ざりあった4管のハーモニーは、次の調に向け、衝突寸前のピッチを絡ませ、もつれ合いながら、それと気付かないうちに、移調先の岸辺に辿り着いていた。そこは、地上とも上空とも取れる、とても広い場所だった。
 いよいよ今度こそ、本当に今度こそ、この『Merry Christmas From The Pen Friend Club』は終わってしまう。この解放感に満ち溢れた場所で、静かに、静かに、このアルバムは幕を閉じるのであった。
 因みに、この「Silent Night」のカヴァーは、ザ・ペンフレンドクラブ史上初の、作・編曲共に平川が携わらない楽曲である。このカヴァーにより、ザ・ペンフレンドクラブの大谷もまた、平川と同じく、ハーモニー・アレンジを組み立てることができるメンバーであることが、証明された。一方で、この曲に於いて平川が手掛けたミキシングは、演奏の、アカデミックなだけではないフィジカルな面も、しっかりと引き出している。さながら朝顔管のイグルーの中で聴いているような、臨場感溢れるそのミキシングは、それ自体がパーカッシブかつ調性を持つ楽器であるかのような、一つ一つのブレスのアクセントまでをも感じ取らせてくれる。同時に、互いの楽才を信頼し合う、気心知れた仲間同士による演奏を、カルテット自身が心から楽しんでいる様子が、ひしひしと伝わってくる。
 実は、この「Silent Night」には、本作には収録されていないイントロが存在する。三管の美しいハーモニーが、彼方から飛来するソプラノの主旋律を迎え入れ、混じり合い、互いに手を携えながら本編へと導かれてゆく、その美しいイントロ・パートは、前曲「Auld Lang Syne」からの流れにそぐわなかったからか、本作には採用されなかった。しかし、例えば、もしもこの曲が1曲目であったなら、このイントロ・パートはアルバムの冒頭を飾っていたかもしれない。このイントロを含むヴァージョンも、いつの日か、公式版として聴いてみたいものだ。
 「Silent Night」のカヴァーとしては、山下達郎のアルバム、『ON THE STREET CORNER 2』『SEASON'S GREETINGS』に、ア・カペラ・ヴァージョンで収録されたものがある。また、大ヒット曲「クリスマス・イブ」では、「Silent Night」の冒頭の歌詞が、繰り返し引用されている。
 先述のブライアン・ウィルソンの、『What I Really Want for Christmas』でも、CDボーナス・トラックの最後に、短いア・カペラ・カヴァーにブライアンの簡単なモノローグが加えられる形で、収録されている。
 アルバムの締め括りとして扱われた物としては、大瀧詠一が、'77年のクリスマスにリリースした、『NIAGARA CALENDAR』に収録の「クリスマス音頭/お正月」があり、また、大瀧詠一にとっての日本のベスト・クリスマス・ソングである、トニー谷の「サンタクロース・アイ・アム・橇(ソーリ)」('53年)でも、「Silent Night」は引用されているが、これらを詳細に、今、ここで紹介するのが場違いであることは(しかし、共に意義深い傑作でもあることは)、大瀧詠一のファンには、ご理解頂けるだろう。
 余談ついでにもう一つ、このCDをリピートして聴けば、マライア・キャリーのアルバム『Merry Christmas』と同じく、「Silent Night」から「All I Want for Christmas Is You」に繋がるってことも、楽しみ方の一つとして、頭の隅の隅にでも、ぜひ。
 さておき。「Silent Night」は、フィル・スペクターの『A Christmas Gift for You』に於いても、アルバムを締め括る曲として、本人名義のアーティスト・クレジットで収録されている。『The Beach Boys' Christmas Album』と『A Christmas Gift for You』の最後の曲が共に、本作『Merry Christmas From The Pen Friend Club』を締め括る曲として、続けて配されたことに、この両アルバムへの、平川の最大の敬意を感じる。
 最後に、フィル・スペクター自身が、この「Silent Night」の中で語っている、モノローグの意訳を紹介しよう。

” こんにちは、フィル・スペクターです。
あなたがここまで聴いてくれた、何か月もかけて計画されたアルバムについて、
私の気持ちを言葉に表すことは、とても難しいです。
まず、クリスマス・ミュージックと私の人生の一部でもあるレコード業界に、
革新的な一石を投ずる、このアルバムの制作、私の努力と願望に、
共に励んでくれた、すべての人に感謝します。
もちろん、愛する音楽を通じたクリスマスの気持ちに関わる、
きっかけを与えてくれたあなたに、一番の感謝を。
今、皆に代わって、私は、全てのアーティストを大変誇りに思っています。
ザ・クリスタルズ、ザ・ロネッツ、ダーレン・ラヴ、
ボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズ、そして私自身。
あなたにとって最高のクリスマス、最高の新年となりますように。
あなたと共にクリスマスを過ごせたことに、感謝します。 ”

 当初、フィル・スペクターは、そのイメージされるキャラクター通り、この曲に、全く人を馬鹿にした、とんでもない内容のモノローグを吹き込んだらしい(スペクター御用達のミキシング・エンジニア、ラリー・レヴィンによる後日談より)。アルバム唯一の、スローテンポ、かつ、インストの曲に、自らモノローグを乗せたカヴァーだが(無垢にキリスト誕生を祝う「Silent Night」の歌詞は、ユダヤ・ルーツのスペクターには、相容れなかったのかもしれない)、今も我々が聞くことができる、このスペクターの言葉には偽りはなく、彼は、美しいクリスマス・ソングの数々に出会えたことに、本当に感謝し、それらを心から愛していたことは間違いない。そうでなければ『A Christmas Gift for You from Phil Spector』のようなアルバムを作ることなど、絶対にできなかったはずだ。そして、このモノローグでのフィル・スペクターを平川に、各アーティストをメンバーに置き換えて考えてみても、『Merry Christmas From The Pen Friend Club』に於ける平川の思いは、きっと同じだろう。

 

 長々と書いてきたが、これらはあくまで、ザ・ペンフレンドクラブの『Merry Christmas From The Pen Friend Club』をもっと楽しむためのクリスマスの音楽と、そこから派生する話題にのみ絞って、その、ごく一部を述べたに過ぎない。この解説が、ザ・ペンフレンドクラブが取り組んできた音楽の奥の深さを、聴き手それぞれの筋道で深めるための、何らかの一助となってくれることを願う。
 毎年、我々の目の前に愛嬌をふりまいてやってくるクリスマスの、その背後にある物はあまりにも奥深い。たかだか良くて100年ほどしか生きられない我々が、今の時代を生きながら、正確に語れるような代物ではない。現在クリスマスと呼ばれる祝祭の時節は、寒い季節にやってくる死霊を宥めるための、古代の冬至の祭りが形を変え続けて(と、一言で片付けることができないほど、無数の変化のレイヤーを経て)きたものであり、我々の目の前にあるクリスマスは、その変化の果ての最新の姿であるにすぎない。が、決して軽んじることのできない、文字通り我々の本能にのみ訴える、その本質は、受け継がれ存在する。それは、キリストの誕生祝い、クリスマスツリー、赤い服を着て白い髭をたくわえたサンタクロース、クリスマスプレゼント、それらそのもの自体ではない。が、同時に、最新型の「クリスマス」と呼ばれる祝祭に於ける、そんなキーワードやアイテム一つ一つの中に、その本質の欠片は様々な形で、内在してもいる。従って、繰り返すが、それらを頭ごなしに軽んじることは、できない。
 ならば、クリスマスをどう過ごすべきか、という問いへの、しっくりくる回答の一つとして、解説の「Frosty The Snowman」の項でも触れた、ディケンズの小説「クリスマス・キャロル」での、主人公スクルージの甥の台詞を引用したい。

” 僕はクリスマスがめぐってくるたびに ― その名前といわれのありがたさは別としても、 ・・・もっとも、それを別にして考えられるかどうかはわからないけれど ― とにかくクリスマスはめでたいと思うんですよ。親切な気持ちになって人を赦してやり、情ぶかくなる楽しい時節ですよ。男も女もみんな隔てなく心を打明け合って、自分らより目下の者たちを見ても、お互いみんなが同じ墓場への道づれだと思って、行先のちがう赤の他人だとは思わないなんて時は、一年の長い暦をめくって行く間に、まったくクリスマスの時だけだと思いますよ。 ”

 理想的には、こんな感じで良いのではなかろうか。そうも簡単にいかないのが、この小説の出版からさらに200年近くが過ぎた、現代のクリスマスの実情かもしれないが。

 また、クリスマスは何故、受け継がれていくのか、という問いへの回答として、フランスの構造主義系の哲学者であり、フィル・スペクターと同じくユダヤにルーツを持ち、同じく音楽愛好家のワグネリアンでもあった、クロード・レヴィ=ストロースが'52年に書いた、「火あぶりにされたサンタクロース」という、クリスマスの本質について冷静に考察した論文から、引用、紹介したい。

 私たちは、子供たちのサンタクロースへの信仰を、どうして守ろうとするのか。それは ”心の奥底では、ささやかなものとはいえ、見返りを求めない気前の良さとか、下心なしの親切などというものが存在することを信じていたい、という欲望を抱き続けている ” から、そして、 ”ほんの短い間であってもよい、あらゆる恐れ、あらゆる妬み、あらゆる苦悩が棚上げされる、そんなひとときを、私たちは望んでいる ” からだ。
”たぶん、私たちはその幻想が他の人々の心の中で守られ、それが若い魂に火を灯し、その炎によって、私たち自身の身体までが温められる、そんな機会を失いたくないのだ。” 
”クリスマスの贈与。それは生きていることの穏やかさに捧げられたサクリファイズ(供犠)なのだ。生きていることは、まずなによりも、死んではいないことによって、ひとまずの穏やかさを実現しているからだ。”

 そんな、サクリファイズ(供犠)、ホロコースト(燔祭:ユダヤ教の供犠)として、自身のイマジネーションで、何らかの「神々」へ、直接祈りを届けることができる、最も具体的に実現可能な手段は、まさに「音楽」ではなかろうか。
 ザ・ビーチ・ボーイズやフィル・スペクターの音楽に拘り続ける、筆者のような者の多くは、両者の音楽に、こうした供犠的な、「祈り」のエレメントをしばしば見出しては、心震わせるのだろう。そして、ザ・ペンフレンドクラブは、その両名の継承者たるべくその身を捧げ、その本質を追求し続ける中で、積み上げてきた実績をもとに、ここに、クリスマス・アルバム、『Merry Christmas From The Pen Friend Club』を生み出したのだ。

 

 このアルバムが、見果てぬ100年先、その先のクリスマスまで届くことを願う。

 

October 10, 2018 TOMMY(VIVIAN BOYS)

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